昨日はあまり天気がよかったから、嵐山に散歩にでかけた。ビルが立ち並ぶ四条大宮から、路面電車にゴトゴト20分ほど揺られると、もう豊かな自然にかこまれた一帯へとたどり着く。
しばらく歩くと、川に突きでた、掘っ立て小屋のような食い物屋がある。そこでまず酒をのむ。
おでんに冷や酒。
特別うまいものではないのだけれど、川を眺めながら酒をのむのは気持ちがいい。
それからさらに川沿いを進み、亀山公園の展望台へ上がる。
ちょっとした絶景。
竹林を抜け、
野宮神社をながめ、
二尊院の先にある行きつけの食堂で、うどんに冷や酒。
そして最後に、「嵯峨豆腐森嘉」で豆腐とひろうずを買って帰る。
森嘉(もりか)の豆腐については、檀一雄が「美味放浪記」のなかで書いている。
「まったくの話、京都は豆腐がうまい。
『嵯峨豆腐』と云ったら、もうあんまり有名になり過ぎてしまったが、おそらく、『森嘉』の嵯峨豆腐は、日本を代表する数少ない食品の一つであることに間違いない。
その豆腐で作った『ヒロウス(ヒリョウズ)』は、勿論のこと、東京のガンモドキだが、東京のガンモドキの粗雑で、いいから加減のものとは桁違い、キクラゲの歯ざわり、銀杏や百合の根のねばっこい口あたり、『オの実』のぱりぱり、製品に対するよほどの愛着がなかったら、ああいう結構な食べ物は維持出来ない。と云うより、『森嘉』の豆腐やヒロウスを愛好し、選び、育てていった、京都市民の洗練された味覚をほめるべきかもわからない。」
森嘉の豆腐は、嵐山で湯豆腐をだす店の多くで、食べることができる。
嵐山で湯豆腐を食べさせる店は、それこそ無数にあるのだが、おすすめは、天龍寺の境内にある「西山艸堂(せいざんそうどう)」だ。嵐電嵐山の駅を降りると、目の前にある。この店のことも、檀一雄は美食放浪記に書いているが、他の店とくらべ、値段がそれほどでもないわりに、きちんとしたものが出てくるといえると思う。
しかし僕はもちろん、湯豆腐は家でやる。
湯豆腐は、たっぷりの昆布出汁に、豆腐を泳がせるようにしておくと食べやすい。小さな鍋でやると、豆腐をとり出す時に、崩れてしまったりするから、大きな土鍋がなければ、フライパンをつかうのがいい。上の写真の豆腐の量は、湯豆腐屋では2人前にあたるのだが、いうまでもなく一人でぺろりと平らげてしまうことになる。
湯豆腐は、豆腐を「煮る」ものではなく、「温める」ものだ。だから出汁を沸騰させてしまわぬよう、コンロの火加減を調整する。
タレをどうするかが問題だが、昨日森嘉の店員に、詳しくきいたみた。そしたら
「昆布出汁だけ、いい昆布をつかってちゃんと取ってもらったら、タレは生醤油でも何でも、お好みのものでいい」
とのことだった。
三条会商店街の豆腐屋のおいちゃんは、「ポン酢に大根おろし、青ねぎ、それに唐辛子を振る」と言っていた。
昨日は醤油にかつお節、青ねぎ、それを鍋の昆布出汁で割って、タレにした。
京都の豆腐というと、よくスーパーに並んでいる、ド派手な劇画調パッケージ「男前豆腐」の、濃厚な味をイメージする人がいるかもしれない。でも実際の京都の豆腐は、そういうものではない。ひと言でいえば「特徴のない味」で、いくらでもスルスルと食べられてしまう。
しかしほんとうにうまいものに、下手な特徴など無いものだ。雑味が皆無の、やわらかく、なめらかな味わい。濃い味に慣れている現代人にとっては、どこがうまいのか、はじめのうちは、わからなかったりもするのだけれど、何度も食べているうちに、ある時、
「うまい・・・」
と思えるようになる。
ひろうずは、出汁で炊き込んだ。
「森嘉」の店員のお姉ちゃんは、「うす味でも濃い味でもお好みしだいで」と言っていたが、三条会商店街の豆腐屋のおばちゃんは、
「こってりめに炊いたほうがおいしい」
という。
そこで昨日は、みりんと醤油で、すこしこってりめに味をつけた。
出汁はだしパックで取り、酒もすこし入れた。
15分くらいコトコト煮て、あとはそのまま冷まし、しばらくおく。一晩おいたっていい。
ひろうずの中に入っているのは、キクラゲと百合根、それに銀杏。
豆腐の上品な味に、これらの具がなんともよく合い、そこに出汁の味がしみているのはたまらない。
あとはアサリのしぐれ煮。
アサリは中国産のむき身が、グルメシティで安く売っているから、アサリを炊き込んでしまうような時には、いつもそれをつかう。塩水で軽くもみ洗いして、よく水ですすぎ、水を切っておく。
そこに生姜の千切りを刻みこむ。
たっぷりの酒と多めのみりん、それに味を見ながら醤油を入れ、中火でガンガン炊く。汁が煮詰まり、ほとんどなくなれば出来あがり。
ようやく安くなってきたほうれん草の、おひたし。
などなどの肴で、昨夜は冷や酒を2合のんだ。