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2011-12-17

煮付けの世界と檀一雄。
「イワシの煮付け」

魚の煮付けがうまく出来るようになると、大変たのしい。

魚を煮付けることは、なんとなく、敷居が高いもののように思えるのだけれど、それは日本人が、洋風文化の影響をあまりに強くうけてしまい、日本文化がもっている良さを、忘れかけているからだという気がする。

「煮付ける」とよく似たことばで、「煮込む」がある。いま「煮込み料理」といえば、カレーに代表される、肉を何時間もかけて、コトコト煮ることを表すことになっている。しかし「煮込む」とは、日本では元々、ちがう料理法を指していた。

うまい!海軍めし」に載せられている、日本海軍のレシピには、「煮込み」と呼ばれる料理がいくつも載せられている。それらは例外なく、うす切りの肉と野菜を、「煮汁を残さず煮る」ものだ。代表が肉じゃがで、うす切りの牛肉と、ジャガイモなどの野菜を、砂糖と醤油で味付けし、煮汁を煮詰めるとなっている。

「煮しめ」も、やはり煮汁を煮詰める、おなじ料理法で、「煮込み」が肉を煮るときに使われることばであったのに対し、「煮しめ」は、おもに野菜を、煮汁を残さず煮ることを意味している。

「煮付け」はだから、おなじことを、魚にたいして行なうときに用いられることばなのだろう。煮汁を残さず煮詰めてしまうことで、煮汁にふくまれていた味が、煮ている材料に、すべてしみ込んだり、からみ付いたりすることになる。中国料理で「片栗粉でとじる」ことと、目的はおなじなのだろう。



ただこの、「煮汁を煮詰めることで、材料に濃厚な味をつける」料理法が可能であるためには、いくつか条件がある。

まず、材料が、あるていど短時間で、火が通ってしまうことが必要だ。煮汁を煮詰めていくと、煮汁が減るにしたがい、鍋の中の材料の、上の部分は、煮汁の上に顔を出してしまうことになる。だから、かたまり肉をあつかうことには向いておらず、日本では、日本風に料理するときには、肉をすべてうす切りして使うことになっている。

それからもうひとつ、煮詰めることで味をつけることが、きちんと機能するためには、味付けが、「砂糖と醤油でされる」ことが必要だ。砂糖と醤油がまぜ合わされ、それが煮詰められていくと、粘り気がでて、泡が発生することとなる。落し蓋をしておくと、煮汁が少なくなってしまっても、泡だけは、材料の上までかぶることになる。この砂糖と醤油の泡によって、材料の全体に味がつくことになるわけだ。

だからこの、煮汁を煮詰める料理法は、魚や野菜を、砂糖と醤油で味付けする、日本料理に特有のものだといえるのだろう。洋風文化の影響で、肉を、醤油以外の味つけで料理することが増えたおかげで、この煮詰める料理法が、中心の座をうばわれ、ついには「煮込む」ということばの意味まで、変わることになってしまったのではないかと思われる。



おそらくそういう理由で、「魚の煮付け」は今の日本人にとって、あまり身近でない、なんとなく敷居が高いものと感じられるようになっているのだろう。しかし実際のところ魚を煮付けるのは、なにも難しいことではない。それまで魚を、塩焼きや、せいぜい照り焼き程度しか、できなかったものが、煮付けができるようになると、魚料理の世界が大きく広がる。私は魚の煮付けが出来るようになったとき、あまりの嬉しさに、毎日そればかりやっていた覚えがある。

イワシを煮付けるのも、だから、普通だったら、鍋に昆布をしき、あわせてカップ1杯程度の水と酒をいれ、砂糖とみりん、醤油、それに梅干しとショウガで味をつけ、落し蓋をして中火で7~8分煮る、ということになる。もちろんこれで、最高にうまい、イワシの煮付けができるのだが、檀一雄は、「檀流クッキング」に、これとはまったくちがうやり方で、イワシを煮付けるやり方を書いている。



檀流クッキングのレシピを、自分で作ってみると、檀一雄が何気なく書いている料理法が、じつは檀一雄が考えぬき、試行錯誤をつづけた挙句に編み出したものであることが、わかることが多い。檀一雄はなぜか、自分の料理の試行錯誤については、表に出すことをまったくしないのだけれど、それはたぶん、作家が本業なのに、あまりに料理にうつつを抜かしていると思われることが、不本意だったからなのだろうと想像する。

檀一雄が書くイワシの煮付けも、そういうレシピのひとつだ。檀一雄はイワシを煮付けるのに、砂糖を使わない。醤油も、うすくち醤油を少し入れるだけだ。そのかわり、「お茶」で味付けする。醤油をあまり入れないから、イワシの色が変わらず、青光りしたきれいな肌が、そのまま残るのが風情がある。またお茶と、昆布、それに梅干しの取合せが、まさに「梅こぶ茶」の感覚で、それがイワシの味と、大変よく合う。

檀流クッキングには、スペインやら中国、韓国、ロシアなど、世界各国の料理が多数のせられているし、日本料理でも、寿司やらカツオのたたきやら、わりと派手めのものが多い。しかしむしろ、このイワシの煮付けや、キンピラゴボウなどのような、当たり前な日本料理の作り方に、檀一雄の料理にたいする考え方が、はっきり現れているように思う。



檀流「イワシの煮付け」を作るには、まず鍋に昆布をしき、ジャバジャバと酒を入れ、そぎ切りにした梅干し、「つぶし切りにした」ショウガ(写真ではショウガを切らしていたので、チューブのショウガをしぼり込んでいる)、あまり多くないうすくち醤油、それから緑茶を、わりとたっぷり注ぎ込み、全体として、イワシを入れたとき、イワシがひたひたになる程度の、煮汁の分量にする。

イワシは、檀一雄は頭もハラワタも落とさず、水洗いしただけで使う。イワシの姿を、大事にしたいということだろう。しかし昨日は、スーパーで、あらかじめ頭を落としたイワシを買ってきたから、それを使った。

煮汁を煮立て、イワシを入れたら、中火で7~8分煮る。砂糖を入れていないから、落し蓋をしても、煮汁が上までかぶってこない。だから落し蓋をせず、煮汁が足りなくなってきた分、お茶をつぎ足すようにする。

煮ている最中に、味をみる。煮ているうちに、梅干しの塩味がでてくるから、それでもまだ塩気が足りないようなら、うすくち醤油を追加する。



おそらくこのイワシの煮付けは、各国の料理の影響をうけた檀一雄が、日本式の煮付けを、拡大し、解釈したものだ。材料は、お茶に梅干しだから、まったく日本風なのだけれど、料理法に、日本以外の感覚を感じさせるところがある。檀一雄としては、何でもかんでも砂糖と醤油で味付けする日本料理に、一石を投じたいと思うところがあったにちがいない。



昨日は、まずこの檀流イワシの煮付けを肴に、温かい酒をのみはじめ、それから常夜鍋。

常夜鍋は、豚肉と、ホウレンソウなどの青菜が基本だ。ホウレンソウは、生のままで鍋に入れると、煮汁にアクがでてしまい、せっかくの豚のだしが台無しになってしまうから、かならず下茹でして使う。小松菜や水菜なら、そのまま入れても大丈夫だ。

入れる材料に、豚肉とホウレンソウと、その他に何を入れるかが問題だ。ホウレンソウはつくづく、相性のよい材料が少ない。他の野菜類は、まず合わないだろう。豆腐もイマイチだ。油揚げならいいけれど、油揚げは、煮汁の味を吸いこむところが本領だから、水炊きに入れても、間が抜けたようなものになる。ただキノコ類は、ホウレンソウとは相性がいいから、昨日はしめじを入れた。

昆布だしに、日本酒をたっぷり入れた汁で煮る。

タレはポン酢に、大根おろし、青ネギ、一味唐辛子。

鍋が終わったら、この豚のだしに、塩コショウで味付けし、雑炊にしたり、うどんを入れたりするとうまい。