このサイトは、おっさんひとり飯の「旧サイト」です。
新サイトはこちら
へ移動しました。
なんでサイトを移動したの?⇒ こちら

2008-09-04

広島風お好み焼き かんらん車(三度め)



かんらん車のお好み焼きはよく、「ふんわりしている」と評される。
たしかにそんな感じで、あのふわふわした食感は、ほかでは味わえない。
僕はその理由を前回、「キャベツが水分を失わないように調理されるから」だと考えたのだが、今回三度めに訪れて、それだけではなく、もっと重大な秘密が隠されていることに気がついた。
麺にたいする考え方が、他とは全くちがうのである。

麺の役どころというのは元々は、ぷりぷりとした食感を味わう、ということだったろう。
焼くのは麺のゆで汁をとばすため、という感じで、あまり長くは火にかけない。
今でもそういう店は多い。

ところがある時、麺につよく焼きを入れ、パリパリした麺とほくほくしたキャベツのコントラストを楽しませる、ということが始った。
八昌はその代表例である。
そういう店は、いま増えているのだと思う。

しかしこのパリパリ麺、一つ大きな欠点があって、初めのひと口はたしかにパリパリしているのだが、キャベツから上がってくる水分を吸ってしまうからだろう、じきに湿気た煎餅のようにモソモソになってしまうのだ。
八昌のお好み焼きは、だいたい4分の3食べる頃には、もういいわ、という感じになってくる。

かんらん車でも、麺につよく焼きを入れる。
ゆで上がった麺を鉄板にのせ、丸く形をととのえて片面を焼く。
こんがりきつね色になると裏返し、もう片面。
そうやってかなりパリパリにするのだが、八昌のようにモソモソせず、最後のひと口までおいしく食べられる。
何がちがうのか。
その秘密は、玉子の扱い方にあるのである。

お好み焼きを作る最終段階で、いちばん下に麺、その上にキヤベツや肉、いちばん上に皮となっているものを、割りほぐした玉子の上に載せ、そして全体を、えいやっ、とばかりにひっくり返す場面がある。

普通は、玉子の上に本体をのせてからしばらく火にかけ、玉子が固まってからひっくり返す。
しかし八昌は、時間にして20秒ほどだろうか、玉子がまだ固まらないうちにひっくり返し、半熟のトロトロにするのを一つの売りとしている。
半熟玉子が上から塗られたソースとからまり、トロトロ玉子のオムレツとドミグラスソース、のようなおいしさをかもし出すのだ。

かんらん車でも、玉子が固まらないうちにひっくり返すのだが、タイミングは八昌よりさらに早い。
玉子の上に本体をのせたらその瞬間、間髪をいれずにひっくり返すのだ。
当然、玉子はトロトロ以前の、だらだら状態。
食べても八昌のように、玉子のトロトロとした存在感はない。
何故なのだろうとは思っていたが、実はこれがポイントなのだ。

かんらん車のだらだら玉子は液体だから、麺の上に留まってはいない。
下にむかって流れ落ちていく。
そこに待ち受けているのは、パリパリに焼かれて水分が飛ばされた麺。
これほど幸せな関係はないだろう。
玉子は麺に吸い込まれていくのである。
玉子の上から塗られたソースもまた、麺に吸い込まれていく。
そう、かんらん車の場合、玉子はトロトロオムレツを演出するのではなく、あえて例えればパリパリ麺のあんかけ焼きそばのように、麺がおいしい液体をたっぷり含みこむために存在するのである。

これを八昌のように、20秒待ってしまうと、同じようには行かない。
半熟とはいえ、すでに白みは固まっている玉子が、それ自身が麺にしみ込まないのはもちろん、上から塗られるソースをも、麺にしみ込まないようブロックしてしまうのである。
そのため孤独になったパリパリ麺は、代わりに下にあるキャベツの水分を吸いこんでしまい、モソモソ君と化してしまうのである。

食べ終わったあと、おやじさんにそういう話をしたら、わが意を得たりとばかりに、
「そうなんです、うちのお好み焼きの命は、麺なんです。でもなかなかそれに気づいてくれる人はいなくてね」と嬉しそうにしてくれた。
玉子は生が、本当は一番おいしいそうだ。
あ、でももちろんそのあとにお約束、それを打ち消すように、
「でもそんなこと、きちんと考えてやったというんじゃなく、色々やっているうちに偶然そうなった、って感じなんですけどね」とのこと。
この人、本当にいい人だ。
ちなみにこの日僕が食べたお好み焼き、「一日に一枚焼けるかどうか、というくらい、完璧な出来」だったそうだ。
どうりで死ぬほど旨かったわけだ。


この日は夜だったので、お好み焼きが出るまでの間、生ビールと「あかびち」という鉄板焼き、それに酎ハイも二杯、飲んでしまった。
あかびちというのは生まれて初めて食べたのだが、牛の第四胃袋だとのこと、砂肝や心臓などのしこしこ感と、豚トロのようなやわらかくジューシーな感じを併せもっていて、大変おいしかった。
またそれを焼くのにおやじさん、大きなコテを使っているのに、わざわざそのコテの角をつかって、小さな塊をひとつひとつ、ていねいに裏返している。
この職人魂が、ほかに類を見ない、お好み焼きの新しい世界を切り開いたのだと思う。

かんらん車

広島ブログ