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2010-04-19

中村桂子先生のインタビューを終わって



今回中村桂子先生のインタビューをさせていただくのに、ご著書の「ゲノムが語る生命」についての質問という形をとらせていただいたのだが、中村先生はこの本の副題にあるとおり、「新たな知の創造」というものにむけて一歩を踏み出されている。ここで科学でなく、「知」という言葉をつかうのは、科学を踏まえながらも、それに囚われるのではない、対象をただ客観的に、外側から記述するということではなく、目のくらむような複雑な自然をまるごと受け止め、それを「愛づる」ことで、そこから聞こえてくる物語に耳をすませてみようじゃないかという、そういう大きな世界を、中村先生が創りだしたいと思っているからだ。もちろん中村先生のその思いは、今に始まったことではなく、30年近くにわたって考えつづけ、「ゲノム」という考え方を提唱し、研究館をつくり、幾多の骨太な活動をしてこられているわけだが、今さらにここで、「新たな知」の創造を掲げるというのは、中村先生が現在の科学の現状に深刻な危機感をいだき、このまま進んで行ってしまっては、科学はおろか、人類の破滅にすらつながりかねないと考えているからである。

中村先生は今回のインタビューで、5年前にこの「ゲノムが語る生命」を出版されて以来、お考えになり、活動してこられていることを、存分に語ってくださった。構想中の新しい本の内容を始めとして、今まさに進めている研究のことから、ご自身が迷っているというところまで。熟練の研究者が前に進もうとするときの熱気のようなものそのものを、感じさせてもらうことができたと思う。また最後には、「どこからか天才があらわれて、すべてを解決してくれないか」という、ほとんど祈りにも近いことを、中村先生がお考えであるということを知り、強く感銘をうけるとともに、僕自身、微力ながらも、なんとかそこに貢献することができないかと、願わずにはいられなかった。

今回中村先生には、お時間をさいてお話ししてくださったのみならず、文字おこしをした原稿に2度にまでわたって入念に手を入れていただいて、お忙しいところ、何とお礼を言ったらよいのか分からないくらい、ありがたく思っている。



中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」

2010-04-18

中村桂子先生インタビュー(最終回) 「突破口はどこに」



高野 最後にお伺いしたいのは、中村先生、「ゲノムが語る生命」の中で、言語学の人とか、情報科学の人とか、複雑系の人とか、いろんな人と勉強会を始めています、っていうことをお書きになっているんですけれど、それは今、どんなふうな感じで進んでいらっしゃるんですか。



中村 物事をほんとに考えたいという人たちと、話しはしてて。たとえば、こないだ酒井さんともお話ししたし、情報でいえば西垣さんとよくお話ししてますね。今度、生命誌研究館のトークで、津田一郎さんと話そうと思っているんですけどね。あと津田さんと同じ仲間でいうと、金子邦彦さんとか。「生命とは何か」を書いた方です。そういう人達とは話をしていますけれど、誰と話をしても、みんな今、悩んでいる最中。 

高野 なるほど、面白いですね、みなが悩んでいるって、こんなに面白いことないですね。 

中村 私が、その人がおっしゃったことを「あ、なるほど」って思って、答えに近付くというところに、まだ行きませんね。みんな、なんかこう、探っているという感じね。 

今のこの世代の人たちが、もしできないとしたら。たとえばチューリングという、とんでもない天才が出てくるじゃないですか。日本でなくていいんです。日本だともっといいけど。だけどやっぱり、東欧ってすごいよですね。有名な話があるじゃないの、「宇宙人はいるだろうか」って言うと、「いる。今ハンガリーにいる」。 

高野 あはは、あ、宇宙人っていうのは、科学者として、宇宙人みたいにできる人たち、っていう意味なんですね。 

中村 ハンガリーのあたり、すごいでしょう。天才の産地ですよ。だってヨーロッパの文化って、あの辺から出てるわけじゃない。東側じゃない。イギリス、フランス、ドイツなどまだ文化的でなかった頃、東側は進んでいた。音楽もそうで、イギリスなんて地の果てだったわけでしょう。それが、大英帝国と言って、軍艦持って、偉そうにやっただけでね。長い人間の歴史でいったら、やっぱり東ですね、文化は。ノイマンもそうだし、天才は東欧ですよ。 

高野 あははは、そういう人たちでもいいから、何か見つけてくれ、っていうお気持ちなんですね、中村先生は。 

中村 ハンガリーでもどこでもいいけど、そろそろ天才が出てくるんじゃないかと。この頃あんまりいないでしょ。 

高野 そう言われればそうですね、アインシュタインみたいな。 

中村 そろそろ出てきてもいいんじゃないかと思うんです。 

高野 しばらくいないですもんね。 

中村 数学は面白いでしょ。「フェルマーの定理」とか、長いあいだ解けていなかった定理が、このごろ解かれているでしょう。我々それが解かれても関係ないって言えば、関係ないんだけど、今、数学が面白いですよね。そろそろ生物学で。でも生物学って、あまり天才の出るところじゃないのかもしれないのだけど。だけど、生物に限らず複雑系というところで、天才が出てきて、ああそうかー、って、みんなが分かるようなこと、言ってくれないかなって思ってるのだけど。そろそろ出てこないといけないわね。 

私はそんなことは、全然分からない、凡人の凡人の凡人だけど、ただ、今まさにそういう時期だな、って気はする。でもそういうことに関心をもって、そういうことを考える学者が少なすぎると思います。大金を持って、お金をかけて、データ出すことだけやってる人が多すぎる。とくに日本は多すぎる。今はこれは、危機ですよ。学問の危機。面白いのに、こんなに面白い時期に、悩まないっていうのは、変なんですよ。歴史から見ても、面白い時期は、悩んでいます。 

高野 でも今回の悩みっていうのは、「生命」、「意識」という、誰でも持っているものについての悩みなんですよね。僕それがね、今までの問いとはちがうと思うんですよね。量子力学だったら、実験室とかで、実際に原子や電子を見られる人しか悩めなかったじゃないですか。ところが生命とか意識とかっていうものは、人間なら誰でも全員が持っているものですからね。だから僕は、まあいろんな幅があるにしてもね、人間であれば、少なくとも、それが面白いっていうことはね、絶対に分かるはずなのに、そんなに面白いことがあるっていうことをほとんどの人が、まだ知らないと思うんですよ。 

中村 脳科学者は、頭に線のいっぱいついた帽子をかぶせて、これで子供のお勉強がどうこうって。意識とは何かと、もっと考えなくてはいけない。それが少なすぎると思います。 

高野 今日は長い時間、お話しいただきまして、どうもありがとうございました。

(おわり)

中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」

2010-04-17

中村桂子先生インタビュー(9) 「生きものの志向性」



高野 そのことと関連すると思うのですけれど、中村先生がご本のなかで、「志向的構え」ということをお書きになってますよね。生きものを、「信念」や「欲求」を「考慮」して、主体的に「活動」を「選択」する、合理的な活動体とみなして解釈するという説明の仕方。これは擬人的な見方であって、本来科学は、これを避けてきた。このことを中村先生がお書きになっていらっしゃるということは、中村先生がかなり大きな一歩を踏み出そうと考えていらっしゃると、僕は思ったのですけれど。 

中村 実を言うと、この「志向的構え」という考えを言ったデネットという人は、あんまり好きじゃないのです。哲学の考え方としては、科学者とちかい考え方をしている人なんだけど、唯物論なんです。100パーセント唯物論です。だから、そういう立場で物事を整理するという意味では、科学との関係はとてもいいのでね。 

高野 それは、整理の方法なんですね、あくまでも。 

中村 そう、整理としては、とても役に立つんです。ただ完璧に唯物論的思考なので、私はそこのところはちょっと違う。その哲学的背景を別にすれば、科学者が整理しやすい整理の仕方をしてくれているので、その部分だけ借りました。 

高野 僕はこれを素人考えで言うので、すごく馬鹿げた考えであると実際に思うのですけれども、たとえば「志向的な説明」というものをするとしますよね、生きものにたいして。その時に、実際にそういう志向的な性質というものを、生きものが、実在として持っているのか、それとも、それはあくまでも説明のための便法なのか、ってことは、違うことだと思うんですね。 

僕なんかはね、生きものは志向的な性質を、当然持ってるはずだと思うんですよ。40億年前に初めて細胞が生まれたといわれている時から、それはあったと思うんです。だってね、今の自然の全体と同じものが、荒削りではあったとしても、100億年前からあったはずだと、僕は素人考えで思うんですよ。もちろんそれは、ネズミが意志を持っているということとは別ですよ。もうちょっと全体的な意味で言うんですけども、僕は当然そうであるはずだ、っていうふうに思うんです。でもこれはあくまで素人考えであってね、中村先生はどういうふうに、その辺のさじ加減というか、そういうものをお考えになっているのかっていうことを、お伺いしたいなと思ったのですけれど。 

中村 私も毎日動いていますので、考え方はだんだん変わっている。たとえば「生命誌」という一つの言葉を使っていても、20年前に生命誌と言った時と、今、私が生命誌という時は、内容は変わっている。いろんな人の考えを聞いたり、いろんなことをやっているうちに、どんどん変わっていく。今あなたが聞かれたそのことはね、ある意味ではいちばん基本的なところなんですよ、私にとっては。だから、かなり揺らいでますね。誰かさんがこう言っている、なんていうのを読むと、ああそうか、と思ったり、そうかと思うと、また反対の考えになったり。ちょっとまだ、揺らいでいるところですね。 

高野 よくわかりました。 



2010-04-16

中村桂子先生インタビュー(8) 「科学を踏まえながら見えてくるもの」


高野 それでそのときに、僕はもう一つ、お伺いしたいことがあるのですが、中村先生はそうやっていく時、同時に、ただ文学や哲学としてではなく、「科学というものを踏まえながらやる」ってことをおっしゃるわけですよね。 

中村 それは私のスタートが科学だから、そこを離れられないというだけの話で、私がもし宗教学か何かから入っていたら、全然違うことを言っているかもしれません。 

ただ私が大事にしたいことはやっぱり、「現実にあるものを見る」ということ。それがサイエンスというものの根本じゃないかと思うのだけど、ところが、そこから見えてくるもの、その先に見えてくるものは、何も現実に実際に、目に見えるものとは限らなくて、ある種のイメージまでふくめて、見えてくるものがあるわけなのです。体験から、それがあるわけです。それはだから、万人が見えているもの、「ここに茶碗があります」というような見え方じゃなくて、この茶碗の向こうがわに何を見るのか、という問題になってくる。 

数学者である私のお友達も、「N次元が見える」とはっきり言う。しかも「Nは大きければ大きいほど、よく見える」って。いちばん見えないのは4次元なんだって。3次元はふつうにね、誰でも見えるでしょう。だからそれに近い、Nが小さな次元のほうが見えやすいのかと思ったら、まったく逆で、大きなN次元はとってもよく見えるのに、「いちばん見えないのは、4次元だよ」って言われて。そうなんだろうなと思うわけ。同じように、物理をやってる人たちは量子が見える。我々生物学者は、明らかに、DNAが見えるんですよ。それは、分子がこういうふうに並んでますとか、二重らせんの形をしてますというのとは違う、DNAというものの持っている、非常に本質的なものが、DNAって言葉を聞いたとたんに向こうがわに見えてくる。それはだから、DNAについて自分が今まで勉強してきたこと全部をふくめて、できあがってくるイメージなんですね。そういうものがなかったら、次のことを考えられない。 

高野 でもたしかにおっしゃるとおり、ただ現実に、実際に見えることだけではなく、そういうイメージもふくめた全体を、いかに言葉にできるか、ってことですもんね。 

中村 しかも、そういうイメージの中には、言葉にはできないものがある。語れることしか語れない、語れないことは語れないのであって、この世の中のもの全部が語り尽くせるとは思っていません。ただ「専門家」のやらなければならないことは、それを言葉にすることですよね。ただ見えますよ、って言っていてもしょうがないわけだから、それを言葉にしていくんですよね。 

その中のある部分は、数式にしてみせることで、たしかにこれはいい。ガリレオの時代には、世の中はすべて数式にしてみせられるよ、って言ったけど、それは無理、と私は思っている。やっぱり「物語る」ということでしか伝えられないことは、たくさんある。しかし、それでもなおかつ、全部が語れるってことはないと思っていないといけない。 

今の科学の矮小化されてしまっているところは、ある人たちは、数式ですべてが説明できる思っている。別の人たちは、そこまで行かなくても、すべてが物語れると思ってる。科学者の多くはそういうふうに思っている。そうじゃなく、「すべては語れない」ことを前提にしながら、しかし語れるところは語っていきたいという感じを持っている人は、そんなに多くはないですね。 

高野 中村先生が「科学を踏まえて」とおっしゃるときの、その内容の中に、ただ分子の構造や、数学的な形式や、というものだけでない、それだけの深い意味合いがふくまれているということなのですね。よくわかりました。 

(つづく)

中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」

2010-04-15

中村桂子先生インタビュー(7) 「コミットメントする」



高野 それを実際に見ることができたらすごいことですよね、ほんとに。そのことについてもお聞きしたいことはいくらでもあるのですが、時間もありませんので次の質問に行かせていただきますね。 

僕が次にものすごく面白いと思いましたのが、中村先生が「ゲノムが語る生命」の中で一連の流れとして書かれていらっしゃると思うのですけれど、まず「複雑なものを、まずはそのまま、自分が受け止める」ということ。次に「愛づる」という、自分と対象を分離するのではなく、対象を愛しいと思って、理解しようとすること。さらにそれを「物語る」こと。それなんですけれど、僕は小林秀雄がまったく同じことを言っていると思うんです。 

「もののあはれをしる」という言葉は、小林秀雄の晩年の著作である「本居宣長」の中で、本居宣長の思想を言い表す言葉として、詳しく書かれているわけですけれど、これは同時に、小林秀雄自身の思想をあらわすものと受け取っても、僕はいいと思うんですね。それでそのことと中村先生の言われていることと、同じなんです。 

この言葉は「ものの」「あはれを」「しる」という、3つのことから成り立っているのですけれど、まず「もの」にたいして、自分がまっすぐに向かっていくこと。そうやって向かっていくときに、自分のなかに湧き起こってくる「あはれ」があるわけですけれど、そのあはれは、それを自分が言葉にして「しろう」としない限り、自分自身にも見えてこないものであるということ。本居宣長は「古事記」に書いてある日本の古代の神話というものが、古代日本の人たちの「もののあはれをしる」という営みそのものであったと言っているわけです。 

中村先生はご本の中で、「やまとことば」で物事を言い表すことで、漢語で言うのとは違った世界が見えてくるのじゃないか、ということとか、「アニミズム」、原始信仰のこととか、お書きになっていますよね。小林秀雄は、日本人ははもともと自然にたいして、「もののあはれをしる」という理解の仕方をしてきていて、それこそが、人間本来のあり方なのだけれど、中国から文字や文化を輸入することによってそれが妨げられてしまった、と言うんです。それで国文学者が本居宣長の言っていることをきちんと理解していないのだと、もうけちょんけちょんに批判するのですけれど、僕は小林秀雄のそういう自然にたいする見方というものは、中村先生がおっしゃっていることと、ものすごく重なることがあるように思うんです。 

中村 なるほど。今まで自分では思っていませんでしたが、言われてみるとそうだろうと思います。たぶん自然とか、「もの」の本質を見ようとすると、それしかないのだと思う。だから科学ですか、文学ですか、哲学ですか、宗教ですかという問いは無しでね、ものの本質を知りたいわけでしょう。「生きている」とか、「いのち」とか、そういうことを知りたいということであるれば、それは文学であろうとなんであろうと、結局おんなじになるのだと思うんですよ。それはそれじゃ、日本だけかと言ったら、これまだ私はわからないけれど、「暗黙知」って話、知ってるでしょ、マイケル・ポランニーの。 

高野 あ、聞いたことあります。 

中村 彼は、物事には明確には表現することができない、「暗黙知」があると言っているけれども、私がいちばん関心をもつのは「コミットメント」なのです。「科学が客観的でなければいけない」ということにたいして、彼は批判するのです。科学だって、人間がやること、人間が分かろうとすることなのだから、説明しようとする対象の外側に自分をおいて、ただ客観的に説明するだけでは足りないんだ、そうではなく、対象にたいして、科学者自身の主体的なかかわり、コミットメントがなければ、本当には理解できないんだと言ってるわけです。 

もちろんそれは、何でも自分で、勝手なことを言ってもいいというのとは違う。「主観的」というと「勝手なこと」と思われるけれど、そうではない。また「客観的」というと「真実」のように思うけれど、それも違っている。本当に分かろうとしたら、コミットメントしていかなければだめだということ。そしてコミットメントするとすれば、それは単に言葉で表現するだけでなく、ある種の直感みたいなことが、そこには関わりあうというので、「暗黙知」という言葉が出てくるのだけれど、彼の特徴は「コミットメントする」というところだと思うのです。 

そういう意味でね、ちょっとずつ背景がちがうから、100パーセントみな同じとは言わないけれど、西洋とか東洋とか、日本とか中国とか言わずとも、本質を知ろうとしたときに、そういう関わりでなければわかってこないという感覚は、一生懸命考えると、おのずと出てくることなのじゃないかと思うのです。 



2010-04-14

中村桂子先生インタビュー(6) 「ゲノムの構造」



中村 それで私が次に言ったのは、ゲノムが「レシピ」のようなものであるということ。お料理のレシピ、または演劇の台本。「いちおうこうなります」と。台本はあっても、それを実際に上演する際の役者によって、ちょっと調子がちがったり、どこかにアドリブが入ったりね。じゃあシェイクスピアの「リア王」は、役者がアドリブを入れたらその劇じゃなくなるのかといったら、まあリア王の場合は、アドリブ入れちゃいけないのかもしれないけれど、基本的にはそうではなくて、その時の観客とのかかわりで、ちょっと違うセリフが入ったって、その劇は劇でしょう。お料理のレシピ、カレーライスはできるけど、その時によって、ちょっと辛かったり甘かったりするでしょう。だから、カエルならカエルになるという基本は決まっているけれど、その時の様子によって変わっていく、ゲノムはそういう、台本やレシピのようなものかなと思っていたんです。まあいずれにせよ設計図ではない、もっとゆるいものだと思ってたんです。

ただ、ここで考えなくちゃいけないことは、ゲノムが「こうしなさい」と命令するか、という問題なの。実は、命令していないんです。ゲノムは、そこへタンパク質ならタンパク質がやってきて、「読みとっていく」のですよ。今、外からなにか病原菌が入ってきた。ここで戦わなくちゃいけない。そうなると、必要なものをつくるために、ゲノムのところへ取りにいくわけ、つくる情報を。ゲノムが「つくれ」と言うことはありません。タンパク質などが、ゲノムに情報を取りにいくわけ。だからゲノムは、ある意味では「アーカイブ」になるわけね。こちらからアクセスして取っていくものは、ゲノムに全部入っている。ゲノムから積極的に命令するものではないんですよ。 

だから、細胞の中でゲノムがいる場所は図書館みたいなものね。そこにあるのはアーカイブ。これをつくるにはこれだけのものが必要ですよ、いつでも取りにいらっしゃい、となっていて、必要なときにみんなが取りにいく。今私は、ゲノムはそういう「アーカイブ」じゃないかと思っている。ゲノムから命令を出すのじゃないんです。 

高野 なるほど、そうすると先生がこの本をお書きになったときとは、ずいぶん違ったゲノムの姿が見えてきた、ということですよね。 

中村 今そう思っています。ゲノムから「どうやって取り出すか」ということが大事なので、そこに、その取り出し方に、ある種の構造があるかということなんですね。 

このあいだ言語脳科学者の酒井邦嘉さんとお話しして、とっても面白いと思いました。チョムスキーの「生成文法」ですね。人間の言語は辞書の中にある限られた言葉を取り出して、それを組み合わせることによって、無限のものをつくりだすことができる。生きものも、遺伝子の様々な組み合わせがあって、取り出してはつくられるということは同じなわけですね。 

そのつくられ方は、「再帰性」を基本にしていますよね。酒井さんがよく例に言う、「チーズを、食べちゃった、ネズミを、追っかけてる、ネコが、入った、家にいた、ジャックが・・・」というふうに、「ジャック」にたいしていくらでも説明をつなげることができる。そういう構造を「再帰性」というのですけれど、この再帰性は、生きものがゲノムを読み解いていくときの構造でもあるのだろうと思っています。それはまだ論文に書けるものではありませんけれど。再帰的な構造をもっているのだろうという感じはします。そこで「生命誌」を読んで、実例をどんどん探していかなきゃいけない。再帰性というのは生物のいろんな反応のなかに常に見られることなので、それは整理していけばそうなるだろうと思っています。 



2010-04-13

中村桂子先生インタビュー(5) 「ゲノムとは」



高野 なるほど。お話しをお伺いして、中村先生が今、並々ならぬ危機感をお持ちだということがよく分かります。それではそのような危機的な状況を、すこしでも前に進めていくために、どうしたらよいかということについて、中村先生はやはり「ゲノムが語る生命」のなかでお書きになっていらっしゃるわけですけれど、それについても、いくつかお話しをお伺いできればと思います。 

まず僕がとても面白いと思いましたのが、中村先生が「ゲノム」というものと「言語」というものとを、並べて考える可能性についてお書きになっていらっしゃることです。ただ単にたとえ話ということに留まるのではなく、もっと踏み込んで、ゲノムの中には言語でいえば「文法」にも当たるような、何らかの構造があるのではないか、ということをお書きになっていらっしゃる。そういうことについて、生命誌研究館でも実際のご研究をスタートされていらっしゃるということをお書きになっていらっしゃいましたので、そのあたりのことについて、お話をお伺いできればと思うのですが。 

中村 それはまさに今、私が悩んでいることの一つですから、はっきりとした答えはありません。でも探すべきなのはどういうものかと言うと、物理法則のような、アインシュタインの「mc2」とかね、そういうような公式、法則、これに則って物事は動くんだ、というものではないですよ。 

生きものは「予測不能」なもので、生きもののことを知ろうと思ったら法則性を探すのではなくて、歴史を調べるしかないわけです。40億年のあいだ、どうやってきたのか。そのことが、生きものの中に書かれている。生まれてくる時どうするかとか、動く時どうするか、考える時どうするか、そういうことも全部ふくめて考えなくてはいけない。それの基本にあるのがゲノムですけれど、ゲノムだけで決まるわけでもなんでもありません。
この本を書いた頃と、ゲノムにたいする考え方が違ってきていて、今私は、ゲノムは「アーカイブ」だと思っているんです。 

ゲノムは「設計図」だって、みんな言いますね。でも設計図ではありません。だってそれに従って、あらかじめ決められた建物をたてる、みたいなことは、生きものにはできないのだから。 

カエルのゲノムがあれば、「カエルが生まれます」ということは言えますよ。でも脚が何センチのカエルが生まれるかということは分かりません。そのときの様子で、脚は3センチかもしれないし、3.5センチかもしれない。そんなことは分からない。3センチならカエルで、3.5センチだったらカエルじゃないということはない。カエルはカエルなんですね。だからカエルのゲノムの中にあることは、「ここからはカエルが生まれる」ということは分かるけれど、設計図のようにきちっとしたことが書いてあるわけではない。だからゲノムは、設計図ではないというのは、昔から思っていました。 

(つづく)

中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」


2010-04-12

中村桂子先生インタビュー(4) 「現在の危機」



中村 生命科学のほとんどの研究は、分析的なやり方をしている。それで本当に人間のことが分かるか、病気のことが分かるかといったら、それはNOです。分からない。そこでもう一回、今ここでね、ハイゼンベルクたちのところへもどって、生命とは何か、意識とは何か、という問いを、物理学としてじゃなく、生物学として、あらためてきちんと立てて、その上で、新しい流れをつくらなければいけない時期ではないかと思います。

ハイゼンベルクたちの時代にすばらしい物理学者たちが悩んだように、また次の時期、私の若い頃、まわり中のちょっと私より年上の、すごいなあという人たち、ジャコブとかモノーとか、クリックとかブレナーとか、日本では渡辺先生とかそういう方たちが、ここをどうやってブレイクスルーしようか、悩んでいたように、今の研究者たちが悩んでるのかといったら、全体的に見てもそうだし、またその中でもとくに日本は、悩んでいません。そこが気になるところなのです。 

今は悩むときです。ところが今、様々なデータが機械でどんどん出せるようになっているから、それだけでやってる気になってしまう。今という時期は、次へ向かう大きなブレークスルーを生み出すべき、とても面白い時期にいると思っていて、そういう時は悩むときのはずだと思うのに、悩まない。 

もちろん、生命現象を知るための研究は大事なことですから続けながらですし、全員が悩まなくてもいいのです。意識のある人さえ、悩めばいい。それを悩まない人たちが邪魔しなければいいのだけれど、大型プロジェクトを組んで、研究費も若い人も、そちらへ持っていってしまう。 

だから今は、ほんとにまずい状況。悩む人たちが、悩む余裕を与えてもらえていない。学問に余裕がなければ、悩むことなんてできないでしょう。それを明日役に立つことをやれとか、そういうことを言われて、それをやる人がえらいんだ、みたいにやられたら、ゆっくりと悩むことできないでしょう。そういう状況を、今つくってしまってる。それが気になることです。 

極端にいえば、お金なんてなくてもできるはず、考えることは。頭を使えばいいのだから。機械はなくてもいい。ところがそんなことを言うと大変。何十億円、何百億円がないと落ち着かない人たちができてしまったから。数百万円あればいいのよ。桁がちがいます。何百億円というプロジェクトは、高い機械を買って並べて、データを出すのです。考えるということとは別のほうへ行ってしまうわけです。機械はできるだけ皆で使うようにして、そこで競争すべきで、機械を持つか持たないかは競争ではありません。 

私が危機だと言っているのは、ハイゼンベルクたちと同じところにいられるんだ、ジャコブやモノーたちと同じところにいられるんだ、そういうとても面白いところに私たちはいるのだから、今度は私たちが、彼らと同じように、みんなで悩んで新しいことを見つけ、次の流れを生み出そうよと思うのだけれど、その同志が少ないことです。 

(つづく)

中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」


2010-04-11

中村桂子先生インタビュー(3) 「たまりができる」



中村 その頃モノーが言った有名な言葉があって、「大腸菌での真実は、象での真実でもある」と。その頃はみな大腸菌で研究していたわけだけれど、遺伝の仕組みについてはすべての生きもので共通だから、ここで大腸菌について見つかったことは、すべての生きもの、象にだって通用することなんだ、もうこれで基本は全部わかっちゃったんだ、と思ったということ。それはほんとに華やかな状況でした。

ところが学問がそういう華やかな状況にある時は、一方で、新たな悩みが生まれているとさっき言いましたね。アルプスがあって、その山の上にある湖から分子生物学という細い細い、でも非常に見事な流れができた。「細い」というのは、そんなに大勢の人がやったわけではないから。ところが山の中腹で、また湖ができてしまったのです。 

次に何が分からなかったのかというと、たとえば脳のこととか。「大腸菌で分かったことは象でも同じだ」とは言うけれど、大腸菌とは仕組みがずいぶん違う「真核細胞」があり、たくさんの真核細胞が集まってできた「多細胞生物」があり。多細胞生物は「発生」といって、卵から子どもが生まれていったりするし、さらにはそこから「脳」という、とても複雑な働きをする臓器ができていく。そういうことを具体的に考えようと思うと、大腸菌を見ていただけでは何も分からない。それをどうやって研究したらいいのか。材料にするのはネズミがよいか、線虫といって細胞数の少ない簡単な生き物か、ショウジョウバエかと、みんなで議論しました。外から見ると、「DNAの研究は発展している」と言われていたけれど、中では大議論が起こって、みんなで方向を模索した、苦悩のときだったわけです。前は物理学者、今度は分子生物学者です。 

そこへ出てきたのが、ポール・バーグらによる「組換えDNA技術」。これは話せば長い物語で、分子生物学者としてのすばらしい技術や考え方があったからこそ、ポール・バーグにそれができたのですけれど、それは短い時間では話せないから割愛するとして、とにかく、組換えDNA技術を使うと、ハエだろうと、ネズミだろうと遺伝子から研究ができるという、そういう方法を開発したわけね。それともう一つは、イギリスのサンガーが、DNAの塩基配列の解析法を開発した。 

この二つの技術ができたために、今度は構想ではなく技術が解決してくれたのだけれど、「どんな動物でも扱えます」ということになった。ここですごいのは、「人間も扱えます」ということになったこと。 

ネズミなら、カゴの中で飼って、しっぽを切ったりいろいろなことをして研究できるけれど、人間をカゴに入れて、しっぽ切って研究するなんてこと、ぜったいできないでしょう。あ、人間にはしっぽはないか。だから生物学では、人間の研究はできなかった。だけど人間のDNAをとって調べることはできるのです。組換えDNA技術によって、人間まで研究できる。これはすごいことです。この技術は「とんでもない技術」とされることがあるけれど、そうではありません。学問の流れの中では、ほんとにすばらしい、重要な、革命的な、これがなかったら今の生物学はありません、という技術です。 

そういう経緯で、アルプスの中腹の湖に水がたまって、脳の研究はできない、発生学もできない、どうしよう、と言っていたところへ、この二つの技術ができて、大きな流れができて、今に至っています。ここで大事なのは、生物学が人間まで扱えるようになったということ。そうなると「医学」と生物学が結びつくことになる。医学と生物学がつながって生まれた新しい学問の太い流れが、ものすごい勢いで流れ始めました。最初はアルプスの山頂からの細い細い流れだったものが、それとは比べものにならない、太い太い流れになっているわけです。研究者も増えて研究は盛んになっているけれど、それではこのまま流れていくかというと、そうではない。また今、水がたまって、湖ができている。私は「今また、たまりができている」と考えています。 

(つづく)

中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」
中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学の流れ」

中村桂子「ゲノムが語る生命―新たな知の創出」



2010-04-10

中村桂子先生インタビュー(2) 「分子生物学という流れ」



高野 1930年代、40年代といえば量子力学が完成したあとですものね。
  
中村 そう、量子力学がほぼ完成して、それまでのニュートン力学のマクロの世界から、新たにミクロの世界が見えてきた。そこからたくさんのことは分かったけれど、しかしまだ分からないことがある。それが何かといったら「生命」であり、さらにハイゼンベルクは「意識」ということを問題にしました。 

生命や意識という問題が量子力学で解けるのかというと、そうではない。すると、量子力学の先に、生命や意識のことを明らかにする学問があるはずです。それは物理学とはまったく別の、何か新しいものか。そういうことを彼らは、一生懸命考え始める。それこそあなたが何回も読んでいるハイゼンベルクの「部分と全体」は、まさにそれでしょう。 
  
高野 ほんとにそうですね。 
  
中村 「部分と全体」は、ハイゼンベルクやボーアのそういう問題意識で満ちみちている。同じような問題意識で、シュレディンガーは「生命とは何か」を書いたわけです。あの素晴らしい人たちでさえ、この新たな問いの答えは見えない。科学として、その答えを見つけたいと思っていたわけです。 

私はそれを、アルプスのような大きな立派な山の上に、ちいちゃな湖がある、というようにイメージするの。その湖は、生命とは何か、意識とは何か、という問いでいっぱいなのだけれど、それを明らかにするためにどうしたらよいか、誰も分からなかったから、この湖からは水は流れ出さない。満ちみちているのだけれど、外へは出ない。さあどうしようと、みんなが考えていたわけです。 

そこへデルブリュックという若い物理学者が現れます。生きものを情報としてとらえ、哲学的に構想するボーアやハイゼンベルクの話を聞き、とにかく具体的にやってみよう、遺伝という現象を追いかけてみようとして、「分子生物学」という流れをつくったのです。ちいちゃなちいちゃな流れが、その湖から流れはじめた。それからもう一方、イギリスのブラッグという物理学者が、DNA分子の構造について、物理学の方法を使って解明していった。 

デルブリュックたちヨーロッパ人の、情報的、哲学的な流れ、そしてブラッグたちイギリス人の、構造的、実体的な流れ、その二つの流れの両方をつなぐような形で、1953年に、DNAの二重らせん構造が発見された。 
  
高野 あ、なるほど、DNAが二重のらせん構造をしているということが、遺伝の情報が間違いなく伝えられていくということについても、はっきりと説明したのですものね。 

中村 これはしかし正直言って、デルブリュックにしてみると、ある意味では面白くないわけです。だってこれまでの物理学とはまったく違ったような、ものすごく新しいことが出てきて、新しい学問が生まれるかと思ったら、そうではなく、DNAという物質で、生きもののことが分かるということになったのだから。デルブリュックは「分子生物学のパイオニア」としてノーベル賞を受賞するのだけれど、ぜんぜん嬉しそうな顔をしていなかったのね。 

高野 あはは、そういう写真があるのですか。 

中村 有名な話です。でもデルブリュックにとってはあまり面白くなかったかもしれないけれど、生物学としては、デルブリュックのおかげで「分子生物学」という流れがはっきりできた。それでワトソンやクリックという人たちが登場して、新しいことをどんどん見つけていって、DNAはどういうふうに複製されるのか、DNAからタンパク質がどのように作られるのかとか、たくさんのことが60年代に分かったわけです。 

(つづく)

中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」

中村桂子「ゲノムが語る生命―新たな知の創出」



2010-04-09

中村桂子先生インタビュー(1) 「分子生物学の始まり」



高野 中村先生のお書きになった「ゲノムが語る生命―新しい知の創出 (集英社新書)」を読ませていただきまして、ものすごく面白かったのです。今日はお時間をいただきまして、この本のことについて、中村先生にいくつかのご質問をさせていただきたいと思います。

この本の前半の部分で中村先生、今の生物学、生命科学の現状についてかなりのページ数をさかれていまして、「第4の科学革命」ですとか、「第2のルネッサンス」ですとか、そういう、それこそ革命的な転換が成し遂げられなければならないとお書きになっていらっしゃいます。それほどの危機感を、中村先生が生命科学の現状について、お持ちになっていらっしゃるということだと思うわけなのですが、そのあたりのことからお伺いできればと思っています。 

中村先生が、すべての細胞の中に入っている遺伝物質「DNA」の総体である、「ゲノム」の大切さを踏まえて、「生命誌を」提唱されたのは、もう20年以上前になるのでしたっけ。 
  
中村 そうですね。 考え始めたのが85年頃、研究館を構想したのは89年。
  
高野 1950年代に、生きものの遺伝をつかさどる物質が「デオキシリボ核酸」(DNA)という分子であることが発見され、それから続々と実際に、生きものの様々な性質を決めると考えられた「遺伝子」が、DNA分子の配列として明らかにされていった。しかし中村先生は、生きものとはあくまで「全体として」生きているのであって、ただ生きもののからだの部分の性質を一つ一つ明らかにしていっても、それだけでは「生きているとは何か」を明らかにすることにはならない。生きものの研究は、遺伝子ではなく、生きものがそれぞれ持っているDNAの総体である「ゲノム」を中心として行われなければならないと、提唱されたのですよね。 

その後世の中は、中村先生のおっしゃったとおりに、遺伝子を解明するだけのところからゲノムを解明するというところへと大きく動き、そして「ヒトゲノムプロジェクト」によって、人間のゲノムをすべて解読するというところにまで至ったわけなのですけれど、それでは今、生命科学が、中村先生がお考えになったように「生きているとは何か」を明らかにするというところへ、実際に向かっているのかといえば、まったくそうではない。医療や産業と結びつくことにより、それとはまったく逆ともいえる方向へ向かってしまっていると中村先生はお書きになっていらっしゃいますね。 
  
中村 医療は大切なことだし、生命科学が医療と結びつくこと自体は、何も問題はないのよ。でも生きものを考えながら医療を進めなかったら、よい医療にならないでしょう。 

私は今、今年1年をかけて本を書こうと思っていて、その出発点をあなたのブログで最初に言うことになるのだけれど。

分子生物学の始まりは、実は物理学から出ているわけです。1930年代、40年代にアインシュタイン、ハイゼンベルク、ボーア、シュレディンガーなどが新しい物理学を創りました。その前にプランクがいて。まさに「知の巨人」で、相対性理論や量子力学、宇宙から素粒子までが明らかにされて、物理学が輝いていた時です。 

ところが学問というものは、外から華々しく、盛んに見えている時は、もうすでに中にいる真剣に考えている人たちは、次を考え始める大切な時なのです。 

(つづく)




2010-04-08

中村桂子先生インタビュー掲載始めます



僕が今回、3月に仕事をやめ、一介の浪人になってやりたいと思うことは、「生命とは何か」ということについて、自分なりの答を見つけてみたいということなのだ。それはたぶん人類にとって永遠のテーマなのであり、大昔、ヒトというものが生み出されたその時から、人間はこのことを問い、答えを見つけようとしてきたのだと思う。それはもちろん、人間がまだ文字をもっていなかった頃から始まり、文字が発明されるとすぐにそれは、神話とか伝説という形で書き記されるようになった。それ以降のここ数千年、あらゆる文化、宗教から文学から、哲学、そして科学は、このことを究極の目標としているときっぱり言い切ってしまっても、まったく過言ではないのだと思う。

それがなぜかと言えば、簡単なことで、このテーマがそれだけ深くて広い、無類の面白さを秘めているからなのだと思う。面白いことに目がない僕は、やはりそれにチャレンジしたい。自分が何かを発見するとか、そういうことを露ほども期待するものではないけれど、その問いに正面からぶつかり、それをほんとに考えようと思っている人といっしょになって、試行錯誤がしてみたい。僕は心からそう思うのだ。僕が自分のこれからの人生をかけるのに十分値する、いや、十分すぎるくらいのわくわくする内容が、そこにあるのに違いないと思えるのである。

実際いま、それが科学という領域で問われるようになっていて、科学者たちの中には「科学」という枠組み自体が大きく拡張されなければ、科学はこの問にたいする答えを見つけられないのではないかと考えている人たちもいる。それがほんとにそうであるのかどうかは僕には分からないけれど、自分がものを考えている、その土台を疑ってみるということほど面白いことはそうはないということは、間違いなく言えるのではないだろうか。

生物学者である中村桂子先生は、そのことを本当に問おうとしているお一人である。僕はご著書を読んでとても面白く、先日お願いしてお話をお伺いした。約1時間にわたって、先生が今まさに構想中の新たな本の内容から、生命科学の現状、ご自身のこれからの方向性、さらにはご自身が今どういうところで迷っているのかというところまで、存分に語ってくださり、これだけの内容を僕が一人で隠し持っているのは申し訳ないということで、ご許可をいただき、明日から10回にわたって、このブログに掲載させていただくことにした。「生命とは何か」という問いのもつ面白さを、少しでもお伝えできれば嬉しいなと思っている。



2010-03-17

中村桂子 「ゲノムが語る生命 - 新しい知の創出」

中村桂子さんというのは有名な生物学者で、よく新聞に寄稿などもしているから、とくべつ生物学に興味があるという人でなくても、知っている人は多いと思う。もともと普通に、科学者として、生物学に取り組んでいたのだと思うのだが、あるところから、それに疑問を感じだしたのだな。生物学とは本来、「生きているとはどういうことか」を明らかにすることが目標であるはずなのが、
生命科学はDNAを遺伝子とする、最も小さな単位にまで還元して考え、遺伝子のはたらきを基礎に生物の構造と機能を知れば、生きもののことは理解できると考えています。そうではないでしょう。生きものは全体として生きているのであり、「生きているってどういうこと」という素朴な問いに答えるには、もっと全体的な捉え方をしなければなりません。確かに、哲学や文学で、「生きていること」を考えるときには全体として捉えていますが、科学を踏まえたうえで生きていることを全体として考えたい。それが生命誌の始まりでした。
ということで、科学を踏まえながらも、そこから一歩踏み出し、科学というものの枠にとらわれずに、「生きているとはなにか」を考え始めるのだ。この本には、そこから始まり、今に至る、中村桂子さんの冒険が分かりやすくまとめられていて、とても読み応えがある。
科学的に検証可能な、生物のからだの中にある物質のうち、生きものの全体を表わすことができるもの、それは「ゲノム」である。DNAという物質は、二重のらせん構造になっていて、それが人間だったら、2本が一対になったものが46組、からだの中のすべての細胞の中に入っているのだが、その46組のDNAの中のあちらこちらには、「遺伝子」と呼ばれる、からだの部分部分の特徴を決める領域があり、科学ではその遺伝子ばかりを、個別に研究しているけれど、生きているということを知ろうと思ったら、DNAの全体、ゲノムを見て、個別の遺伝子の働きも、ゲノム全体の中での関連として考えていかなければいけない。
そのことを中村桂子さんはもう、20年以上も前に提唱し、実践してきたのだが、果たして世の中は桂子さんの言うとおりの方向に動き、アメリカで癌を制圧しようというプロジェクトが始まったことに伴い、人間のすべてのDNAを解読しようという、「ヒトゲノムプロジェクト」が発足、日本を含め世界中の研究者を巻き込んで、2003年にめでたく解読は終了した。
ところが、ヒトゲノムを解読してみて、それでは生物学者が生きものの全体に目を向けるようになったのかと言えば、全くそうではないと、中村桂子さんは言う。生物学を国際間の巨大プロジェクトによって行い、それが成功したということに味をしめ、その後ますます、生物研究は巨大プロジェクト化するようになり、そこに「病気の治療」や「新たな医薬品の開発」という目的が結びつき、国家や産業界から莫大な予算が注ぎ込まれ、生物学者はもはや、医学的な応用にばかり目が向いて、「生きているとはなにか」などということは、消し飛んでしまっているように見えるということなのだ。
中村桂子さんはこの状況に強い危機感をおぼえ、このまま進んでしまっては、「なんだか破滅への道のような気がし」て、「まだ明確には見えていない」けれども、生きているとはなにかということを中心に据えた、「新たな知」が生み出されなければならないと考え、そのきっかけとなるためにこの本を書き、桂子さん自身がどのように考えようとしているかを、あの手この手で、なんとか伝えようとしている。はっきりしないことを伝えようとするから、一貫した論理的な説明などではなく、様々な人の言葉にヒントを得、文学的なイメージや、たとえなどもたくさん出てくるのだが、これがものすごく面白い。僕は読みながら、何カ所かで、思わず体が熱くなるくらい興奮した。
あとは本当は、この本を直接読んでもらうのが良いのだが、でもそれだけというのも何だから、僕なりに少し書いておくことにすると、まず「生きている」ということは、本来複雑なものであって、それを外側から見て、客観的に判断し、その背後にある単純な論理なり、法則なりを探そうとするのではなく、その矛盾をはらんだ複雑さにまっすぐ向き合い、受け止めなければならない。そこからしか始まらないと、中村桂子さんはいう。そしてその、生きもののもつ複雑さを「愛づる」こと、すなわち、生きものが時間の中で、変化し、発展するさまを、相手と自分を区別するのではなく、「共にあるという感覚」をもちながら愛すること。さらにはその中で得られることを、「物語る」こと。
これらのことは、すでに、これまで言われてきた意味での科学ではない。しかし、科学を無視するのではない。科学をきちんと踏まえながらも、それにとらわれることなく、生きるとはなにかに言葉をあたえることができる、「新たな知」を、共に見つけていこうじゃないかと、中村桂子さんは読者に向かって呼びかけている。しかしたしかに、僕らはみんな生きているのであり、専門家であるとないとに関わらず、そのことに無関係な人間など、この世に一人もいやしないのだ。
★★★★★
ゲノムが語る生命―新しい知の創出 (集英社新書)