このブログを書いていて思うのだが、好きな事というのは、書くのが難しい。嫌いなことは簡単だ。あと面白いことも、そう難しくはない。
要は書こうとする対象との距離の問題なのだ。嫌いなことを書くときには、その対象と距離を置き、完全に客観的に書くことができる。面白いことというのも、似たようなものだ。
しかし好きなことを書こうとする場合、やはり一番伝えたいのは「自分がその物事を好きであるということ」なのだ。しかしそれは、それそのままでは言葉にならない。自分がそれが好きだ、という時、それと自分とは完全に一体化してしまっているからだ。だから好きなものを書こうとする時、その好きだという気持ちを抑えて無理やり少し距離を置き、言葉にしていくという作業が必要になる。
キングはこの本の中で、それをやり切ったんだなぁ、と思う。
キングがこの本を通して伝えたいことはただ一つ、「自分はホラーがほんとに好きだ」ということだけだ。しかしそのことを表現するために、自分がどんなにホラーが好きかを余すことなく伝えるために、こんなにたくさんのページ数が必要だったのだ。
ホラーというものが基本的にどんなものなのか、という話から、1950年頃から80年頃までのホラー映画、テレビ、そして小説について、いくつかの作品を引き合いに出しながら論じていく。しかし読んでいくうちに、だんだんと疑問が沸いてくる。一体この本は何なのだろう?キングは何をしようとしているのか?評論なのか?しかし評論にしては、あまりに冗長で、饒舌で、余分な話が多い。この分量の三分の一くらいで書けるんじゃないか、そんなことを思ったりもした。しかしそんな疑問を持ちながらも、やはりキングの筆力は偉大なのだ。ちょっと戸惑うこちらをぐいぐい引っ張り離さない。
そうして最後まで行き着いて、初めて解ったのだ。これは評論ではないのだ。キングのホラーに対するラブレターだったのだ。それが解ってすべてが腑に落ちた。キングはホラーを外側から、客観的に評論することはできない。なぜならそれはキングが何より好きなものであるし、さらにはキング自身がホラー作家だからだ。自分が外側に立ってしまうことなく、ホラーを語りつくすためには、あの冗長で饒舌に見えるおしゃべりによるしか方法がなかったのである。
読む前は、この分厚い本に、どんなおどろおどろしいことが書いてあるのだろうと思った。しかしこの本に溢れているのは愛である。ホラーに対する、そして人間の夢と希望と、生きるということに対する賛歌である。
安野玲訳、バジリコ株式会社。3,600円+税。
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