魚の食べ方として、まず外れがないのは「塩焼き」。どんな魚でも、ただ塩をふって焼けば、ほぼまちがいなくおいしく食べられる。魚は種類がいくつもあるし、季節によっても変わっていくから、ただ魚屋やスーパーにある魚を、塩焼きして食べていれば、毎日飽きずにたのしめることになる。
しかし魚には、塩焼き以外にもさまざまな調理の仕方があり、それらに触れ、学び、自分のものとしていくことも、またひとつの大きなたのしみだ。料理法は、人間にとり、最大ともいえる「文化」なのだから、これを学ぶことには、非常な意義がある。
最も手近なのは、「照焼き」や「蒲焼」だろう。フライパンで焼いた魚に、醤油やみりん、酒、砂糖のタレを、甘辛くからめつける。「煮付け」もむずかしそうにおもえるが、やってみるとそう大したことはない。味噌漬けも、非常に簡単なのに、奥深い味になる。
魚を調理する多くの方法のなかでも、「酢漬け」は、敷居の高いもののひとつだろう。「しめ鯖」などは、寿司屋で出てくるものだから、到底自分でできるようにはおもえない。また仮にできたとしても、非常な手間がかかって、面倒くさいものだろうとおもってしまう。
しかし多くの場合、何かにたいし、敷居が高く感じる理由は、ただ単に「やり方を知らない」だけだ。そのやり方が、実際には簡単なものだったとしても、知らないだけで、むずかしく感じる。
魚を酢漬けにするのも、3枚におろすのが、多少手間がかかるけれど、これは魚屋だって、スーパーだって、頼めばやってくれるし、自分でやってもそうむずかしいこともない。あとはただ、塩をふり、酢に漬けるだけだから、まったく何てことないものだ。
檀一雄「檀流クッキング」に、「小魚の姿寿司」という項があり、これが檀の料理にたいする姿勢を、はっきり感じさせるもののひとつとなっている。
檀一雄は旅へ出かけると、その土地々々の市場へ行く。旅に10日出ていたら、1日くらいは、高級料亭へもいってみるが、あとの4、5日は、
「なるべく場末の、なるべく人だからのしている、立ち喰い屋だの、立ち呑み屋だのに入り込んでいって、なるべく、まわりの人が喰べているものや、飲み物を注文する」ようにし、さらにその他の日には、
「こっそり自分の部屋に帰り、高級料亭で喰べたり、立ち喰い屋で喰べたりした、そのさまざまな料理の復元をやってみたり、または自分流儀の料理を、その土地の材料でためしてみたり・・・」すると、「わが百味真髄」に書いている。
旅行をし、その土地をおとずれる大きなたのしみは、檀にとって、その土地の料理を味わいつくし、自分のものとすることなのだ。
「檀流クッキング」で檀は、旅へ行ったら、「その土地の食べ物を買って帰れ」という。それも、魚なら、高価な大きな魚ではなく、日本海へ出かけるのなら、「サバだの、キスだの、ごくありふれた魚がよろしい・・・」。太平洋岸なら、「アジだの、イワシだの、カマスだの・・・」となる。
それを生で持ち帰るのでなく、背開きか、腹開きに開いて、「塩をして」持って帰るようにする。それを家に帰ったとたん、酢でしめ直し、寿司飯を炊いて、「小魚の姿寿司」を作るというのだ。
檀が説明する、魚の酢漬けの作り方は、非常に簡単だ。
「アジでも、イワシでも、カマスでも、キスでも、小魚は、4、5時間塩した後に、酢で洗い(または水で洗い)、新しい酢の中に1時間ばかりひたしておくと、ちょうどよく魚がしまる。その酢の中に、コンブを敷いておくのもよろしい。好みでは、砂糖を少々加えておくのもよろしいだろう・・・」これは前々から、やってみたいと思っていたのだけれど、昨日、魚屋へ行ったら、新鮮なサンマがおいてあった。ちょうどブログで、「しめさんま」の記事をみたこともあり、このサンマを使い、寿司を作ってみることにした。
サンマは魚屋にいえば、3枚におろしてくれるけれども、自分でやるのも、たいしてむずかしいことではない。
包丁も、立派な刺身包丁などでなく、家にある、ふつうの安物の包丁で十分だ。ただ包丁の刃だけは、よく研いでおくようにする。
まず頭を落とす。
それから腹を、肛門のところまで開き、ハラワタをとりだし、水でよく洗う。
包丁を、中骨の上のところに当て、そのまま中骨にそって、包丁を前後に動かしながら、尾まで切り裂いていく。
反対側も、まったくおなじようにする。
これは非常に簡単だ。あっという間に3枚になってしまう。
腹に腹骨があるから、骨の下に、骨と平行に包丁をあて、これをそぎ落とす。
ほんとうは、中骨も一本一本抜かないといけないというのだが、これはやりはじめたら、死ぬほどイライラしてきて、すぐやめてしまった。もし食べてみて、骨があたったら、次からは抜くようにしようとおもったが、骨はまったく、1回も、口にあたらなかった。だからサンマを酢漬けするばあいは、よっぽど小さな子供でもいればべつだが、中骨は抜かなくて問題ない。
おろしたサンマは、水でよく洗い、水をペーバータオルでよく拭いとって、塩をふる。塩はちょっときつめ(べた塩)にふり、冷蔵庫で4~5時間おく。
4~5時間おくと、ベッタリと水がでている。これを水洗いし、その水をよく拭き取り、酢に漬ける。
酢には、ほんのちょっとの砂糖をくわえておく。昆布をいっしょに入れておくようにする。
酢につける時間は、「1時間」。表面は白く、中はまだ赤い、ちょうどよい「レア」の加減になる。
ここで皮をむくのを、忘れないようにしないといけない。皮は頭のほうから、爪ではがし、肉をいっしょにはがしてしまわないよう、気をつけながら、ていねいにはがしていく。
これでしめサンマの完成だ。
もちろんこれを、このまま食べてもうまいわけだが、今回は檀一雄にならい、寿司にする。
寿司飯を炊くときは、昆布を1枚、入れておくようにする。米といっしょに水にひたしておき、沸騰がはじまったら取りだすようにする。
酢の量は、米の量の10分の1。これを炊けた米にかけ、うちわなどであおぎながら、よく混ぜる。
ラップの上に、しめサンマをおき、その上に寿司飯をのせる。
これにラップをきつく巻きつけ、四方からよく押し、形をととのえていく。
あとはこれを、水で濡らした包丁で、適当な大きさに切り、檀一雄によれば「魚の肌に少々ヒネリゴマでも散らす」のだが、ふつうのゴマがなかったので、すりゴマを散らして、サンマ寿司の出来あがり。
これは非常にうまい。味だけでいえば、このまま店に出してもおかしくない。日本酒もいうまでもなく、バッチリ合う。
サンマのしめ加減も上々。まわりは白く、中はほんのり赤みが残っている。
ただサンマ寿司を作るなかで、一番むずかしいのが、寿司飯をきちんとした形にととのえることで、これはやはり、押しずしを作るときの箱がないと、うまくいかないものなのか。しかし家庭では、多少見てくれが悪くたって、悪いことはないだろう。
昨日の晩酌、あとは湯豆腐。
タレは醤油にかつお節、青ネギ。それを鍋の昆布だしで少しうすめる。
それから漬物各種。農家のおばちゃんから買った、ナスの塩漬けと、自分で漬けたきゅうりの塩漬け、それから、やはり農家のおばちゃんから買った、水菜の塩漬け。
ナスは、ただ塩漬けしただけだそうだが、3ヶ月も漬け込んだもので、強烈な発酵臭がする。ザーサイを、もっとドギツくしたような感じ。これを刻んで、水に10分さらし、生姜醤油であえて食べる。
多分これ、ごま油を使い、肉といっしょに炒めてみたりすると、またうまいのじゃないかと思う。
このナスの塩漬け、家の簡易浅漬器でも漬けられるのか、おばちゃんにきいたら、「石の重しじゃないと無理」なのだそうだ。