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2011-05-01

かつおのたたき風巻き寿司

僕は福島の原発事故以来、原発問題の「にわかウォッチャー」になってしまっているわけで、たぶん全国で1万人くらいは、今まで原発のゲの字にも興味がなかったくせに、震災以後ニュースなんかを見ているうちに急に詳しくなったような気になって、専門家気取りで話しているやつとか、いるんじゃないかと思うのだが、僕もその一人だっていうわけ。

それでテレビや新聞などの報道では飽きたらなくなって、ネットをチェックするようになって、ツイッターやら、ブログやら、毎日けっこうな時間をかけて見ているのだけれど、さらにそれが、「現代思想」の東日本大震災特集号を買うというところまで行き着いてしまったという次第。まったく何やってんだか、って話だな。

これを読んでみると、いかにも革命家気取りのアホも書いていたりするのだけれど、にわかウォッチャーにはためになる、けっこうきちんとしたものを書いている人もいる。その第一は、「吉岡斉」という人が書いた、「福島原発震災の政策的意味」という論文。

吉岡斉は、Wikipeiaによれば、1953年生まれだから、いま57歳、東大理学部物理学科を卒業し、それから修士課程で、村上陽一郎という、日本の科学史家としては第一人者のところで科学史を学び、そしてなぜか博士課程を中退。和歌山大学経済学部講師からキャリアをスタートして、現在九州大学教授、副学長だというから、なんだかちょっと、異色な感じのする人だな。毎日出版文化賞やらエネルギーフォーラム賞やらというものも受賞している。原子力関係についても何冊か本を書いていて、この「現代思想5月号」のなかのいくつかの他の論文でも、その本が引用されているから、原子力関係の科学技術史については、第一人者ということなのだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B2%A1%E6%96%89

さすが物理学科卒で、原発について長年ウォッチしてきた人だけのことはあって、にわかウォッチャーとはエライちがいで、冒頭で事故の経過をまとめているのだけれど、たぶん独自の情報入手経路もあったりするのだろうな、報道などからはうかがい知れないようなことまでが、ポイントを押さえてわかりやすく書いてある。初動対策でしくじって、「失われた一日」ができてしまったことが、その後の事態の深刻化をまねいたこととか、メルトダウンはおろか「メルトスルー」という、圧力容器の底に穴があき核物質がさらに下に落下していく危険があることとかが書いてある。現在1号機から3号機では冷却作業をすすめているわけだが、いちおうそれは、それなりに順調にすすんでいるようではあるが、炉内での発熱と冷却のバランスが崩れれば、圧力容器や格納容器の大破事故につながる可能性が十分にあり、予断を許さない状況が当分のあいだ続くのだそうだ。

事故がこれほど深刻な事態におちいった原因について、まず福島原発が設計されるときの、その「想定」自体が、防波堤の高さが5メートルほどだったりなど、あまりに低すぎるものだったということ、そして「失われた一日」など初動対策の不手際、また海水の注入が、設備が使用不能になることをおそれた東電が抵抗したために遅れたことからわかるとおり、国家非常事態を収集するための指揮系統が、東電の拒否権をみとめるような、官民の癒着構造のうえに立てられたものであったということに加えて、過酷事故にたいする事前の「シミュレーション」が欠如していたということを上げている。原発が安全審査をパスするには、どのような過酷事故が起こっても絶対に大丈夫だという建前を押し通す必要があるが、それはあくまで「表の世界」のことであり、ほんとは何が起こるかわからないのだから、「裏の世界」では、ありとあらゆるシミュレーションをおこなっておくということが、技術者としての当然の常識であるはずなのだが、油断してそれを怠ったことが、対応の不手際を次々と生みだす大きな要因であるという。

避難地域の設定について、政府はきちんとした計算の根拠をしめさずに、場当たり的な対応を繰り返しているから、住民がいきどおるという事態をまねいてしまっているが、現在の屋内退避指示が年間10ミリシーベルト以上、避難指示が年間50ミリシーベルト以上というのも、実際には高すぎる数値であって、公衆被爆の線量限度は1ミリシーベルトであろうという。緊急時に作業員などが被爆する場合と異なり、多くの住民が被爆する場合には、線量が上がるにつれて、ガンで死ぬ人の人数が確率的に増えるからだ。100万人の人が、年間に1ミリシーベルトの放射線を浴びると、50人の人が、ガンで亡くなることになるのだそうだ。しかし現在、福島市や郡山市の中心部では、この限界を大幅に超えていると見られるそうだ。

これからの原子力政策の転換については、まず原子力安全・保安院を解体し、独立性の高い原子力規制委員会をつくること、原子炉の新設禁止と既存の原子炉の総点検をおこなうこと、国策として原子力発電を拡大するということをやめ、立地支援や研究開発支援、安全規制コスト支援、損害賠償支援などをおこなってきていることを、すべてやめること、そして東京電力を解散し、電力自由化をおしすすめるための、発送分離などをふくめた、電力体制の再編が必要であると提案している。

原子力の問題というと、ついつい、「推進派」と「反対派」の対決という構図になりがちなのだが、この吉岡氏は、中立的な、というよりむしろ、様々な要因をすべて考え合わせたうえでの「現実的な」ものの見方をしていると感じられ、好感がもてた。しかしこの現実的な提案すらも、現在の政府の様子をみると、かえりみられないかもしれないわけで、それをこれから決めていくのは、最終的には国民である、ということになるわけだ。

昨日の昼めしは、新福菜館三条店。

いや相変わらずこれは、つくづくうまい。

晩めしは、肉じゃが。おととい買った牛コマ肉が半分残っていたので、それを使った。

池波正太郎風すきやきとほとんど同じなのだけれど、ちがいは汁を煮詰めるかどうか。水はカップ1杯だけにして、フライパンのフタを閉め、強火で10分煮つづける。これはやったことがないときには、ほんとにこれで、きちんと火が通るのかどうか、不安になってしまうものなのだけれど、フタを閉めれば、蒸し焼きみたいな状態になるわけなので、大丈夫なのだ。「えーい、ままよ」と思ってやってみると、おいしくできる。

それからなんと、昨日は差し入れがありまして、巻き寿司。

これが何かと思ったら、ひとことで言うと「かつおのたたき風巻き寿司」というようなもので、細く切ったかつおのたたきに、ゴマやら、きざんだニンニクやらショウガやらというものを加えて、酢飯で巻いた、というものらしい。こういう巻き寿司はみたことなかったが、たしかにひとつのアイディア、かなりうまい。今朝はもう一本、醤油じゃなくポン酢をつけて食べてみたが、それもまたうまかった。

というわけで、当社では差し入れは、大変歓迎、熱烈歓迎、しておりますので、何なりとお申し出ください。もれなくブログで紹介させていただきます。

酒は地酒フェスタで買った、滋賀の酒「富鶴」。純米大吟醸だから、うまいに決まってるのだ。