2011-05-30
あんかけスパゲティ
名古屋というと、独特な食べ物で有名であるわけで、よく知られたものでいうと、味噌煮込みうどんとか、味噌カツ、それにひつまぶし。ひつまぶしは違うが、味噌煮込みうどんと味噌カツは、どちらも赤味噌のこってりとしたコクを生かした食べ物だから、名古屋めしというと、赤味噌を使った料理なのかと思ってしまうところなのだけれど、いやいやいや、それは早合点というものなのだ。
名古屋のひとというのは、とにもかくにも、外来のものを受け入れるに際して、自分が納得できるような形に作り変えてしまわないと、気がすまない性分なのだと思うのだよな。きのうも書いたけれども街を歩いていても、女の子のファッションが、とにかく、「自分」というものを最大限主張しているように感じられる。その自分というものも、ただどこかのファッション雑誌に載っているようなものに安易に飛びついてしまうのではなく、手間ひまかけて、自分の手を加えていくことにより、時間をかけてつくり上げられたものなのだ。
「名古屋巻き」に代表される女の子の髪型も、あれは名古屋以外の場所では、キャバクラ嬢限定の髪型で、キャバクラ嬢は美容室でセットしてもらうのだと思うけれども、名古屋では街で、ふつうの女の子が、ああいう凝った髪型をして歩いている。ふつうの子が毎日美容室へ行くわけがないから、あれはもちろん、けっこうな時間をかけて、自分でセットするということなのだろう。逆にいえば、名古屋の女の子たちが日常的に、自分の髪の毛を自分らしくなるように、色々といじっていたということの結果が、ああいう様々な髪型を生み出したということだ。
僕がよく行ってた店の20代前半のバーテンが、「規則」ということについて言ってたことで、興味深いと思ったことがあった。彼は、ただ上から押し付けられてくるような、そういう規則は、自分は守る必要があるとはあまり思わないけれども、それを、仲間どうしで「約束」したものであるとしたら、それは守らないといけないですよね、とのことだった。なるほど、言い得て妙、名古屋のひとの気質を、よく表していると僕は思った。
「近代」というものは、基本的に、物事を「機械」として考えようとする文化で、国家も「法律」を決め、それにみなが従うのが当然であると考えたり、また同様に会社などの組織においても、基本的にトップダウン、上司の決めたことは、当然部下はしたがうものであるわけだ。ところが名古屋の生んだ世界企業トヨタ自動車では、もちろんそのような、組織の近代的な側面はあるに違いないけれど、様々な集まりが、部署ごととか、入社同期ごととか、出身地ごととかで組織され、そこで日常的とまではいかないだろうけれど、話がされることが推奨される。会社が意思決定するというときも、そういう様々な集まりにおいての議論も、まあどの程度なのかは実際のところよく知らないけれど、それなりの重みを持つのだと聞いたことがある。
それは、最近よく言われる「迅速な意思決定」という意味でいうと、あまり好ましいことではないわけだが、会社の意思決定に多くのひとが関与することになる分、一度決めたことには、みなが自分ごととしてそれを捉え、きちんと実行していくということにもなるわけだ。これはまさに名古屋的だと思うのだけれど、そういう名古屋文化が、世界に冠たるトップ企業をつくったとも、言えるのだと思う。
そういう名古屋のひとたちが生み出す食べ物は、だから、ただ単に、自分たちが赤味噌が好きだから、なんでも赤味噌を使ってしまうというところにとどまらず、外からやってきた料理文化を、まるごと作り替えてしまうということになっていく。その代表例が、この「あんかけスパゲティ」であると言えるのではないかと思うのだよな、僕は。
きのうも泊まっていたホテルが近かったので、あんかけスパゲティ元祖の店、「スパゲティヨコイ」で昼めしを食べたのだったが、やはりこれはすごい。食べながら、かなりの感動がある。
いちおうあんかけスパゲティというものがどういうものなのか、簡単に説明しておくと、まずゆでたあと塩コショウして炒めた、いかにも昔の喫茶店風のスパゲティが真ん中にあって、その上には、赤ウィンナーやハム、ベーコン、それに玉ねぎとピーマン、マッシュルームなんかがさっと炒められたものがのせられていて、まわりに「あん」と呼ばれるトマトソースがかけられている。これは「ミラカン」という名前の、あんかけスパゲティとしては代表的なスタイルだ。
これがどのようにして生み出されたのかということを、僕なりに想像してみると、スパゲティのミートソースと、ナポリタンとを合体したものなのだろう。ある時に誰かが、このミートソースとナポリタン、両方ともおいしいのだけれど、これを合体させた食べ物をつくってみたら、もっとおいしくなるのじゃないかと考えたわけだ。それで、材料としてはナポリタンなのだけれど、トマトソースをいっしょに炒め合わせるのではなく、上からかけるというスタイルをつくり出した。僕はまずこの、「二つを合体するとおいしくなる」という考え方自体が、なんとも言えぬいじましさのようなものがあり、たまらない郷愁を感じるのだよな。
いま世の中では、全体としては、合体よりは、「分解」に重点がおかれているだろう。昔は「洋食屋」だったものが、ハンバーグ屋やらトンカツ屋、オムライス屋、などというように、個別の料理を特化させる形で、ものごとが変わっていく。ラーメンにしたって、「つけ麺」という、麺と汁とを分離したものになる。物事を極めていこうとすると、やはりひとつの流れとして、ひとつひとつのものを個別に、専門的に追求していく、ということは、たしかにひとつの考え方であり、まあそれがまさに「近代」ということなのだと思うが、世の中がそちらに大きくシフトしていくということは、やむを得ないことだろう。
ところが名古屋では、明らかに、これに逆行する文化があるのだな。ミートソースとナポリタンを合体させるという、あんかけスパゲティはその象徴だけれど、名古屋市役所や愛知県庁の建物が、
西洋建築に、名古屋城のような、和風の反り返った屋根をのせたものだったり、コメダ珈琲店のデザート「シロノワール」は、
温かいパンに冷たいソフトクリームをのせたものだったり、異質なものを合わせることにより、別の新しいものを生み出そうという文化が、名古屋にはあるのだと思う。
ただ強調してくべきことは、このあんかけスパゲティは、ただミートソースとナポリタンを合体させたということにとどまらないのだ。かけられているソースがなんとも独特で、肉のだしにトマト、というのがベースにはなっているのだけれど、そこに大量のコショウがふりこまれている。ミートソースのソースとも、ナポリタンのケチャップとも、ちがう味で、ほかに似たものが思い浮かばない。このほかの何にも似ていないソースによって、あんかけスパゲティは、単なるミートソースとナポリタンの合体ではなく、独立した、一個の食べ物としての生命を獲得したとも言えるのだと思うのだよな。これはいわば、シロノワールに、わざわざごていねいにメープルシロップが付いてくる、というのとおなじことだ。
さらに、泣かせることに、このソースが、カタクリによってとろみが付けられている。それによって「あん」と呼ばれるということなのだと思うが、これが主張しているところは、「和風」ということなのだと思うのだよな。名古屋には「あんかけうどん」というものがあるそうだし、「あんかけ」というのは、和風料理の基本的なテクニックだろう。ここまで目配りして、細かく配慮することによって、名古屋のひとは、スパゲティを自分たちの食べ物にした、ということなのだろう。
ちなみにこの「ミラカン」という名前の由来がまたすごい。もともと「ミラネーズ」というメニューと、「カントリー」というメニューがあったところに、お客さんから、その二つを合体させてくれないかという注文があり、それで「ミラカン」になったのだそうだ。だいたいミラネーズだとか、カントリーだとかいうもの自体が、よくわからないのだから、それを合体してもらっても、ますますわからないわけなのだが、このいかにも内輪な感じと、また「合体」という履歴をきちんと表立って表示するところが、いかにも名古屋らしいと、僕などは思ってしまうところだ。
コメダ珈琲の「シロノワール」も、これは「シロ」は「白」で、ソフトクリームを表し、「ノワール」はフランス語、「黒」、ソフトクリームの対極としての、温かいパン、というものを示しているのだそうだ。あんかけスパゲティとシロノワール、考え方がほんとにそっくりなのだが、名前の付け方も似てるのだ。
さらにちなみに、「味噌カツ」というのも、もともとの出自は、ふつうの串かつ屋で、「味噌煮込み」とウスターソース味の「串かつ」を別々のメニューとして出していたところ、お客さんのリクエストにより、その両者を合体してできたものなのだとのこと。味噌カツというと、単に名古屋のひとは、赤味噌が好きだから、トンカツにも赤味噌をかけるのだろう、と簡単に考えてしまいがちなのだが、そうではないのだ。これもあくまで、「合体」という、名古屋人の創造活動の、基本的なやり方の産物なのだ。