料理に手をかけ、その結果「おいしい」ことには、もちろん価値があるけれど、家でふだん食べるものは、「手をかけないのにおいしい」のが、やはり、いい。
その点、池波正太郎の「そうざい料理帖」には、まったく手がかからないのに、やけにうまそうな料理が山ほどのっていて、何度ながめていても、飽きることがない。
しかもそれらが、かならずしも池波が、自分で考えたものというわけでもなく、自分が子供の頃から、毎日のように食べていたり、ひとの家でごちそうになったものだったりする。
「手がかからないのにうまい」のは、一種の名人芸であり、「文化」といってもいいものだろう。庶民が毎日食べるなかで、時間をかけて、「手をかけずにうまい」食べ方を見つけだしていく。
池波がそういう、「庶民の文化」を、愛でる気持ちがあるということが、池波の食のエッセイが、不朽の魅力をはなつ、大きな理由だという気がする。
池波のエッセイには、鍋物が多く登場する。
池波は、料理にこだわりがあり、台所に首をつっこみ、徹底的に口をだしてはいたが、台所は奥さんとお母さんにまかせ、自分は手をださないことに決めていた。しかし鍋は、卓上で、自分でつくりながら食べるものだから、池波にとって、唯一自分が手をくだせる場所であった、ということがあるのだろう。池波の食のエッセイに登場する鍋物は、どれもこれも、手がかからないのに、たいへんうまそうに見えるのだ。
その代表のひとつが、この「豚肉のうどんすき」だ。
池波はこれを、作家 子母沢寛の家で、はじめてごちそうになった。それ以来、自分でも、ちょくちょくやっているというものだ。
子母沢寛は、豚肉のうどんすきの作り方について、自著に次のように書いているという。
「・・・鍋に湯をたぎらせ、これに豚肉を200匁ほど入れ、ぐだぐだと煮立てた中へ、うどんをさっと入れ、玉がくずれてさらさらとなったところをつまみあげて下地へつけて食べる・・・」
これを習い、池波がやるやり方は、
「・・・私のは加減も何もない。豚肉も脂の多い細切れでやる。さっと煮えたうどんに豚の脂がとろりとからまったのを引上げ、これは子母沢氏に教えられた醤油1、みりん1、昆布だし4の割合にととのえたものへつけて食べる。めんどうなときには、生醤油でもよい・・・」
となる。
まず、鍋に張った水には、昆布をいれておくのがよい。昆布は煮立ったら、取りだしてもいいが、そのまま煮て、最後に食ってしまってもいい。
水が煮立ったら、豚コマ肉を入れ、酒を「じょぼじょぼ」と、コップに半分くらい入れる。
豚肉は、2、3分ほど煮たほうがいいが、このとき豚のスープをよそい、これで醤油とみりんのタレを割るようにする。
うどんを入れたら、あまり煮込まず、あたたまったぐらいのところで食べる。
みりんを煮切らずに使うので、食べはじめは少し、アルコールのにおいがするが、食べているうちに気にならなくなる。
七味などを振っても、もちろんうまい。
最後はいうまでもなく、鍋の出汁で、タレをさらに割って飲む。
以上、きわめて簡単な話なのだが、豚肉とうどんのさっぱりとした取合せが非常にうまく、たいへん充実感がある。
池波正太郎は、「鯛」が好きで、「そうざい料理帖」にも鯛の料理がいろいろでてくる。
どれもうまそうなのだが、やはりここは、「鯛のチリ鍋」だろう。池波は、次のように書いている。
「夕飯は、鯛の切身をさっと焼いておき、チリ鍋にする。それで酒を1合のみ、なべの中の出汁を日本紙で漉しておき、別の小なべに移し、御飯を入れて雑炊にする。これで、ほかは何もいらない・・・」
そこで昨日は、鯛の切身を買う気まんまんで、魚屋へ行ったら、鯛の切身は売切れていた。
アラはまだ残っているというからそれにしたが、池波流には反するが、アラは切身より、安くてうまいのだから、文句はないのだ。
池波が書いた文は、ただ上の通りのものだけなのだが、僕がもっている「そうざい料理帖」の単行本には、池波の料理を、さらに解説したものがのっていて、それによれば、池波流鯛チリに入れるのは、「湯葉と三つ葉」だという。
鯛の切身なら、湯葉に三つ葉も合うかもしれないが、アラには豆腐とネギのほうが、合うんじゃないかと思ったが、ここはあくまで池波流に、湯葉と三つ葉を買ってみた。
さすが京都、湯葉は近所の豆腐屋で売っている。
アラだから、薄塩をして、30分ほどおいておいた。
それを表裏、「さっと」焼く。
というわけで、材料の準備は完了。
タレについては、解説には「ポン酢」としか書いていないのだが、チリ鍋には当然、もみじおろしに青ネギだろう。
ただもみじおろしは、めんどうなので、大根おろしに一味とうがらしを振りこんだ。
さっと煮て食べる。
これは、たまらん。
たしかに湯葉に三つ葉のほうが、豆腐にネギとくらべ、鯛の上品な味が、いっそう引きたつところがある。
チリ鍋と、その他冷蔵庫に入っている肴で、酒を2合。
そして当然、鯛の出汁がたっぷりでた汁で、雑炊へ行かなければいけないわけだが、ここでちょっとした大失敗をし、雑炊はうまくできなかった。
雑炊を生米からつくろうとおもい、鍋の出汁に入れたのだが、無洗米だしとおもい甘くみて、生米を水にひたさず、そのまま鍋に入れたら、いくら煮ても、やわらかくならなかった。
そこで鍋の汁だけ、飲むことにした。
これがすごかった。
ほとんど豚骨スープかと思うような、白濁した、濃厚な鯛の出汁。表面には脂の膜まで張っている。
鯛を一回焼いているから、香ばしい風味もする。
しかも臭みはまったくなし。
昨日はこれで、10回ほど、死にました。