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2011-01-25

料理本紹介 「檀流クッキング」 (檀 一雄)


この本はもう、「いわずと知れた」といっていい、たいへんな名著なわけで、料理について書いた本はあまたあれど、これの右にでるものはないと言いきってしまって、ほぼまちがいない。
サンケイ新聞に昭和44年から毎週一回、約2年間にわたって連載されたもので、作家檀一雄が、一般の主婦にむけて、料理の手ほどきをするという内容になっている。

まず驚くのは、檀一雄の料理にたいする造詣の深さで、家庭の事情で子供のころから、家族のために料理をつくっていたとのこと、カツオのたたきやレバニラ炒めから始まり、寿司やら鍋やら、梅干・らっきょの漬け方、カレーライスも西洋式、インド式、さらにはトンポーローだのパエリアだのボルシチだの、古今東西、あやゆる料理が登場する。
しかもそれらが、通りいっぺんのものではなく、これはまちがいなく、自分で何度もつくってみて、試行錯誤をして、その末、こうしようと結論したのだろうということがはっきりわかる、微にいり細にわたる書き方なのだ。

檀は明治45年生まれ、明治の男が料理人でもないのに、自分で厨房にはいり、これだけの料理をこなしてみせるということが、なんといってもまずすごい。

しかしこの本のほんとのすごさは、そんなところにはないのだ。
檀はこれだけの料理をつくるようになるのに、もちろん料理学校などへ行ったのではない。
自分で食べて、それがおいしいと思ったら、つくり方をきき、自分でつくってみる。
それをひたすら、続けてきたということなのだ。

しかもそれが、都会のコジャレた料理屋などではなく、片田舎の老人がつくるものやら、またさらに日本だけではなく、朝鮮やら中国やら、ヨーロッパ、ロシア、モンゴルなどなど、その土地へ行き、ぶらぶらと歩いて、おいしそうなものがあるとそこに寄り、食べてみて、ということをしてきているのだ。
食べるということについての好奇心が、これほど旺盛な人というのは、ちょっとあまり、ほかにはいないのじゃないかと思う。

さらにだ。
それを文章にするということにあたって、文学者だからといって、こむずかしい単語を並べるなどということは一切なく、料理をめぐる背景などについて、いらぬウンチクをもったいぶってたれるなどということもない。
ただひたすら、自分の手で料理するということが、こんなに楽しいものなのかということを、読む人にたいして、おのずと伝えるような書き方がされている。

調味料の分量を、大さじ何杯などと書くことは、まったくない。
いくらでも、自分の好きなだけ、入れたらいいと書いてあるだけだ。
何度かやってみるうちに、自分の好みの味が決まってくると。
「自由」というのは、ありきたりにつかわれる、手垢のついたことばだが、この本ほどそのことばの意味を、生き生きと伝えてくれるものは、そうそうはないだろう。

僕はこの本を、ずいぶん前にいちど読み、今回あらためて読んでみて、自分が料理するということについての根本的な考え方を、この本から学んでいるということに気がついた。
僕が毎日、へぼい料理を、しかしすくなくとも、楽しみながら、つくることができているというのは、この本のおかげなのだ。

だからもし、料理をするということに興味がある人は、これは絶対読んだほうがいい。
また料理に興味がなくたって、これは読み物として、最高におもしろいし、しかもたぶん、これを読み終わったときには、自分も料理をしたくてたまらなくなっている。
僕のつまらないブログなどを読むよりも、この本一冊を読んだほうが、100万倍いいに決まっているのだ。

この本の最後は、とんでもなく凝ったやり方でつくるビーフシチューなのだが、それを読み終わると、なんともいえぬ感動がある。
それは檀から、ああ、自分もバトンを受け取ってしまったのだということに、はちきれんばかりの笑みを浮かべた檀に、やってみなよと思い切り背中を押されたということに、気付くからなのだ。