ビートルズは僕が初めてハマった洋楽で、中学の頃、仲のよかった友達と二人して、レコードをすべて買い、無いものはお互いカセットテープにダビングしあうというようにして、とにかく毎日聞いていた。
1962年生まれの僕はもちろん、その年にデビューしたビートルズをリアルタイムで体験しているわけではないのだが、ちょうど中学の頃、たぶん何度目かの、リバイバルのブームがあり、FMで特集をしていて、それを録音して聞いてみたところ、とてもいいと思ってしまったわけなのだ。
僕は歌の歌詞にはまったく興味が持てないたちで、ビートルズをあれだけ聞いていても、歌詞カードを見ようと思ったことはほとんどない。ビートルズは、ひとつには歌詞が画期的で、それまでのロックが単なるラブソングを歌っていたものが、三人称を歌詞に取り入れることによって、社会を表現できるようになった、ということはよく言われると思うのだが、僕にとってはそんなことは、まったく関係なかった。ただ聞こえてくる音が、よかったということだ。
ビートルズの曲のクレジットは、ジョンかポールが作ったものについてはすべて、「Lennon-McCartney」となっている。これはもともと、ジョンとポールは曲を作るとき、ギターをもって二人でむかいあって座り、どちらかがポロンとフレーズを口ずさむと、もう一人がそれに続けてフレーズを口ずさみ、というように、ひとつの曲をほんとうに二人で作っていたからなのだそうだ。
ふつう曲というものは、誰かがひとりで考え、それをバンドに持ち込んで、皆で演奏の体裁を整えるというようにするものだと思うが、ビートルズの場合、ジョンとポールのそれぞれが、才能をもった人たちであったということはもちろんだが、さらにその二人が、個人を超えたひとつの人間になってしまったような、ふつうならあり得ないチームワークを発揮したということが、あれだけの完成度をもった曲を量産したということの理由だったのだと思うし、中学生の僕が訳もわからずビートルズに惹かれたという理由も、そこにあったように思う。
中学の頃というのは、人間誰でも、その人の人格がある形を持ちはじめる時期だと思うが、そのときビートルズにジャブジャブに浸ったことで、僕の人格の何割かは、ビートルズで出来ているのじゃないかと思ったりする。プランを誰かが持ち込んで、それに従い皆が動くということではなく、いちばん初めのプラン自体を、皆が共同してつくり上げるということ。このことは今でも、僕の大きなテーマなのだ。それが可能になったとき、人間の集団はほんとに大きな力を発揮するものだと思っているのだが、そういう考えの原点は、ビートルズだった気がする。
ビートルズのアルバムの中で、僕がいちばん好きなのは、「ホワイトアルバム」。ビートルズのチームワークが頂点に達したのは、ホワイトアルバムのひとつ前の、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だったのだが、それからビートルズは崩壊にむかう。その初めがホワイトアルバムで、2枚組なのだが、サージェント・ペパーズとは打って変わって、全体の統一感はまったくなく、色んな曲がバラバラに入っている。でも曲のそれぞれは、かなり思い切った挑戦がされていて、不思議な雰囲気をもった曲も多い。
僕はどうも、そういう下り坂にむかう、一歩手前、みたいなものが好きみたいで、レッド・ツェッペリンでも、いちおうツェッペリンの音楽が、一つの完成に達した「レッド・ツェッペリンⅣ」よりも、その次の「聖なる館」が好きだったりする。
ジョンとポールというのは、ほんとに対照的な個性の持ち主で、あれだけちがう二人が一つになれたから、ビートルズは強力だったのだろうが、解散してからの二人の、どちらが好きかと聞かれれば、ポール。僕は歌詞に関心がもてないというくらいだから、ジョンの発した政治的なメッセージとか、まったく興味がないのだ。ポールの「バンド・オン・ザ・ラン」とか、「ビーナス・アンド・マース」とか、けっこう好きだった。