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2012-01-29

池波正太郎に学ぶ日本の未来。
「ねぎま鍋」


池波正太郎が、

「鯛の刺身を、良い酒をすこし落とした醤油をつけ、塩をつまみ入れた熱い煎茶を吸い物がわりにし、ご飯といっしょに食べる」

というその食べ方が、なぜそれほど魅力的かといえば、それが池波自身の手によって、自分の家で長年にわたり、鯛の刺身を食べるうちに、編み出されたものだからだ。

煎茶に塩をつまみ入れたものを吸い物がわりにするなど、どこの料理屋でされているとも思えない。

料理の本にだって、載ってはいないだろう。

料理屋や料理の本など、商業ベースの場所には絶対にない、家庭にだけ存在し得るものの匂いがする。



また煎茶に塩をふり入れて吸い物にするなど、横着ともいえそうなことを、池波の奥さんが考え出したとも思えない。

これはやはり、男が、自分の家で、自分自身が食べるために考え出した食べ方だと、強く感じられることになる。



この種の、男が自分の家で、考え出した食べ方について、池波は「そうざい料理帖」の中で、いくつか紹介している。



たとえば、「豚肉のうどんすき」。

作家子母沢寛の家に招かれた時、話を聞いたというもので、豚肉を鍋にたぎらせた湯で煮たあと、そこへうどんを入れ、醤油にみりん、昆布だしのタレで食べる。



また池波が10代のころ、ちょくちょく家に遊びに行った、「三井さん」が食べていた、大根の煮たのの話もある。

厚く輪切りにした大根を、長火鉢にかけた土鍋で、昆布だけ敷いて気長に煮る。

そのあいだ三井さんは、手製のイカの塩辛で酒を飲む。

大根が煮上がる寸前に、鍋に少量の塩と酒を振り込み、皿にうつし醤油を2、3滴落とした大根を口に運んだ三井さんは、

「む・・・・・・」

と、いかにもうまそうな唸り声をあげたという。



このように戦前までは、男が自分が食べるものに関して、誰に教わるということでもなく、主体的に考えるということが、日常の風景だったということだろう。

しかし現代では、それはとても珍しいものになってしまったのではないか。

多くの男は、会社帰りにどの店へ食事に行くかとか、その店で何を注文するか、というところまでは考えても、家ではただ、奥さんに出されたものを、文句を言わず食べることに甘んじている。

たまに腕まくりをして、凝った料理を作ることはあっても、それが日常となることはない。



池波正太郎は、「食卓の情景」で、旅に同行した若い友人「片岡君」について書いている。

旅先の料亭で、うまいものを食い、片岡くんに「うまかったかい?」ときくと、片岡くんははにかんだようにうつ向き、

「ええ、でも納豆と味噌汁が食べたかった・・・」

という。

納豆と味噌汁くらい、奥さんに作ってもらえないのかときくと、新婚半年の片岡君、

「ええ、ワイフがそんなのは下等だからといって、朝食にはハムエッグとトーストしか食べさせてもらえないんです・・・」

腹を立てた池波、

「食べたくないものが出たら、お膳をひっくり返せ。そうしないと、一生食いたいものは食えねえぜ」

とタンカを切ったが、片岡君の顔色は冴えなかったという。



池波が若い頃ならともかく、今、男が奥さんの作った料理が乗ったお膳をひっくり返しでもしたら、即離婚は間違いないところだ。

しかし、池波の言うことにも一理ある。

人間が、自分の食べるものについて、主体的に考えることは、べつに男や女にかかわらず、本来「生活の中心」ともいえることであるはずだろう。

それを現在、なぜか、多くの男が、できないこととなってしまっている。



言うまでもなくこれは、男が悪いのでもなく、ましてや女が悪いのでもないだろう。

ここにこそ、現在の「日本」の問題が、凝縮して表れているといえるのではないか。

敗戦により、日本人はそれまでの流儀を捨て、生活のスタイルをアメリカからの輸入に頼るようになった。

自分がほんとうに食べたいものを考えようとするのでなく、テレビや映画で、アメリカ人が食べているものを、真似して食べるようになる。

その結果、日本の家庭から、「食」が消えてしまいかけているとすら、いえる状況なのではないか。



僕自身は、離婚して一人で暮らしているから、仕方なく、毎日の食事を自分で作っているともいえるのであって、奥さんのいる男が、どうしたら、自分の食を主体的に考えることができるようになるのか、よくわからない。

もちろんそれは、男が家庭の専制君主となることではないだろう。

しかしそれを考えようとしていくことの中に、日本の明るい未来が見えてくるのではないかという気も、しないこともない。





昨日食べたのは、池波正太郎「そうざい料理帖」に載っている、「ねぎま鍋」。

池波は、「大トロの」ねぎま鍋として書いている。

池波が子供の頃は、マグロは何といっても赤身で、大トロなど寿司屋でも出さなかったし、魚屋に買いに行けば、大トロはただでもらえたものだったそうだ。

もちろん今では、大トロを鍋にしてしまうなどというもったいないことはできないから、赤身、しかも本マグロではなく、もっと安いマグロを使うことになる。

スーパーで、台湾産のびんちょうマグロが、100グラム157円。

これならまあまあ、手が出ないこともない。



煮汁は、だしに酒、みりん、それに醤油で味付けする。

そうざい料理帖には、「すこし淡目の調味で」と書いてある。

僕もその通りにやってみたけれど、それよりも、煮詰まって、こってりと甘辛くなってきた煮汁のほうがうまかった。



そうざい料理帖には、マグロとネギだけを入れることになっているが、これはもちろん、好きな具材を加えたらいいことは、言うまでもない。

マグロは、すこし厚めの短冊切りにする。

長ネギは、ぶつ切りをたっぷりと。



先にネギや、他の具材を煮ておいて、やわらかくなったら、マグロを入れ、まだ中が半生くらいの状態で引き上げる。



七味をふって食べるとうまい。



シメは、煮汁をうすめてうどんを煮る。