今日は豚ばら肉の鍋。豚肉の鍋、まだやってなかったんだよな。と言っても、野菜はいつもと同じで、肉が豚になった、というだけ。あとポン酢と青ねぎのタレに、韓国唐辛子を振り入れる。ポン酢と唐辛子って、肉に付けるタレとしては、ゴールデンだよな。
鍋って、夏に連発したチキンソテーサラダと、作り方がほぼいっしょなんだよな。フライパンにまずレタス、じゃない、白菜、をたんまり敷いて、その上、真ん中に、霜降り、これは熱湯にさっと浸けて、水で洗うことなのだ、をした、今日は豚ばら肉だが、を据えて、まわりに長ネギだの、豆腐だの、大根だの、ニンジンだのをばらまき、塩と酒で薄く味をつけた昆布だしを入れ、ふたをして、中火で10分煮る。今日はアクを取るのを忘れたが、霜降りするとアクはほとんど出なくなるので、問題ないのだ。で、しめじやら、春菊やらを飾って、さらに強火で1、2分。いやもちろん、鍋とサラダは違うのだが、野菜を並べていったりする、作業の感じが似てるのだ。どうでもいいが。
しかし鍋っていうのは、どうしてこんなにうまいかな。今日もまた、どうしてなのか、食べながら考えたのだが、よくわからん。それ以前に、何がうまいのかも、よくわからない。料理の手順も味付けも、とくべつどう、ということはないのだから、そういう問題ではないのであって、たぶん、鍋のうまさは、頭を経由せずに、身体を直撃するんだな。五臓六腑がうまいと言っている、という感じがするのだ。
鍋っていう、この、何でもかんでも水にぶち込んで、ただぐつぐつ煮て、タレで食べる、というやり方は、料理法としては、たぶん、かなり原始的だよな。色んな料理の起源に、かなり近いんじゃないかと思うのだが、そういう原始的な料理が、人間の原始的な本能に、直接作用する、って感じなんだろうな。これもどうでもいいんだが。