作家の全集を読むというのは、僕は初めての経験で、この小林秀雄の全集も、何もこれを初めから、全て読破しようなどと思ったのではまったくなく、文庫本に所蔵されていない文章を読んでみたいと思って、第一巻を読んでみたら、初期のケンカ評論があまりに面白くて、そのまま二巻、三巻と進んできてしまったということなのだ。しかし全集を読むというのは、ただ同じ著者の単発の本や文章を読むのとは全く違ったことで、作品が発表された順を追って、文章を読んでいくことになるから、著者の思想というものが、当時の時代背景の中で、どのように変化し、発展していったのかということが、手に取るようにわかるようになってくる。著者とともに、人生を歩んでいるような気持ちになっていくんだな。全集を読むというのがこんなにいいものだとは、まったく知らなかったな。
でやっぱり、この小林秀雄の全集を読み進みながら、先の戦争、日中戦争から太平洋戦争になだれこみ、日本が破滅していく、そういう時代に、小林秀雄がどのように対し、自分の人生をどのように処していったのか、ということは、とても気になることで、先を楽しみにしていたのだが、この全作品14は、いよいよ太平洋戦争が開戦になる、その前後の作品が収められている。開戦の年が、小林秀雄40歳、脂の乗り切った時期だよな。にもかかわらず、作品の数は激減、それまで、だいたい少なくとも1年に全集1巻分、30代半ばには、翻訳作品も含めて、1年で3巻を費やしていたものが、この14巻は、昭和16年から20年まで、5年分が収められてしまっている。開戦の翌年、昭和17年には、1ヶ月に1本弱のペース、18年にはたった4本、19年はゼロ、20年は1本、ということになってしまっている。どのように生計を立てていたのだろうと思ってしまうが、明治大学で教えていたのと、あとはこの時期骨董にハマり、それを売買していたらしい。かなり過酷な生活だよな。
小林秀雄はこの前の巻、13巻のあたりから、詳しいことは知らないのだが、当時のジャーナリズムが日本の歴史的役割とか、戦争の歴史的意義とか、そういうものについて喧伝していたのだろう、それに対する異議を、全身全霊をかけて唱える、ということをしてきていた。
今日、日本の危機に際して、諸君が注意して周囲を見渡されたならば、眼を覆わんとしても不可能な現実の姿がある一方、いかに様々なスローガンが横行し人々がこれに足をとられているかがおわかりの筈だと思う。わが国の言論界、思想界は嘗(かつ)て空疎なスローガンにおどらされ、充分に味噌をつけたのである。それが今日のジャーナリズムを見ていると、又同じスローガンの遊戯が始まっているのである。そういうものと僕らは戦わなければならぬ。それが詩人の道でもあるとともに、実践的な思想家の道であると信じます。小林秀雄は戦っているのだ。実践的な思想家として。そこで、歴史や伝統というものを考察し、それはただ事実や、または習慣の羅列としてあるものではなく、自分自身が愛着を持ち、そこに向かい、本当に見つけようとしない限り、歴史や伝統というものは生き生きと存在するということにはならないのだ、そしてそのことこそが、今というものを創造的につくりだしていくことなのだ、と論じてきたのだが、いよいよ太平洋戦争が始まり、事態の悪化に歯止めがかからないということになって、小林秀雄はさらに一歩、前へ進むのだな。歴史とは、伝統とは、ということをただ批評家として論ずるのではなく、自分自身がそのことを実践する、歴史や伝統に向きあい、それを本当に、自分自身のこととして見つける、ということを始めるのだ。「無常という事」はその決意表明のようなもので、それから「平家物語」「徒然草」「西行」「実朝」と、文庫本にも収録され、名作と言われる作品を、次々と発表していくことになるのだ。僕はこの小林秀雄が古典へ向かっていったことが、現代文学に嫌気がさし、ある意味古典というところへ逃げたのかと想像していたのだが、まったく違うのだな、そうではなく、これは、実践的な思想家たる小林秀雄、そう、小林秀雄は自分自身を、ただ批評家ではななく、実践的な思想家として、規定しなおしたということなのだ、が、当時のジャーナリズムと正面きって戦っている、凄絶な姿なのだ。
これらの作品はすべて、「文学界」という、元々小林自身も立ち上げに携わり、しばらくは編集委員も務め、たぶん自分の身内のような雑誌なのだろう、そこに発表されたのだが、 年譜によれば、その文学界も雑誌統合、とは何のことだかよく知らないのだが、により廃刊されてしまい、これはいかにも当局の命令で書いたのだろうという、「文学者の提携について」を書き、その延長なのだろう、「第三回大東亜文学者大会」というもののために、単身中国へ渡り、昭和19年には半年にわたって、中国に滞在したのだそうだ。中国での活動については「あまりに不明なことが多い」のだそうだが、おそらく小林秀雄は、実践的な思想家として、中国で戦っていたことは間違いがないだろう。うーん、何をしていたのかな、知りたいな、誰かに聞けばわかるのかな。