やはりまず、出発点として確認しなければいけないことは、今回の賠償問題が、法律上、どう決められているのかということだろう。もちろんその法律だって、今回のような、すでにチェルノブイリをすら上回ろうかという、巨大な規模の事故を想定していたわけではないだろうから、法律だけですべてが決められるものではないだろうけれども、それを出発点にするというのは、やはり大事なことだろう。
そうすると、
「原子力損害の賠償に関する法律」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E6%90%8D%E5%AE%B3%E3%81%AE%E8%B3%A0%E5%84%9F%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B
というのがあり、そこに
「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」(3条1項)と書いてあるのが、今回の賠償問題を考える上での出発点になる、ということになる。
ここにはっきりと書かれているのは、今回の賠償をおこなう者は「東京電力」であるということだ。またこの法律解釈として、
「事故を起こした原子力事業者に対しては、事故の過失・無過失にかかわらず、無制限の賠償責任がある」という、「無限責任主義」というものがとられているのだそうだ。
先日僕がこの賠償問題について書いた投稿にたいして、コメントをいくつかもらい、それがBloggerの不調で消えてしまったから、もう一回ここに掲載させてもらうと、まず「さいちゃん」という方から、
「おなじ京都ですね。ポチッと押しておきました。今回結構東電にペナルティー課せられてるとは、思いますけど。自民党も民主党も残念なので、どうしようもないですし。困ったものです。また拝見させて頂きます! 」というのをいただいた。
「ペナルティー」というのは、気持ちはわからないこともないのだけれど、考え方として逆であり、まず賠償を全額支払う責任は、原則として、あくまで東京電力にあるのであって、そこから出発しなければいけない。当然東京電力が払うべきものを、どの程度「救済」するかという問題は、たしかにあるだろうとおもうけれども、「どの程度ペナルティーをあたえるか」ということは、問題にはならないのじゃないかとおもう。
それにたいして、東京電力は「要望書」というものを提出していて、
http://www.asahi.com/national/update/0504/TKY201105040358.html
そのなかで、
「全額を負担すると最大限のリストラをしても賠償費用を払うことは困難」と主張している。
「被害救済には国による援助が必要不可欠とし、援助がない賠償の枠組みは原子力損害賠償法(原賠法)の趣旨に反する」
また民主党内では、「電力関連企業の労働組合から支援を受けている議員」を中心に、
「東京電力に無限の責任を負わせるもので、原子力政策を国策として進めてきた国の責任や負担の在り方があいまいだ」という異論がでているのだそうだ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110514/k10015886191000.html
じっさい、僕の投稿にたいするコメントでも、Masamiさんという方から、
「いつも楽しく読ませていただいております。ただ東電の問題に関しては・・難しいですね。水俣病の時の賠償問題に似てると思います。まああの時のように無過失賠償ではないのかもしれませんが今回も実際の過失割合から考えると国と東電9:1くらいだと個人的には感じております。水俣病の時は完全に国の10割責任だというのに企業に賠償押し付けたし、この国のそういう所が世界の信用をなくしてるんでしょう。この国はいくつもの法律で国の責任を逃れ企業に押し付けるようにしています。これは自民党時代に起こしたことなので菅さんには責任はないんですがね。冷静に考えれば東電の責任ってそれほどないのは誰にも明らかでしょう。普通の民間企業ならほんとこの国から逃げ出したくなるでしょうね」というのをいただいている。
これは、上の原子力損害賠償法に、
「賠償措置額(1,200億円)を超える原子力損害が発生し、原子力事業者が自らの財力では全額を賠償できない等の事態が生じた場合は、国が原子力事業者に必要な援助を行い、被害者救済に遺漏がないよう措置すること」という定めがあり、必要に応じて、賠償を国が援助するということを決めているということからくるのだろうが、これはあくまで「被災者救済」のためであり、東京電力の責任を免ずる、というものではないだろう。
また、国が支払うお金というものは、あくまで僕たち国民が、税金として支払うものであるということも、よく考えなければいけない。
東京電力は、みずから「賠償金を支払うことは困難」といっているように、本来自分の責任で払わなければいけないお金を、払えない、という状況にある。これはいわば、「借金が返せない」といっているのとおなじで、いちばんシンプルに考えるとすれば、東京電力はすでに、実質的に「つぶれている」のである。
それにたいして、政府は東京電力を「救済する」措置をとり、東京電力にお金を貸して、それによって、東京電力が企業として存続したままで、賠償をおこなっていくことができるような枠組みを、閣議決定した。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105130140.html
いま考えなければいけない問題は、
「それでは本当に、そうやって東京電力を救済してよいのか」
ということになる。
いまの政府の枠組みでは、東京電力の資産は、基本的に守られることになる。枝野長官は、
「銀行団が債権放棄を行わなければ東電に対する支援は実行できない」といったそうだが、
http://www.asahi.com/business/news/reuters/RTR201105130121.html
それにどの程度の実効性があるのか。また株主の責任は、ここに至ってもまったく問われていない。それ以外にも、東京電力には、処分が可能なさまざまな資産があるのだろうが、今回のように東京電力を存続させるということでは、その処分がどの程度できるものなのか、よくわからないことになる。
東京電力を救済せず、きちんとつぶしてしまって、会社更生法によって再生させるという枠組みも、考え方として言っているひとがいる。
http://www.youtube.com/watch?v=W04tkDoubY4
http://www.youtube.com/watch?v=_pckp9o4He4
それによれば、被災者へ速やかにお金を支払うということについては問題がない。また東京電力がつぶれてしまったからといって、電気が止まることもない。日本航空がつぶれたからといって、飛行機が飛ばないことはなかった、というのとおなじだ。
僕は東京電力の、震災以来の対応をみていて、ほとほとダメな会社だとおもっている。震災後、
「今回の津波は想定外だった」
ということばが象徴的だが、じっさいには津波の危険は、かなり以前から、何度も指摘されていたにもかかわらず、東京電力はそれを無視してきたということだ。また記者会見に、重役がきちんと出てこず、ペーパーを棒読みしなければ何も応えられない下っ端の広報社員ばかりを出してきたり、何週間もたって、やっと副社長やら会長やらが出てきても、被災者への真摯な気持ちよりも、自分の会社をなんとか守りたい、ということばかりが感じられた。2ヶ月もたって、社長が土下座したりしてみたが、いまさらそんなことしてもらっても、なんとか責任を逃れるためのパフォーマンスとしか感じられない。
河野太郎氏は、今回の賠償について、
「事故の責任者として、東電には、逆立ちしても鼻血も出ないという状況まで賠償させなければならない」といっているが、
http://www.taro.org/2011/04/post-985.php
僕もまったく同感だ。
足りない分はもちろんのこと、国民が負担することになるだろう。でもそのまえに、東京電力に、あるったけのものを出させなければならない。
不要な救済をすることは、ものごとをかえってややこしく、複雑なことにさせるという以上の効果はないと、僕はおもう。