2012-02-19
しじみのだしのやさしい味。
「しじみの湯豆腐」
飲み屋で「政治と野球と、ラーメンの話はするな」とは、よく言われることだ。
どれも絶対に意見が割れ、収拾がつかなくなるからなのだが、実際ラーメンの好みは千差万別だ。
ラーメン好きの人なら、誰もが自分の好きなラーメン屋をもっていて、それを譲らない。
またラーメン好きの特徴として、好きなラーメン屋だけでなく、だいたいが、「嫌いなラーメン屋」をもっている。
誰かが好きなラーメン屋を、べつの人がけなすから、おたがいヒートアップしてしまうことになるわけだ。
好みがここまで分かれる食べ物は、他にはなかなかないだろう。
そば・うどん、カレー、牛丼、トンカツ、その他庶民の食べ物は数あれど、カレー屋の話をしているうちに、飲み屋でケンカになるなどというのは、聞いたことがない。
また日本で、「評論家」という職業が成り立っている食べ物も、ラーメンだけなのじゃないだろうか。
日本には10人くらいは、ラーメンの評論で生活している人がいるだろう。
そば・うどんやカレーの評論家が、職業として成り立っているのは考えられないし、ワインの評論家くらいなら、いるかも知れないけれど、その場合むしろ「ソムリエ」として、お店に勤務するということになっているのじゃないだろうか。
この「ラーメン」をめぐる特殊な事情には、もちろん日本人がラーメン好きであることが、大きく関係しているだろう。
「週に一度はラーメンを食べる」という人は、それほど珍しいことはないのじゃないか。
しかし同様に、「週に一度はカレーを食べる」人だって、おそらく、ラーメンに劣らぬ人数になるだろう。
にもかかわらず、カレーにはラーメンのような熱狂は生まれないということは、ラーメンという食べ物そのものに、強い好みを生み出す、何らかの理由があるはずだ。
ラーメンの特徴として、「肉のだしに醤油や味噌、削りぶしなど和風の調味料があわせてある」ことがあげられるだろう。
「塩ラーメン」もあるけれど、日本のラーメンの場合、スープの段階で、昆布や削りぶしなど、何らかの和風調味料が加えられている場合が多い。
とんこつラーメンも、スープの色で白く見えるが、ラーメンダレには醤油が使われている。
しかしこの「肉のだしに醤油や味噌の和風調味料」は、根本的には、あまり合わないものなのじゃないかと思うのだ。
例えば鶏の水炊きや、豚とほうれん草の常夜鍋をやったとして、その残り汁を雑炊にするのなら、下手に醤油で味をつけてしまうより、塩コショウであっさり味付けしたほうが、うまいといえるのではないだろうか。
豚汁や筑前煮を作るにしたって、豚や鶏のだしだけでやるよりも、削りぶしや煮干しできちんと和風だしをとったほうがうまいだろう。
醤油や味噌は、魚のだしに対しては、黄金ともいえる相性のよさがあるけれど、肉のだしには、それほど合うものではないのじゃないか。
「相性がよい」ということは、「正解がある」ということだろう。
よく料理本などで、「調味料の黄金比」などというものをうたっていることがあるけれど、それがほんとうに黄金であるかどうかは別としても、「うまい和風だし」は誰が作っても、おなじものに収束していくところはあるだろう。
だからあとは、和風だしの良し悪しは、「板前の腕」にかかってくることになる。
日本食の場合は、料理のちがいは、「うまいかうまくないか」という、上下の序列になってくるのじゃないかと思うのだよな。
それに対してラーメンは、「肉のだしと和風調味料」という、もともと合わないものを合わせようとているわけだから、いわゆる「正解」はないだろう。
黄金比は存在しない。
だからラーメン屋にも、もちろん店主の腕が悪いためにまずいラーメンも、決して少なくはないけれど、しかしそれ以上に、ラーメンのちがいは、
「もともと合わない肉のだしと和風調味料を、どうやって合わせるかという、ラーメン屋それぞれの工夫のちがい」
だということになるのだろう。
そうであれば、どのラーメンが上で、どのラーメンが下だということは、ないことになる。
並列的に、横並びで、「それぞれにうまい、しかし異なるラーメン」が生まれてくる。
「うまいラーメン」の可能性は無限なのであり、実際今でも、新しい種類のラーメンが考案され、人気を集めることがある。
それが、「ラーメンの魅力」なのだといえるのではないだろうか。
京都にいるときには、毎週末に欠かさず食べる「新福菜館三条店」のラーメン。
京都には、他にもうまいラーメン屋がいくつもあるのだけれど、このラーメンには中毒になってしまい、毎週食べずにはいられないことになっている。
最大の特徴は、スープに「甘み」があることだ。
煮魚や角煮をするときなどのように、こってりとした味がする。
ラーメンは戦後には、ニンニクをたっぷりと使うようになった。
ニンニクを入れることにより、肉のだしと醤油の味を、うまく合わせるようにするということなのだろう。
しかし新福菜館が創業した戦前には、日本ではまだニンニクは一般的ではなかった。
そこで日本食が肉のだしに醤油を合わせるときの王道である、「甘みをつける」というやり方を、ラーメンに持ち込んだのだろう。
現在では、スープに甘みのあるラーメンは、ほとんどなくなってしまい、新福菜館の味は「異端」とも思えるようになってしまっているのだけれど、日本のラーメンの原点は、本来こちらにあったのではないだろうか。
日本人の味の好みをストレートに反映した素朴さが、なんともいえぬ魅力となっている。
というわけで、昨日は昼めしに、餃子とラーメンを腹いっぱい食べたから、晩めしは湯豆腐。
しじみを入れることにした。
沸かせた昆布だしに、砂出ししたしじみと長ねぎを入れ、しじみの口が開くまで煮る。
口が開いたら、豆腐を入れ、火を落としてもうそれ以上煮立てない。
湯豆腐は、豆腐を煮るものではなく、「温める」ものなのだ。
タレは醤油にかつお節、青ねぎ。
しじみのだしを吸い込んだ豆腐がうまい。
残り汁は、タレで割ってすすってもいいし、もちろんうどんにしてもいい。