2012-02-08
甘酸っぱい初恋の味。
「レモン鍋」
「晩飯に何を作るか」考えることは、誰にとっても悩みの種だろう。
一人暮らしなら、まだ同じものを何日食べ続けたって、誰に文句を言われることもないけれど、家庭の主婦なら、やはり毎日、ちがうものを出す必要がある。
それに実際のところ、一人暮らしでも、毎日同じものを食べると飽きる。
人間、飽きることがなければ、生活はどんなに楽だろうと思うけれど、しかし飽きるからこそ、毎日ちがうものを食べることになり、栄養のバランスが保たれるということなのだろう。
飽きるというのは、2つの側面がある。
1つは材料。それから味付け。
材料は、スーパーへ行けば、色んなものが売っているから、それを眺めていれば、自然と食べたいものが思いつく。
でも味付けについては、スーパーで売ってるものを見ただけでは、なかなか思いつくことができない。
別途考える必要がある。
味付けは、大昔は、塩だけだったんだろう。
塩気がなければ、人間、食べ物をうまいとは感じられない。
逆に大体のものは、塩をつけて食ったり、塩をふって焼いたりすれば、それだけでうまい。
またそういう食べ方で、毎日ちがった材料を食べていれば、実際のところ、それほど飽きるということもない。
しかしやはり「煮る」ようになると、そういうわけにはいかなくなるのだな。
煮るようになると、「スープ」というものが発生することになる。
スープはやはり、塩だけでは味が足りない。
魚にしたって、そのまま焼いて食べるのであれば、塩焼きで十分うまいけれども、魚を煮出してできるスープは、日本人なら、やはり醤油を入れないとうまくない。
これはたぶん、スープとして水に溶け出すものは、魚の成分のうち一部だから、それだけだと味のバランスが不完全だということなのだろう。
そう考えると、「鍋」が発明され、人間が材料を煮るようになって初めて、「味付け」の必要性が生まれたというわけだ。
塩だけふって、焼いて食べていた時には、世界中の料理は、どれもそれほど代わり映えしないものだったろう。
でもスープを作るようになると、その土地その土地で、様々なやり方が生まれていくことになる。
日本では、大豆を発酵させてできる味噌や醤油が使われるようになったけれど、西洋では、野菜やらスパイスやらを時間をかけて煮込んでできる、「ソース」が発明されることとなった。
だから味付けこそが、料理の「文化的」な側面を、担っているといえるものなのだな。
オレも以前は、魚を塩焼きして食べ続けることに、何の不満も感じない、文化以前の料理をしていたけれども、最近では、多少は文化的になり、味付けもいろいろ考えてみたりするようになった。
それで昨日、作ってみたのは、「レモン鍋」。
鍋にレモンを入れて、酸味を付けるという話だ。
いっしょに大根おろしをたっぷり入れて、ほんのりと甘みも付ける。
これももしやと思い、グーグル検索してみたら、やはりすでに、「レモン鍋」は存在し、ほぼまったく同じ考え方のレシピをアップしている人もいた。
さすが世の中、広いもんだ。
レモンと大根おろしを入れ、醤油味を付けるわけだから、これがポン酢に大根おろしを入れたのを、タレとして使うのと、何がちがうのかと言われれば、返す言葉がないところもある。
水炊きの鍋をポン酢で食べるのは、たしかに鍋料理の王道だけれども、このポン酢を鍋本体に入れてしまうというレモン鍋も、また一風変わっていていいじゃないか、というくらいの話だ。
大根は、あらかじめ大量にすりおろしておく。
鍋に昆布をしき、水を入れて、酒とうすくち醤油をドバドバと入れ味をつけ、豚コマ肉、油揚げ、白菜、そして好きな形に切ったレモンを入れる。
白菜がやわらかくなったら、長ネギやら、シメジやらを入れひと煮して、大根おろしを投入し、ふたたび沸騰したら出来あがり。
昨日はここに、下茹でしたほうれん草を入れたのだけれど、これはイマイチだった。
やはりほうれん草は、白菜やら長ネギやらとまったく合わず、しかも鍋に入れておくと、どんどんくたくたになって味が落ちるので、レモン鍋には入れないほうがいい。
ほうれん草を鍋に入れるのなら、常夜鍋をおすすめします。
レモンと大根で、初恋のような、甘酸っぱい味。
鍋らしからぬ、乙女チックなセンスが光る一品。
七味は振らないほうがうまいです。
うどんもなかなかいいですよ。