先日、東雲(しののめ)の「三八」に行った話を書いたら、三八のルーツが安佐南区山本にある「一休」であり、そこは「おいしいからぜひ行ってみて」とのコメントをもらった。
考えてみたら僕はこれまで、家の近所の店は別として、「みっちゃん系」か「八昌系」の店ばかりに行っていて、広島風お好み焼きの三大系列(*)の残り一つである「三八系」の店には、あまり積極的に行ったことがなかったのだ。
三八系の有名店がどれも郊外にあり、家からちょっと遠いということと、また三八系の有名店自体が、あまり数が多くないということが理由である。
しかし実際考えると、みっちゃん系の店とは、みっちゃんで修行した人が開業した店、八昌系とは八昌で修行した人が開業した店と、ざっくり考えるとして、広島市内には2,000軒のお好み焼き屋があるそうだが、そのうちそれらは何軒くらいを占めることになるのだろう。
1,000軒は行かないだろう。
500軒も行かないのではないか。
これは僕の全くの想像なわけだが、二軒の店が出発点だから、その子店、孫店で修行した人も含めるとしても、そうそう大きな数にはならないような気がする。
そうだとすると、広島のお好み焼き屋の大多数は、三八系であることになる。
これはもちろん、その全てが三八という店で修行したという意味ではなく、「三八系」という言葉は、お好み焼きの焼き方として広島に元からあった、「古いやり方」で焼く店、という意味で使われている。
みっちゃん、八昌、それぞれの店主は、お好み焼きの焼き方について、それぞれ新しいやり方を見い出したのだ。
三八系の焼き方とは、麺を初めに生地に載せてしまうことを指すが、たぶん、地域でおばちゃんが一人で回しているような小さな店は、未だにほとんどこの焼き方をしているのではないかと思う。
僕がこれまで行ったそういう店は、全てそうだった。
そう考えれば三八系にこそ、広島風お好み焼きの本丸があるとも言えるのである。
という訳で、「一休」。
安佐南の山の麓にあり、まあ、のどかでいい場所だ。
聞くと三八は、この一休の女将の弟さんが始めた店で、焼き方は女将が教えたとのこと。
たしかにこの店は、三八のルーツなのである。
店は近所の社交場も兼ねているようで、僕は1時半過ぎに行ったのだが、まだ数人、おばちゃんが残っていて、女将とぺちゃくちゃおしゃべりしていた。
女将は今年76歳、「肝っ玉母さん」といった趣の、腹の座った商売人で、
「人生はなるようにしかならん、色々考えたってしょうがない、その時になって考えればいい」などとニヤニヤしながら言い放つ。
僕もすぐにおしゃべりの輪に巻き込まれ、店の話もいろいろ聞かせてもらうことができた。
「焼き方を誰に習ったのか」と聞くと、
「見よう見まね」だとのこと。
女将は元々この店の客だったのだが、36年前、自分がこの店をやることになった。
お好み焼きを焼くというのは簡単そうに見えるが実はとても奥深い世界で、鉄板の温度と火の加減とか、キャベツやそば、肉など材料をどんなものを使うのかとか、3年くらいは試行錯誤して、なかなか上手くできなかったそうだ。
とにかく仕事が好きで、お好み焼きを焼くことが自分の楽しみなのだと言う。
店の真ん中に大きな鉄板があり、その周りに詰めても7、8人。
みっちゃんや八昌では、鉄板の焼け焦げを、一回作るたびごとにコテでこそげ落とし、鉄板の全面がつねに黒光りしているという状態を保つのだが、ここではあまりそんなことは考えないようだ。
焼け焦げや材料の切れっぱしなどが、鉄板の上にそのまま残っている。
不潔というのとはまた違うのだが、たぶん細かいことは気にしないのだ。
三八でも、それは全く同じだった。
注文を聞くとまず、そばを袋から出し、鉄板に置く。
と同時に生地を丸く伸ばすのだが、穴があいても気にしない。
鉄板でほぐした麺を生地にのせ、ソースで軽く味をつける。
大づかみにした細切りキャベツ、天かす、もやし、豚バラ肉4枚。
そのままちょっと置いて、ひっくり返す。
しばらく蒸して、丸いアイロンで上から押し付ける。
卵を割って、本体を上にのせ、ひっくり返して、ヒガシマルソース、味の素、コショウ、ガーリック、青のり。
そば肉玉シングル、今どき550円。
さてこのお好み焼き、最大の特徴は、キャベツにある。
今までこういうのは食べたことがないし、三八ともまた全然ちがう。
三八ではアイロンでぎゅうぎゅう押すことにより、キャベツの水分を徹底的に追い出すわけだが、こちらのキャベツは、やはりアイロンで押してはいるが、火をかける時間がみじかいのだろう、まだ半生の状態だ。
半生だと普通は生っぽい感じがするところだが、ここではキャベツを他のどの店より細く、糸かと思うような幅で切ってある。
その細長いキャベツの一本一本が、熱を加えられてしなっとしてはいるが、まだ水を含んでいる状態、これ以上火をかけるとその水が全部出てしまう、その寸前、というほんとに微妙な、良い加減のところに調整されているのだ。
ほっくり、というのとはまた違い、もっと繊細な、ふわふわとして柔らかく、かつみずみずしい、という歯ごたえである。
厳選された元々甘いキャベツが、火を加えられてさらに甘みが引き出され、それがソースの甘辛い味と溶けあうと、もうこれは幸せとしか言いようがない。
これが女将が見よう見まねで試行錯誤しながら、到達した場所なのだろう。
あの一見、雑にも見える作り方が、このような繊細な味を生み出すのは、ちょっと驚きである。
しかしこのお好み焼きも、食べ進んで残り半分をこえる頃には、鉄板の火で加熱が進み、キャベツはぺしゃっとしてしまう。
ちょっと残念だが、それは仕方がないことだろう。
あのキャベツの加減は、一瞬の輝きなのだ。
しかし逆に、このお好み焼き、持ち帰っても味が変わらないそうだ。
空気中の水分を吸い込んでしまうことが無いからなのかも知れない。
この店、女将と、もういい年の娘さんと、二人でやっているようだが、二人ともまあとにかく人が良く、お冷がなくなればさっと注いでくれるし、僕が三八に行って、それでここを聞いてきたと言えば喜んでくれるし、帰りも満面の笑顔で「またきてね」と送り出された。
初めて会ったのに、親戚の家にでも行ってきたような気分である。
いや本当に、いい土地に越してきたものだなと思う。
一休 (お好み焼き / 下祇園)
★★★★☆ 4.0
広島ブログ