「塩お好み焼」が話題だが、普通の肉玉そばも、関西風をベースにしながら、変わった焼き方をするらしい。
ただの肉玉そばだったら600円。
焼き方だが、確かに変わっていた。
まず麺を袋から出して鉄板で温め、それから生地を丸く伸ばす。
生地に魚粉をかけ、細い千切りのキャベツ、そこに紅しょうが、青ねぎ、また魚粉をかけ、たっぷりの天かす。
そしてやおら、その上に、温めていた麺をのせ、そして三枚肉を三枚。
普通は麺は、中に入れるならキャベツの下、または別に焼いて、肉の上、に入るから、この場所はかなり独自だな。
ひっくり返してしばらく蒸らし、再び戻すと、肉と麺は、きつね色にこんがり焼けてる。
肉から出た脂も、麺が全部吸い込んでるだろうから、うまそうだな、麺が。
それからまた次がすごい。
こんがり焼けた上面にソースを塗り、化学調味料をかけたら、その真ん中に、コテでほじくって直径3センチほどの穴を開け、その周りに土手のように青ねぎを盛り上げたら、その穴に、生卵、これを割り入れるのだ。
すりゴマをふりかけて出来上がり。
卵は割って、よくねぎにまぶしてください、とのこと。
このお好み焼、かなりうまい。
細切りキャベツが、しんなりしながらも、まだ水を含んでいるという感じで、全体としてふわっとした仕上がり。
好きなんだよな、僕は、こういう、ふわっとしたお好み焼。
そのふんわり感を、生卵が上部の麺や、また穴を通して下のキャベツにも浸透するだろう、それが後押しするようになっている。
しかしただふんわりしているのではなく、麺はこんがり焼けているから、このこんがりとふんわりのコントラストも楽しめる。
広島のお好み焼にはまず入ることのない、紅しょうがが、またいい味のアクセントになっている。
全体としてかなり繊細な、そして上品な味だ。
女将がよく話をしてくれる人で、聞くと女将のお母さんが、大正時代から、大阪でお好み焼き屋をやっていたそうだ。
その頃の関西のお好み焼、聞いてちょっと驚いたが、具を生地に混ぜ込んでしまって焼く、今のやり方ではなく、「洋食焼き」と言っていたそうだが、鉄板に生地を丸く伸ばして、キャベツをのせて、紅しょうが、天かすをかけ、しかしその頃は肉や麺ではなく、とろろ昆布やら竹輪やら生イカやら、そんなものをのせて、ウスターソースをかけ、半分に折って出していたのだそうだ。
具を生地に混ぜ込むやり方は、戦後、繁華街で数をこなすために編み出された、新しい焼き方なのだとか。
今でも大阪の街の駄菓子屋などでは、その焼き方で焼いたお好み焼を出す店があるのだそうだ。
関西と広島、今ではお好み焼はかなり違ってしまっているが、元は一緒だったということなのだよな。
女将は、その、お母さんが焼いていたお好み焼きをベースに、その良さを壊さぬよう、麺と肉、卵の入れ方を研究し、この焼き方にたどり着いたのだそうだ。
ただ単に他とは違ったことをしようとして、このような変わった焼き方をしているのではないのだな。
だからこのお好み焼は、関西風でも広島風でもなく、お好み焼の原点を、女将が独自に発展させた、言ってみればガラバゴス諸島の動植物みたいなものなのだ。
すごいな。
女将は元々、熊野で10年ほどお好み屋をやっていて、それからしばらく、色んな事情で中断していたのだが、お好み屋をまたやりたい、と思い続け、縁あってこの場所で4年前、再度店を始めたそうだ。
どうしてそんなにお好み屋をやりたいと思ったのかと聞いたら、お客さんが来てくれて、食べておいしいと言ってくれたり、色々話をしたり、そういう人と人との出会いが楽しいから、なのだそうだ。
実際、一見の僕にも色々話しかけてくれ、自分の身の上話に近いような話もしてくれたり、また今日は午後3時からの休憩時間以後に、お客さんがバタバタ何人か、入ってきたのだが、ダメとも言わずにそのまま入れて、ちゃんとお好み、焼いていたし。
ラーメンとかだと、もうすでに仕込んであるものを、ゆでたり入れたりしてすぐ出せるが、お好み焼は、客の目の前で延々と焼かないといけない。
そこで交わされるやりとり、そして醸し出される和気あいあいの空気というのは、飲み屋は別として、お好み屋ならではだよな。
この店、かなり田舎にある、何でもないお好み屋なのだが、確かに話題になるだけある、実際ほんとにいい店なのだと思った。
お好み焼 「せと」 (お好み焼き / 八本松)
★★★★☆ 4.0