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2012-04-25

「残り物の焼きそば」


昨日は飲みに出たので、晩飯は作っていません。今日の朝飯は、冷蔵庫に入っていた残り物で、かた焼きそば。

「残り物の処理」は料理の重要な側面で、これがうまく出来るようになると、食生活はだいぶ楽になりますよね。



材料は、パエリアの時にあまっていたエビと鶏肉、しめじ、それにその前からあまっていたブロッコリーの茎。

エビは殻をむいて、背わたをとりたい人はとり、片栗粉をふっておく。鶏肉も、1口大をさらに2~3個に切り分け、塩コショウして片栗粉をふっておく。しめじは房に分け、ブロッコリーの茎は、うすく細く切っておく。



まず麺を焼きます。

大さじ2くらいのサラダ油をフライパンに中火で熱し、焼きそば麺をいれる。いったんほぐして丸くまとめ、そのままじっくり焼く。焦げ目がついたらひっくり返し、反対側も焼く。

ひっくり返すときは、フライ返しを使ってもいいですが、鍋をふると、わりと簡単にひっくり返ります。



麺を皿にとり出しておき、あらためて大さじ2くらいの油をひき、まず鶏肉、それからブロッコリー、エビ、そしてしめじを順に炒めていく。



醤油大さじ1、酒大さじ2、酢小さじ1、ニンニクとショウガのすりおろしたの(チューブ)をほんのちょっぴり、それに水カップ2分の1くらいの合わせ調味料を注ぎ込み、2~3分煮る。

最後に片栗粉大さじ1、水大さじ2くらいの割合で溶いた水溶き片栗粉をすこしずつ入れ、適度なとろみが付いたら出来あがり。

片栗粉は決してはじめから全部いれてしまわず、とろみ加減を見ながらちょっとずつ入れていくのがポイントです。



残り物は、鶏とエビでなくても、肉系のものと野菜系のものがあれば、おなじような味付けとやり方で、何でもいけると思います。焼きそば麺ではなくご飯にかければ、中華丼になりますね。



* * * * *



昨日は、いつも行く飲み屋のマスターと、韓国料理の話になり、マスター、

「韓国料理って、全部唐辛子とニンニクが入っていて、おなじ味がするでしょう」

と言うんですね。

マスターは、自分でキムチを漬けたりもするくらい、韓国料理には造詣が深いので、「謙遜」という意味合いもあるのだろうなとは思うんですが、僕はまったく逆の体験を、何度かしているんですね。

韓国へ1~2週間いて、帰ってくると何日か、日本料理がどれを食べても、ただ塩っぱいだけの、まったくおなじ味に感じられてしまうんです。



これは一言でいえば、「唐辛子に麻痺している」ということかとは思うんですが、もちろん唐辛子の成分が、舌に何日も残るわけはありませんから、麻痺しているのは舌ではなく、味を感じる「神経」だと思うんですね。



味覚って、音楽と似ているところがあるような気がするんですけど、ニンニクの味はすごく低音で、唐辛子の味は、すごく高音、とでもいうような感じがする。

韓国料理は、その重低音と高音とのあいだで、さまざまな味が、いろいろな組み合わせ方をされることになるんですよね。

だからまあ、言ってしまえばたしかに、すべてニンニクと唐辛子の味なのだけど、その中で、韓国に滞在してだんだん慣れてくると、味の違いが感じられるようになる。



ところがそういう感じ方をするようになって、韓国から日本に帰ってくると、日本料理にはニンニクも唐辛子も入っていないから、低音と高音がない、ダイナミックレンジの狭い音楽のように感じられてしまう。

そういう感じ方のままだと、日本料理の微妙な味のちがいがわからずに、ただ塩っぱいだけと感じられてしまうことになるんですよね。



日本人が、虫の音を「メロディー」のような、音楽に近いものとして感じるのに対して、西洋の人は、ただの「雑音」としか感じない、とかいうこと、よく聞きますよね。

おなじようなことが、味にもあって、味のちがいとは、ただ「甘い」とか「辛い」とかいうことだけでなく、味の「感じ方」そのものが、国によってちがったりするのだろうなと思うんです。



* * * * *



昨日は2人の、僕よりすこし年上の美熟女と、お酒を飲んだんですけれど、そのうちの1人の息子さんに、

「彼女ができない」

と言うんですよね。

息子さんにきくと、

「べつに欲しいとも思わない」

とのことで、合コンに行くとかなんとか、彼女を見つける努力をしようともしない。

お母さんの方は、「ジュリアナ世代」ですから、若いころはけっこう遊んだそうで、そういう目から見ると、息子さんがどうも歯がゆくて仕方がないらしい。



「草食系男子」という言葉が聞かれるようになって、もうずいぶんたつわけですけれど、草食系男子はどちらかといえば、否定的なニュアンスで言われることが多い。

もっとアグレッシブに、自分の欲望をストレートに貫いていけばいいところを、他人の目を気にしたりすることでそれができないのは情けない、というわけです。

それに対して若い女性は、「肉食系女子」と呼ばれ、ガンガン男性にアタックしていくという。



しかしこれは、いいことなのじゃないかと思うんですけどね。



「自分の欲望に忠実」な人たちの典型といえば、やはり「団塊の世代」の人達ということになるんじゃないでしょうか。

この世代の人達の口から、

「女なんか、やっちゃえばいいんだ」

という言葉を何度も聞いたことがあります。

たしかにそれは、アグレッシブでいいですけれど、その人達が成長し、社会で活躍し、定年を迎える、という頃になって、日本がこれだけ傾いていることも、また事実なんですよね。



それに対して、若い世代の人たちは、男女が「対等」になっているということなのでしょう。

これまで押さえ付けられて、男より低い立場に甘んじてきた女性が、男と対等な位置に上がってきたから、見かけ上、女が強くなったように見える。

でも本来、「男と女が対等だ」などということは、当たり前のことなんですから、今の若い世代の人達の状況は、「あるべき姿」になりつつあると言えるんじゃないかと思うんです。



若い世代が「結婚に積極的でない」ことや、「子供をなかなか作ろうとしない」ことについては、僕は「草食系男子」の問題とはまったく別ではないかと思っていて、要は

「年寄りが多すぎる」

ということなのでしょう。

年寄りが多すぎるから、職についても、社会保障についても、大変窮屈なことになっている。

だから僕達、上の世代は、あまり健康などについて気にしすぎて、寿命をのばそうなどとするよりも、適当に不健康なことをして、早めに死んで、若い人達に道を譲るようにしてやれば、あとは若い人達が自分たちで、素晴らしい日本を作ってくれるような気がしますけどね。