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2011-06-07

大連立ってどうなのよ、いわしの梅煮

きのうから突如「大連立」という話が聞こえてきたんですが、これどうなんでしょうね。

第一印象として言えば、なんだか「きなくさい」ですよね。
菅首相が、いつまでも居座るのでなく、わりかし早めに退陣しますよ、というメッセージを、民主党岡田幹事長はじめ閣僚が発言しはじめたのとあわせて、岡田幹事長の口から、大連立の言葉が出てくる。
それに呼応するように、自民党の石原幹事長も、菅総理がきちんと早く退陣してくれるのなら、大連立に加わってもいいですよ、とかいうエールを送る。

僕はまず、岡田幹事長も石原幹事長も好きじゃないんですよね。
ふたりとも、「馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべながらひとを叩く」というようなところがあるように思う。
今回の自民党の不信任案についても、石原幹事長は、菅首相にたいする人格攻撃を、余裕たっぷりに、さも見下したような態度でやってみせる。
菅首相にリーダーシップがないというなら、おまえにはあるのかよ、と僕などは聞きたくなる。
また岡田幹事長も、小泉内閣の当時、小泉首相にたいして不信任案を可決させたとき、民主党の代表だったわけだが、まったく同じような態度だった。
それを小泉首相が郵政選挙に打って出ることによってまんまとひっくり返されて、それからしばらく浪人生活を送っていたわけだけれど、どうもそういう、ひとを小馬鹿にしたような態度は、あまり変わっていないような感じがする。

だいたい大連立などということになると、自民党も、内閣の一員になるということなのだから、これまで自民党がやってきたことについての責任が、まったく問われないことになってしまう。
原発の危険性を過小評価し、今回の福島原発の事故であれだけの被害をもたらしたのは、自民党の責任なのだから、本来自民党は、そのことについて、自分できちんと総括してもらわないと、次には進めないはずだ。
大連立というのはまさに、その責任をなあなあにして、不問に付すということができるようになるわけだから、それが自民党にとっては都合がいいのじゃないかと疑いたくなる。
じっさい大連立にたいして、諸手を上げて賛成しているのは、これまで原発を強力に推進してきたひとたちである読売新聞と経団連。
これはぜったい、自分たちの責任を問われたくないということなんだな。
また大連立というのは、そういうひとたちが入れ知恵しているということもあるのだろう。

大連立を組むということについて、その理由として、
「復興をスピード感をもって、やらなければいけない」
ということがあげられる。
これはもちろん、そのとおりではあるのだけれど、それが錦の御旗みたいに使われるというのが、僕は気に食わない。
ちょうど、以前枝野官房長官の記者会見などで連発されていた、
「専門家の方々のご意見を聞いて」
というのと、おなじような感じがする。
専門家と言われると、それはそれで正しいような気がしてしまって、素人は思考停止してしまうところがあるのだけれど、しかしその後、その専門家というものが、とんでもないひとたちであったということがわかってきたりして、今では「御用学者」などと呼ばれるようになっているわけだ。
復興を急がなければならない、ということも、本来は、「どのように復興するのか」ということが、大事なことであるはずなのに、それがぼっこり抜け落ちてしまうところがあるような気がする。
復興というのは、いわば巨大な利権でもあるわけだから、気を付けないと、とんでもないことになりかねない。
今ごろハゲタカが、大連立を手ぐすねを引いて待っているんじゃないか。
じっさい阪神淡路大震災の復興では、官庁と業者が結託することによって、住民不在の復興を招いてしまったという批判があるという話も聞いている。

大連立は、民主党の仙石副官房長官と、自民党の大島副総裁が連携して画策しているそうだが、僕はそんなことは、やめてくれと言いたい。
そうではなく、自民党はあくまで閣外で協力するようにして、復興の内容について、きちんと国会で議論しながらやってもらいたいと、声を大にして言いたい。

きのうの昼めしは、ふつうにうどん。

でもちょっと、水加減をまちがえて、汁気がすくなくなってしまった。

晩めしは、いわしの梅煮。

これは、煮加減はよかったのだけれど、塩辛くなってしまった。
梅干しを3個も入れて、さらにふつうに醤油を入れてしまったことが原因なんだな。醤油はちゃんと味見したのだけれど、煮汁が冷めるにつれ、梅干しの塩分が汁にしみ出してくるということがあるのだろうな。

料理の加減を立てつづけにまちがう日って、時々あるんですよね。