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2012-04-18

絶望の中華料理。
「ブロッコリーとイカのオイスターソース炒め」
「スグキのじゃこ炒めⅡ」



このところ、料理をきっかけにして、「日本」について考え始めてしまい、日本などあまりにテーマが大きすぎるもんですから、地に足がついた考えなど、できるはずがありません。

「妄想」が頭をかけめぐるようになってしまっているんですが、それを止めることもできませんので、こうして書き始めているわけなんです。



料理には、全体を「統合」するものが、何か必要なんですね。

「刺激」が必要ということなのかもしれません。

その代表が、「ニンニク」ですよね。

料理にニンニクを加えることにより、それまでバラバラだった肉や野菜の味が1つにまとまることになる。



「唐辛子」や「スパイス」も、やはり料理を統合する働きをします。

コショウをひと振りするだけで、料理の味が見違えるほど変わるのは、誰でも経験があることかと思います。



ですから世界の料理は、その料理ごとに、かならず何かの「統合系」を持っているものなのだと思うんですね。

統合系なしには、料理がひとつの「形」をもつのは、難しくなるでしょう。



それでは日本料理の場合は、その統合系は何になるのかといえば、「出汁」だということになるのではないでしょうか。



たとえば肉を煮てスープを作ろうというとき、西洋や中国・韓国などなら、ニンニクをいれます。

ニンニクなしでは、肉のうまみは十分なはずなのに、「おいしい」と思えるものにならないんですね。



和食の場合は、ニンニクを入れるわけにはいきませんが、肉を水ではなく、昆布とかつお節の出汁で煮ることにより、肉のうまみがグッと引き立つことになる。

肉じゃがを出汁で煮るのは、単に「うま味を増す」ためではなく、

「個々の素材の味を引き立て、全体をひとつにまとめる」

ためだといえると思うんです。



ですから出汁を統合系として、日本料理は発展してきたのだ思うんですが、この「出汁」は、ニンニクや唐辛子、スパイスなどにくらべると、刺激がよわいから、あまりクセの強い材料が入ってくると、それに負けてしまうことになる。

ですから料理するとき、念入りにアクをとったり、事前に材料を水にさらしたり、下ゆでしたりして、アクやエグ味をとり去っておかないといけません。

そうやって、「素材の力を弱める」ことにより、料理を1つにまとめるのが、日本料理のやり方なのではないでしょうか。



ところで僕が妄想してやまないことは、この日本料理のやり方が、そのまま「日本社会のやり方」と重なるのではないかということです。

そんなことは、そもそも答えがないことであり、考えるだけムダだというのは、いうまでもありません。

でも自分が和食を食べ、ぬるめのお燗を飲み、それを「心からおいしい」とおもう生粋の日本人であると感じるとき、同時にもうひとりの自分が、

「そんな生ぬるいことでは、これからの日本はやっていけないぞ」

とささやくんですね。



日本の社会は、江戸時代までは、それぞれが自分の分をまもり、出過ぎないようにすることで、均衡をたもってきたのではないでしょうか。

「切腹」の伝統などは、その最たるものでしょう。

日本人は、最悪の場合、自分の存在を消すことで、社会を成り立たせてきた。



しかしそんなやり方が通用したのは、交通手段が未発達の時代に、大陸からはるか離れた島国に、日本があったからです。

黒船が来襲するに及んで、そのままでは外国の植民地にされるかもしれないことになり、日本は開国し、外国の知識をとりいれ、富国強兵の地を歩みはじめる。



しかし外国の知識をとりいれ、船や飛行機、自動車やコンピュータがつくれるようになったからといって、日本人が、根本において変化したのかといえば、そうではなかったのではないでしょうか。

あるときにはハンバーグを食べ、あるときにはカレーを食べ、そしてあるときには和食を食べる。

物事を都合よくつまみ食いしているだけで、性根はまったく変わっていないのかもしれません。



「自由」が大事だということになり、「何でも自分のしたいことをするのがいいことだ」といって、皆が自分の欲望を満足させるために、お金儲けや、長生きのための健康法に邁進するようになる。

しかし自由と表裏一体にある「責任」には、誰も目を向けるものがないために、世の中のあらゆる場所に、「無責任」が蔓延する。

そんなめちゃくちゃな日本人の、自分も典型であることに、絶望するところがあるんです。



バブル以降、日本は「失われた20年」といわれ、それが30年になり、さらに40年になろうかというところにいる。

今こそ世界に目を向けなければいけないといわれ、「日本は変わらなければいけない」といわれるけれど、和食の居心地のよさは、日本人にはぬぐい去りがたい。

こんな自分で、「日本は変われるのか」と、不安になるんです。



「だからどうした」ということは、ありません。

でもとりあえず、頭にあることを吐き出さないと、次に進めそうもない気がしましたので、これを書いてみました。



* * * * *



昨日作ったのは、「ブロッコリーとイカのオイスターソース炒め」。

これは、死ぬかとおもうほどおいしくて、お酒がついつい進んでしまうんですが、これが和食ではなく、中華料理であるところに、また絶望するんですね。



和食が、「ニンニクを使って炒める」ことをふくみ込めれば、世界がはるかに広がるとおもうんですが、そうしてしまうと、和食は和食ではなくなり、「中華」になってしまう。

むずかしいものだと思います。



◎ ブロッコリーとイカのオイスターソース炒め

■ 材 料


・ブロッコリー・・・1茎

房に切り分けます。

今回は茎は使いませんでしたが、茎を細く切っていれても、悪くないと思います。



・スルメイカ・・・1パイ

胴から中身を抜き、胴は軟骨をとって、3ミリ幅くらいの輪切りにする。

中身は目の真ん中のところで上下に切り分け、ワタを捨て、クチバシをとって、ゲソを3~4センチ長さほどのぶつ切りにする。



・ニンニク・・・1かけ

・唐辛子・・・1本

ニンニクはみじん切り、唐辛子は輪切りか、または手で小さくちぎる。



・合わせ調味料・・・オイスターソース大さじ1、酒大さじ3分の1、塩小さじ3分の1、片栗粉小さじ1

塩をすこし入れたほうが、味が引きしまります。



・サラダ油・・・大さじ2



■ 作り方

鍋に湯をグラグラに沸かして、塩ひとつまみをふり、イカをゆでます。

イカをいれると温度が下がり、沸騰がおさまりますが、再沸騰を待たず、30秒ほどして、イカが赤くなったら、ザルに引き上げます。



つづいてブロッコリーをゆでます。

ブロッコリーは、再沸騰してから1~2分ゆで、完全に火を通すようにします。

ゆで上がったら、ザルにあけます。



フライパンを中火にかけ、サラダ油大さじ2を温め、ニンニクと唐辛子を炒めます。



匂いが立ってきたら、火を強火にし、ブロッコリーとイカをいれる。

ブロッコリーにもイカにも、もう火が通っていますから、これは「炒める」というよりは、「ニンニクと唐辛子の風味がついた油をまぶす」感覚で、油が全体にまわれば、もうそれでOKです。

油がまわったら、合わせ調味料をよく混ぜ、片栗粉を溶かしこんでから、フライパンにいれます。

鍋を返して、調味料が全体にひっつけば出来あがり。



ブロッコリーとイカのオイスターソース炒め。

これは簡単にできますが、とてもおいしいです。

イカは、どういうわけなんでしょう、ほんとにお酒によく合います。



お酒は、焼酎のお湯割り。

いつもより余分に飲みました。



あとはおとといにつづいて、ふたたびスグキのじゃこ炒め。

昨日は唐辛子をいれてみましたが、こちらの方がうまかったです。

フライパンにごま油をひき、中火で熱して細かくちぎった唐辛子を炒め、つづいてスグキとじゃこを炒めて、酒と醤油をすこしずつたらして、全体を混ぜれば出来あがり。

またこれも、お酒のアテには最高です。