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2012-09-14

イカワタのさわやか炒め、踊る大捜査線ファイナル

昨日の晩酌・・・。

おととい作った豚肉の炒め物は、ほんとはイカを使ってやりたかったもので、昨日は新鮮なスルメイカが魚屋にあったから、ほとんど同じなのだけどまた作った。
イカをワタも使って、ジャガイモ、万願寺とうがらしと炒め合わせるもので、味付けはオリーブオイルに鷹の爪、それにしょうゆバターとレモン汁でする。

イカワタ炒めはオリーブオイルにニンニクのスペイン風や、味噌バター、しょうゆバターなど色々な味付けがあるけれど、僕は今回の味付けは、日本の食卓には最強なのではないかと思う。

イカワタを使うから丸ごとのイカをさばかないといけないのが面倒といえば面倒だけど、基本的に切って炒めるだけだから、あっという間にできてしまう。





イカは中身をはずし、さらに中身は目の下で切って3つに分ける。

胴は中にタテに入っている軟骨を抜いて輪切りにする。

ワタ袋は横に通っているスミの管を手ではずし、包丁で切れ目を入れてワタを器にしぼり出し、あとは捨てる。
しぼり出したワタに日本酒としょうゆ各大さじ1をくわえ、スプーンでワタをつぶしてよく混ぜる。

下足は根元にある固いクチバシをはずして吸盤の軟骨をしごき取り、ぶつ切りにする。





フライパンを強火で熱し、オリーブオイル少々をひいて細切りにして水にさらしたジャガイモを透き通るまで炒める。






ジャガイモは皿にとり出し、再びオリーブオイル少々をひいて万願寺とうがらしかピーマンを炒め、これも皿にとり出しておく。






オリーブオイル少々をひいてイカと輪切りの鷹の爪少々を炒め、イカがピンク色になったらイカワタの合わせ調味料とバター1かけを入れる。






ちょっと炒めたらジャガイモと万願寺とうがらしをもどし入れ、全体を混ぜたら小さじ1の片栗粉を大さじ1のポッカレモン100で溶いたものをまわし入れてトロミをつける。






イカワタのさわやか炒めの出来あがり。
臭みはまったくありません。





これは酒が進みまくりだ。







近所の映画館へ「踊る大捜査線ファイナル」を見に行った。
まったく期待していなくて、「たぶんつまらないだろう」と思っていたんだけど、いやー、よかったわ。

つまらないと思うなら見に行かなければよさそうなものだけど、僕の場合そういうわけにもいかない。
もしまた踊る大捜査線が新しく封切られることがあれば、かならず行くと思う。

一言でいえば、あの世界にハマってしまっているということで、織田裕二扮する青島刑事や深津絵里扮するすみれさんほか湾岸署の署員たちが、もう他人とは思えない。
作品として面白いかそうでないかは二の次になってしまっていて、たぶんフーテンの寅さんを見つづけた人たちも、同じ気持だったのではないかと思う。



踊る大捜査線の何がいいかといえば、あの「世界観」ということになる。

一世代前の代表的刑事ドラマ「太陽に吠えろ」が、石原裕次郎扮する「ボス」を中心とする現場の刑事たちを「善」として、また警察官僚を「悪」として描いて、「善悪」の構図だったのに対して、踊る大捜査線は単純に善悪の構図をとらない。
もちろん非人間的な警察官僚にたいし、「現場」のすばらしさをうたうという意味では太陽に吠えろと同じだけれど、警察官僚の中に柳葉敏郎扮する室井管理官を配することで、組織をただ「悪」として捉えるのではなく、「組織も現場の働きにより変えていけるものだ」という希望を抱かせるものになっている。

僕が踊る大走査線を初めて見たのは30代半ば、組織の矛盾に悩みはじめる年頃で、踊る大捜査線の組織の非人間性を認めながらもそれを前向きに捉えようとする世界観に大いに共感し、テレビシリーズのビデオを3回立てつづけに見て、3回とも号泣したものだった。



去年だったか、封切られた3作目はまったくの駄作で、何が言いたいのか全然わからないものだったから、3.11をきっかけとして生じた日本の大変化に踊る大捜査線はついて来れなくなったのかと思っていたけれど、今回の「ファイナル」では今の時代の問題点を正面から受け止め、そこでこれから日本人がどうして行くべきかをはっきりと主張したものになっていて、その主張が僕にとっては「ど真ん中ストライク」と思えるものだった。



これから見る人のために詳しいことは書かないけれど、今回警察官僚は組織と自分の立場を温存するためにある事件を「もみ消し」することとなる。
そこで腐敗した官僚にたいして「正義」を行おうとする人たちが現れるのだけれど、ストーリーは悪を断罪して正義を持ち上げるのでなく、「現場」にそのどちらでもない新しい世界を見出そうとするものになっている。

もちろん人間は、前向きに生きようとしたら自分が正義を行なっていると思える必要がある。
でもその正義は、決して大義名分としてあるものではなく、現場で一人一人が具体的な人に向き合うことで果たされていくものだと踊る大捜査線は説く。

僕にとっては、この主張はまさに共感できるところであり、涙が出て仕方がなかった。



もちろん今回のファイナルは、生硬な主張を抜き身でふりまわすようなものではなく、作品の質としてもとても高いと思う。
ストーリーもよく練られていて納得できないようなところはないし、随所に笑いも散りばめられている。

組織でなく、「人」を信じることにより事件が解決していくという踊る大捜査線一流のファンタジーは、「ありえない」と思いながらも泣けてくるし、青島刑事とすみれさんの恋の顛末もいい。

踊る大走査線を見つづけてきた人はもちろん、初めて見る人も十分楽しめると思う。