このサイトは、おっさんひとり飯の「旧サイト」です。
新サイトはこちら
へ移動しました。
なんでサイトを移動したの?⇒ こちら

2011-04-04

けんちん汁

しかしこうやって、原発の状況がなかなか収束せず、こんどは放射能に汚染された水が海へ流れ出し、それを止めるためにタンクに入った汚染の濃度が低い水を海に放出するなどという事態になって、いや僕は、もう原発が収拾不能の大破局になるとは、フランスやアメリカが介入してきた今となっては思ってはいないのだけれど、東電の会長が「状態は安定している」といいながら、ぜんぜん安定していないこの状況、日本が戦後60年以上にわたって積み上げてきたものは何だったのかと、呆然としながら思いを馳せてしまうわけなのだよな。

外国の人たちは、原発にかんするこの日本の体たらく、恐怖とともに、あきれているのは間違いなく、ところがもう一方で震災において、パニックにもならず落ち着いて、他人のことを思いやるという世界に賞賛された日本の美点もあって、両者には天と地かとおもうほどの計り知れない落差があるわけなのだが、この両方をあわせてまさに日本、ザ・日本、ということなのだろうな。

日本は類まれなるすぐれた工業製品を生み出し、世界を席巻したのだけれど、けっきょく最後になって、自分の尻も自分で拭けないということが白日のもとに晒されたのであって、その根本において、何か決定的なものが欠けていたのだと思わざるをえない。それが何なのかということを、おそらくこれから数年かけて、考えていくことになるのだと思うけれど、まあしかし、これはなにも今に始まったことではなかったわけで、今回のような悲惨な災害があってはじめて、日本人の多くがその問いの存在に気が付いたということなのだから、「天網恢恢疎にして漏らさず」というが、まさにその通りだということを実感する。

日本人にはおそらく大昔から、「お上意識」とでもいうようなものがあって、それは僕自身を振り返ってみてもまさにそう思うことなのだけれど、
「大事なことは上の人たちがちゃんと考えてくれるだろう」
とおもってしまって、下々の者は現場で自分のできる範囲のことを精一杯やればいいのだとおもってしまう。
そうやって戦後の企業戦士たちは、日本が経済成長するために全力で戦ってきたのだけれど、けっきょくこの国難ともいえる時に立ち至ってはじめて、政府や経産省、東電などといった「お上」は何も考えてくれていなかったということがはっきりした。
それは江戸末期の黒船襲来や、太平洋戦争敗戦などというのも同じことだったのではないかという気がするのだけれど、引き続きあいも変わらず、日本人はそれを繰り返しているわけだ。

今回も東京都知事選で、「自分は原発推進論者だ」と公言する石原慎太郎が優勢だったりするわけなのだが、「原発がほんとに必要なのかどうか、もう一回白紙のとこから考えようよ」などということよりも、とりあえずこの非常時に、ものをスパスパ決めてくれそうな人を好むという体質が、日本人には抜きがたくあるわけで、それが日本を、革命や内戦などの極度の混乱から救ってきたということはあるのだと思うが、なんだか今度もけっきょく、いちばん大事なところがうやむやにされたまま次にすすんでしまうのかなという気もしなくもない。
そうなると復興は早いが、何十年かしてまた今回と同じようなことが起こることになるわけで、まあしかし、それが日本人なのか。仕方ないことなのかもな。



とまだ始まってもいないうちからすでに諦めモードになりつつ、昨日は鶏モモ肉が食べたい気分だったのだが、水炊きにするか、塩焼きにするか悩んだ末、結果はけんちん汁。
まったく悩んだ意味がなかったわけだが、汁物というのは意外に酒のつまみになって、作るのも簡単だし、しかも野菜を大量に入れられるというので、このごろかなりのマイブームなのである。

昆布とだしパックでだしを取り、みりんと淡口しょうゆで味付けした汁で、肉と好きな野菜を煮るだけだから、あまりにも簡単。アクも取らない。
七味をふって食べると、これがまたうまい。
これにサトイモを入れたらよかったなと、食べながらおもった。

酒はふたたび福島の酒「奥の松」。以前は純米吟醸をのんだが、今回は本醸造。1,700円くらいだから、値段も手頃。
この奥の松酒造も、地震で被害は出たけれど、なんとか復旧して、来週あたりから出荷できる見込みになったのだそうだ。

奥の松酒造

この「奥の松」にしても、それから「大七」にしても、福島の酒というのは日本酒の「コク」をちょっと強めに、しかし微妙な加減で強すぎないくらいに出しているのだな。
いまはそういうコクがまったくない、「淡麗」な味が好まれているわけだけれど、やはり酒のコクというのは、料理でいえば「アク」であって、「アクも味のうち」というけれど、これをどういう強さで按配するのかということが、その酒の「特徴」や「品」を決めるものになるのだと思う。
広島呉の酒「千福」や、庄原「花酔」などは、これをかなり強くだして、「男」を主張してくるのにたいして、京都の酒は弱めにいれて、「はんなり」とした味にキメてくる。
「奥の松」や「大七」はその中間くらいで、「素朴で品がある」という風情だな。

今日の昼はけんちん汁の残りに白めし。
昨日グルメシティで米を買おうと思ったら、京都ではこの2週間、米が品不足になっていたそうで、ほんとは2キロの無洗米がほしかったのに、けっきょく5キロのふつうの米を買う羽目になった。
でも今日みたら、一日ちがいで2キロの無洗米が大量にならんでいたので、もうだいじょうぶみたいだ。