2012-01-07
ひとり鍋のすゝめ。
「タラちり鍋」
ひとり暮らしにとっては、鍋はたいへん簡単にできるので、僕はただでさえも多用するのに、こう寒いと、もう鍋以外に、食べるものを思い付かなくなってしまっている今日この頃。
ひとり鍋を、「寂しい」と捉える人も、少なくないんじゃないかと思うんですが、全くそんなことはないと、僕は声を大にして言いたい。
池波正太郎は、家ではしょっちゅう、ひとりで「小鍋立て」をやると、著書に書いている。
池波は、奥さんとお母さん、それに自分の3人で暮らしていたみたいですが、3人で食卓を囲むようなことは、全くなかったそうです。
自分は、自分が食べたいものを、奥さんに作らせ、それを居間でひとりで食べる。
奥さんとお母さんは、お母さんが作ったものを、台所で食べる。
それは、奥さんとお母さんという、2人の女性がケンカせず、仲良くできるよう、バランスをとるための方法であるとともに、池波自身が、あくまで自分が食べたいものを、食べるための方法でもあった。
池波は、ひとりで鍋をつつく男性の姿を、いくつか書いているんですよね。
いずれも、「寂しさ」などは露ほども感じさせるものでなく、むしろ風情を感じさせるものとなっている。
だいたい戦前までは、お父さんがひとりで、家族とは違うものを食べることが、普通だったわけでしょう。
それは、向田邦子などは、「封建的」な家族のあり方を象徴する、あまりよくない思い出として書いているけれど、少なくとも、日本では昔から、男は一人で酒を飲み、食事をするものだったのじゃないかという気がするんですよね。
殿様が、家族団らんで食卓を囲む、などという光景は、とうてい想像できません。
「家族団らん」というのは、戦後になって、アメリカから輸入された考え方なんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう。
食事は、家族で食卓を囲み、楽しく会話をしながら食べるものである。
それは、アメリカ流の家族のあり方ではあるかも知れないけれど、日本ではそんなことは、してきていなかった。
だいたい、「食事中はしゃべるな」というのが、昔流のしつけ方なわけですよね。
戦前の日本の文化を、「封建的」のひと言で切り捨て、すべてを否定する習性が、日本人にはしみ付いているところがあるような気がするけれど、逆にそのことにより、大事なものを失ってしまったところも、あるのじゃないかと思うんですよね。
家族団らんが強調されるあまり、日本人の男性は、自分の食べるものについて、奥さんにまかせきりとなり、主体的に考えることが、少なくなってしまった。
そういうところも、今の日本には、もしかしたら、あるのじゃないかという気がするんです。
「ひとり鍋は寂しい」というのも、鍋が家族団らんをイメージさせるところから、最近になってつくり出されたイメージであって、別にもともと日本では昔から、男でも女でも、ひとり鍋を、寂しいとも思わずに、普通にしていたのじゃないかと思うんです。
じっさい僕は、自分が好きなものだけを厳選し、それを目の前の鍋に自分で入れ、コトコトと煮ている時に、「つくづく幸せだ」と、いつも感じる。
自分の好きなものを、好きなように食べることこそ、幸せの最たるものじゃないかと思うんですよね。
昔はひとり鍋は、「お父さんがひとりで、家族と違うものを食べる」という、封建制とつながったものだったかも知れないけれど、今ではむしろ、ひとり暮らしの個食に、大きく関係するものとなっているところもある。
ひとり暮らしはこれから、ますます増えていかざるを得ないことになっていくでしょう。
ぜひ堂々と、寂しいなどと思わずに、ひとり鍋してもらいたいと思うんですよね。
と、青年の主張をしてみたところで、昨日は、「タラちり鍋」。
このところ、正月料理だの、韓国鍋だの、変わったものを食べていたので、やはりここらで、「基本にもどりたい」と思ってしまうことになるんですよね。
基本というと、やはりちり鍋、水炊きの類じゃないかという気が、僕はするんです。
これは何も、鍋の基本というばかりじゃなく、すべての料理にとって、ちり鍋や水炊きは、基本なのじゃないか。
だって、材料を、ただ水で煮て、それをタレにつけて食べるというのは、もっとも簡単な料理法でしょう。
「器」と「火」が発見された時点で、人間はもう、そうやって料理をしていたんじゃないか。
縄文人だって、そうやって食事をしていたんじゃないかと思うんですよね。
材料が魚の場合には「ちり鍋」、肉の場合には「水炊き」と言われるわけですけど、材料は、ほんとにどんなものでもいい。
水で煮て食べられない材料は、ほとんどないのじゃないかという気がしますよね。
昨日は、魚屋でタラのあらが売ってたので、それを使うことにしました。
いつもは350円とかで売ってるんですが、昨日はちょっと量を多くして、その分値段が高めになっていました。
タラは、わりと味が淡いから、あまり強烈な材料を合わせてしまうと、タラの味がかき消されてしまうことになる。
それで豆腐と、長ネギ、それにしめじではなく、えのき茸。
いやもちろん、しめじでも構わないわけだけど、そうやって、自分なりにこだわりをもち、材料を選ぶというのが、料理の楽しいところじゃないかと思います。
しかし失敗したのは、タレ。
大根がまだ、まるまる1本余っていたので、使ってしまおうと、大根おろしを大量に入れ、やはり余っている青ネギも大量に入れてみたところ、味が強すぎて、タラの味が吹き飛んでしまった。
やはりポン酢に、大根おろしと青ネギ、一味唐辛子は、ちょこっとづつというのが、タラちり鍋の場合にはいいですね。
鍋に昆布をしき、水を張り、日本酒を大量に入れる。
よくレシピに、水と日本酒の割合を、7対3とか書いてあるのが多いですが、別にきっちりと計る必要はなく、「そのくらいたくさん入れる」と理解して、日本酒はドボドボ入れる。
この、日本酒をケチらないということが、ちり鍋や水炊きのポイントなのじゃないかと思います。
煮立ったら昆布を取り出し、まずあらを入れ、アクを取りながらしばらく煮る。
あとは野菜を入れ、ひと煮したら出来あがり。
魚のあらは、どれもうまいけれど、タラのあらの場合には、目のまわりと口のまわりのゼラチン質のドロドロとしたところが、ほんとにたまりません。
タラのあらを使う場合は、かならず塩を振り、よくもみ込んで、しばらく置いておく。
「しばらく」とは、30分以上、なんなら一晩置いてもかまいません。
鍋の汁は、もちろん捨てずに、うどんか雑炊にする。
塩に、醤油を隠し味ていどに入れると、もうたまりません。