小林秀雄が「本居宣長」について講演した録音テープが見つかり、4月にCDとして発売されるそうだ。買っちゃうかもな。買っちゃうな。
2010-02-26
小林秀雄全作品27、28 本居宣長(上)(下)
小林秀雄全集の最終巻。ほかに別巻に、未完の作品が一つ、残っているのだが、これでほぼ、小林秀雄の作品は、読み終わったことになる。
この「本居宣長」は、1965年から1977年、小林秀雄が63歳から75歳まで、11年半の長きにわたって、雑誌に連載されたもので、小林秀雄は80歳で亡くなり、これをまとめた後には、まとまったものは書いていないから、これが小林秀雄の集大成ということになるのだが、実際読んでみるとこれは、「遺言」とでも言いたくなるような、激しい気迫を、吹き出していて、読みながら、息が詰まりそうな、ちょっと苦しい感じもした。
小林秀雄が、デビュー以来、一貫して変わらず主張するものは、現代文明にたいする強い批判だ。「インテリ」とか、「学者」とか呼ばれる人達が、自身の人間としての実感に基づかず、頭だけで考え、構築する世界というものにたいする、激しい嫌悪、評する対象ややり方は、時代の中で、次々と変わってきているのだが、その底流にはいつも、この嫌悪の気持が流れている。
この作品でも、初めのうちこそ、学者の誤った見解を、「面白い」などという言葉を使って、オブラートに包んで表現しているのだが、たぶん人間、70歳を過ぎると、先行きも長くないし、そういう細かな配慮をすることが、面倒くさくなるのだろうな、言うだけのことを、言っておかないと、とばかりに、中盤以降は、現代の国文学者にたいする、全面否定の言葉が連ねられていく。これは、否定された方としては、当然面白くないだろうし、苦笑いして黙殺するしかないだろうが、もう関係ないのだな、そんなこと、小林秀雄は。
そういうところが、47歳の僕としては、まだ70歳の人の気持に、完全に同化できないところがあって、息が詰まりそうになると書いた所以なのだが、しかしこの「本居宣長」、小林秀雄が、それだけの確信をもって、現代文明を非難するだけのことは、あるのだな。小林秀雄は、本居宣長に出会うことによって、完全に、新しく見つけたことがあるのだ。それは小林秀雄が戦うべき相手である、「現代」という時代を織り成す、基本的な考え方が、科学というものが誕生し、物質についての説明について、巨大な前進をして、さらにそれを、人間にまで当てはめようとした、ここ数百年のものだと思っていたところが、そうではなく、さらに遡るところ数千年、人間が、「文字」というものを手に入れた、その時から、間違いが始まっていた、ということなのだ。
本居宣長という人は、「古事記伝」という、日本最古の史書である「古事記」の注解書を、数十年をかけて完成させた人なのだが、その古事記が書かれた頃、日本は独特の、言葉にかんしての事情があった。当然「やまとことば」という、古来から人が話してきた、話し言葉があったわけだが、一方、中国から膨大な書物を受け入れ、古代日本の学問が、この中国の書物を勉強することにより、行われるようになると、文字を持たなかったやまとことばは、中国からの文字の影響を受けて、大きく変わろうとしていた。天武天皇が、太安万侶(おおのやすまろ、すごいな、これも、Google IMEだと、一発で出た)に命じて、古事記を編纂することにしたというのも、当時すでに、やまとことばが変化して、古い伝承などを、古いままに、正確に発音できる人が、いなくなろうとしていた。古い伝承や、また神様への言葉などは、言われていた、その通りに発音できて初めて、その威力を発揮できるものだから、まだかろうじて、それを発音できる人が残っているうちに、その音声そのものを、記録しておかなくてはならないという、そういうことだったのだ。
だから太安万侶は、古事記を編纂するに当たって、今の平仮名に相当するような、漢字の音を使って、やまとことばの発音を表わすという、画期的な発明もしながら、なんとか、古代やまとことばの発音を、そこに再現しようと、苦心惨憺したのだった。
本居宣長は、それをまっすぐに受け取り、古代の人が、その発音によらなければ伝えることができなかった、その思想的な内容とはどういうものなのか、同じ意味を表わす漢字に置き換えてしまっては、失われてしまう、一つの世界というものを、古事記を通して、まさに古代人と出会い、親交をむすぶようにして、自分の中に構築していく。いわば古代人の話し言葉を習得し、そのことによって、古代人の心持ちを知ろうとする、そういう道を選んだのだ。
しかしそれが、いかに画期的なことであったかということは、古事記が編纂された当時ですら、べつに同じ発音でなくたって、同じ意味の漢語に置き換えて、何も不自由はないではないかと、そういう考えで、「日本書紀」というものが、古事記とは別に編纂されたり、またそれ以後も、本居宣長に至るまで、学問は中国語で行えば良いのであると考えられ、古事記を、古代日本人の話し言葉が書かれたものとして尊重し、それをその通りに受け取って研究する人は、まったくおらず、さらには、小林秀雄が鋭く指摘するとおり、それは現代に至るまで、本居宣長が行ったことを、学者がきちんと評価したことは、一度もなかった、ということなのだ。
それはなぜかと言えば、言葉というものはもともと、話されていたものであって、人間の歴史が何万年か、あるとして、文字というものが発明されたのは、たかだかここ数千年のことであり、文字を手にしてしまった側から見れば、文字のない時代など野蛮であり、幼稚な人しかおらず、素朴なことしか考えられていなかったと、思いたくなるが、そんなことは、あるはずがない、文字のない世界に住んでいたのも、今の人間と変わらない、同じ人間であり、同じ情をもっていた、そういうことが、今の時代、いや、人間が文字を手にしてしまってよりこの方、見えにくくなってしまったからなのだ。
話し言葉そのものの中に、人間が社会生活を営む上で、すでに十分豊富な内容が、きちんと含まれている。独特の抑揚をもった話し言葉こそを、言葉として表現することがすなわち、何かを感じることである人間が、いちばんの基盤としていくべきものなのだ。小林秀雄はこの本の中で、そのことを繰り返し繰り返し、手を変え品を変え、訴えていくのである。
小林秀雄が今回、この本を書くに当たって、それではそのことを読者に、どのようにしたらわかってもらえるか、と考え、決めたことがある。それは、古事記の原文や、それにたいする本居宣長の注解など、それらはすべて、古文なわけだが、それをふんだんに引用するということだ。本居宣長が古事記の中に、何を見つけたかということは、それを現代語に翻訳してしまっては、決してわからないことがある、古事記の、そして本居宣長の、言葉そのものに、読者に触れてもらうようにしなければならない。ということで、のっけから、本居宣長の遺書の長文な引用があって、こちらは古文などを読んだ経験は、ほとんどないわけだし、新潮社がつけた簡単な脚注はあるのだが、小林秀雄自身はそれを、ほとんど説明しないしで、初めはちょっと、読むのがつらかった。
しかしこれは、小林秀雄自身の体験を、読者も自分で、いっしょに体験してみるということなのだな。古文をゆっくりと、味わいながら、細かいところはわからなくても、気にせず、進んでいくと、意外にわかるようになっていく。本居宣長の文体に垣間見える、明確な言葉にならぬ趣きというものも、感じられるようになっていく。小林秀雄のみならず、彼の親友たる本居宣長に、すこしは近づけたような、そんな気がした。
この本は、巻末に、次の言葉で締められている。
もう、終わりにしたい。結論に達したからではない。私は、宣長論を、彼の遺言書から始めたが、このように書いて来ると、又、其処へ戻る他ないという思いが頻(しき)りだからだ。ここまで読んで貰えた読者には、もう一ぺん、此の、彼の最後の自問自答が、(機会があれば、全文が)、読んで欲しい、その用意はした、とさえ、言いたいように思われる。
僕は小林秀雄の作品を、ずっと通読してきたからわかるのだが、これはただ、小林秀雄の熱意の表れではないのだ。小林秀雄は、もうずっと以前から、批評という形式で、文学作品と言えるものを書いてみたいと、思い続けてきた。その文学作品とは、それ自体が独立した生命をもつようなもので、その一つの形として、結末に至ったときに、また初めに戻るような、そういうものであると、ドストエフスキーを論じたときに、言っていたと思う。上の言葉は、小林秀雄が、半生をかけて夢描き、到達しようとしたところに、自分はたしかに来ることができた、この「本居宣長」は、たしかに、一つの生命を持った、文学作品なのだという、これ以上のない、喜びの表現なのだ。
★★★★★
2010-01-27
小林秀雄全作品26 「信じることと知ること」
この小林秀雄の全集、第26巻には、1966年から1976年、小林秀雄が64歳から74歳までの10年余りに書いた文章が収められている。この期間はちょうど、小林秀雄が「本居宣長」を連載していた期間であって、だからこの巻には、小林秀雄が本居宣長以外に書いた文章が入っているということになる。10年分で1冊だから、いかに少ないか。ほとんどが、おそらく義理があって、断ることができなくて書いたものなのだろう、全集の序文やら、追悼の言葉やら、親しい人との対談やらで、小林秀雄がこの10年間、どんなに本居宣長に集中したのかがよくわかる。
そうしたもののなかで、異彩を放つのが、この巻の表題にもなっている、「信じることと知ること」である。昭和49年に鹿児島県の高校で講演したものを、小林秀雄が改めて、自分で手を入れたもので、この時の講演の録音は、CDになっていて、それは先日、僕が買ったものなのだが、講演と文章を見比べると、なかなか面白く、小林秀雄の創作の秘密に触れるような感じもする。
話の流れはだいたい一緒なのだが、一つ一つの文章は、ほとんどすべてと言っていいくらい、書き換えられている。書下ろしと言っても差し支えないんじゃないか。「魂はあるかないか、あるに決まってるじゃないですか」というような、断定的な表現は姿を消し、しかしそのことを、誰でもが受け入れることができるような、全編にわたる多数の表現として、置き直している。そうなんだよな、小林秀雄は、自分にとって一言で断定できること、自分自身は間違いなく信じていることを、世の中の人が受け入れられるような表現に、どう紡いでいくことができるかを、おそらく生涯をかけて問い続けた人なのだな。
この「信じることと知ること」にも変わらず流れている、小林秀雄が一貫して言い続けた内容は、自分自身が心を虚しくして、何かに向かい、そこで感じたり思ったりしたことは、自分自身という、誰に作られたものでもない、生命体、内なる自然の中で、たしかに起こった事実なのだから、それがどんなに、世の中で一般に言われていることと食い違っていたとしても、あわてて否定する必要はない、それをそのまま口にするかどうかは別としても、事実として受け止めることが大事なのだ、そこからしか、人間というものは、本当のスタートを切ることはできないのだ、ということだ。
猟師が山の中で、白い鹿を見た。白い鹿は山では、神様として崇められており、猟師はそれを撃ちとることは躊躇したが、しかし猟師としてのプライドにかけて、弾を発射した。たしかに命中したはずなのに、鹿は動かない。今度は魔除けとして身につけていた、金の弾にヨモギを巻いて、再び撃ったが、それでも鹿は動かない。そこで猟師は、おそるおそる白い鹿に近寄ってみると、それは白い岩だった。ここで猟師は、強い衝撃を受ける。数十年におよぶ猟師生活、自分は岩と鹿を、間違えるはずがない。これはまったく魔障のしわざに違いないと、この時ばかりはもう猟をやめようかと、真剣に考えた。
これは「信じることと知ること」に引用された、柳田国男という民俗学者の文章だが、白い岩を見て、単なる自分の間違いと思うのでなく、魔障の仕業と信じること、そしてその信じたことに、自分が責任をもつということ、人間が生きるということは、本来、そういうものじゃなかったのかと、小林秀雄は繰り返し、僕らに語ってくれているのだ。
そうしたもののなかで、異彩を放つのが、この巻の表題にもなっている、「信じることと知ること」である。昭和49年に鹿児島県の高校で講演したものを、小林秀雄が改めて、自分で手を入れたもので、この時の講演の録音は、CDになっていて、それは先日、僕が買ったものなのだが、講演と文章を見比べると、なかなか面白く、小林秀雄の創作の秘密に触れるような感じもする。
話の流れはだいたい一緒なのだが、一つ一つの文章は、ほとんどすべてと言っていいくらい、書き換えられている。書下ろしと言っても差し支えないんじゃないか。「魂はあるかないか、あるに決まってるじゃないですか」というような、断定的な表現は姿を消し、しかしそのことを、誰でもが受け入れることができるような、全編にわたる多数の表現として、置き直している。そうなんだよな、小林秀雄は、自分にとって一言で断定できること、自分自身は間違いなく信じていることを、世の中の人が受け入れられるような表現に、どう紡いでいくことができるかを、おそらく生涯をかけて問い続けた人なのだな。
この「信じることと知ること」にも変わらず流れている、小林秀雄が一貫して言い続けた内容は、自分自身が心を虚しくして、何かに向かい、そこで感じたり思ったりしたことは、自分自身という、誰に作られたものでもない、生命体、内なる自然の中で、たしかに起こった事実なのだから、それがどんなに、世の中で一般に言われていることと食い違っていたとしても、あわてて否定する必要はない、それをそのまま口にするかどうかは別としても、事実として受け止めることが大事なのだ、そこからしか、人間というものは、本当のスタートを切ることはできないのだ、ということだ。
猟師が山の中で、白い鹿を見た。白い鹿は山では、神様として崇められており、猟師はそれを撃ちとることは躊躇したが、しかし猟師としてのプライドにかけて、弾を発射した。たしかに命中したはずなのに、鹿は動かない。今度は魔除けとして身につけていた、金の弾にヨモギを巻いて、再び撃ったが、それでも鹿は動かない。そこで猟師は、おそるおそる白い鹿に近寄ってみると、それは白い岩だった。ここで猟師は、強い衝撃を受ける。数十年におよぶ猟師生活、自分は岩と鹿を、間違えるはずがない。これはまったく魔障のしわざに違いないと、この時ばかりはもう猟をやめようかと、真剣に考えた。
これは「信じることと知ること」に引用された、柳田国男という民俗学者の文章だが、白い岩を見て、単なる自分の間違いと思うのでなく、魔障の仕業と信じること、そしてその信じたことに、自分が責任をもつということ、人間が生きるということは、本来、そういうものじゃなかったのかと、小林秀雄は繰り返し、僕らに語ってくれているのだ。
2010-01-23
小林秀雄全作品25 「人間の建設」
小林秀雄の全集も、読み続けてかれこれ10か月、全33巻中、別冊2巻を先に読んだから、27巻まで来たことになる。最後の2巻は、小林秀雄が書いたものじゃなく、まわりの人が小林秀雄について書いたものだったり、年表などの資料だったりするから、実質あと3巻。もうちょっとだな。
この25巻「人間の建設」は、小林秀雄が1958年から1963年まで取り組んだ、ベルグソンについての連載が中断し、それから2年弱、次の本居宣長についての連載が始まったあたりまでの文章が集められている。
小林秀雄62歳、そろそろ人生も、終わりへ向かって、下り坂に入る頃かと思うが、まだまだまったく、引退するとか、そういうつもりはないのだな。ベルグソンの連載で、未完に終わったとはいえ、はっきりと明確になったテーマがあって、それは一言でいうと、「精神と物質が、どう折り合いをつけられるのか」ということなのだが、未完になっただけに、心の炎がより強く、燃え上がったのだろう、なんとか自分なりの答えを見つけたいと、思い続けているのだ。
ちょっと前に雑誌で、立花隆が書いたものの中に、東大だかの脳科学者が、「脳の研究が発展すれば、そのうち心理学とか、言語学とか、そういう人間の精神に関することはすべて、脳という物質の振る舞いで言い表すことができるようになる、そういう学問は、遠くない将来になくなるだろう」なんてことを言ってるのを見たことがあるが、小林秀雄がいちばん強く批判するのは、そういう考え方だ。
現代科学の発展により、天体の運行とか、原子や電子の振る舞いとか、そしてその延長に、生物の身体の中における、タンパク質とか、核酸とか、そういう分子の振る舞いも、ずいぶん詳しくわかるようになり、それによってたしかに、生物や、そして人間の色々なことが、説明できるようになっている。しかし、そういう、物質が客観的にどんな振る舞いをするのか、ということ、それもたしかに、一つの実在に違いないが、もう一つ、それとはまったく別個に、人間の精神という、これは決して客観的に見ることはできず、自分自身が、主観的に、見るより他ないものなのだが、それももう一方で、はっきりとした実在、たしかに存在するものなのだ。そういう、人間の主観的な側面を忘れ去って、すべてが客観的に言い表されるという幻想を抱いてしまうことが、現代の文明における最大の間違いであると、小林秀雄はデビュー以来、強く主張してきたのだったが、さらにここに来て、ただ間違いであると指摘するだけにとどまらず、それではその、物質と精神という、相異なる、しかしたしかに存在する二つのものが、それではどうしたら、折り合いをつけて、一つの体系としてまとめることができるのか、現代科学という、物質のふるまいのみを扱ったものだけが、体系化されていて、もう一方の、欠かすことができない、精神というものが置き去りにされているから、現代の様々な問題が生まれているのであり、きちんと精神というものが含まれた、より大きな一つの体系、そういうものを、自分自身がすべてを見つけることはできないにしても、その方向くらいは指し示したい、そう思っているのだな、小林秀雄は。
この25巻の中でも、随所にそういうことを、小林秀雄は書いているのだが、中でも圧倒的に面白いのは、この25巻の表題にもなっている、「人間の建設」という、これはもう亡くなった数学者である岡潔という人との対談。
小林秀雄は、ずいぶん色々な人と対談してるのだが、ほとんどはあまり面白くなくて、ずいぶん前の、坂口安吾との対談、これまでは面白いのはこれくらいしかなく、物理学者湯川秀樹との対談も、話がぜんぜん噛み合わず、つまらなかったのだが、今回の岡潔との対談、これはすごい。
岡潔という人は、僕は今回初めて知ったが、かなりの人物なんだな、言うことがいちいち面白いし、さらに小林秀雄と、息がぴったりと合って、お互いに共鳴しあって、お互いの話が、次々と引き出されていくのだ。
小林秀雄は、そしていよいよ、上の問いをもって、本居宣長に挑んでいくわけだ。10年に及ぶ連載だから、すごいよな。小林秀雄の人生の、最終幕が、これから始まるってわけだ。
この25巻「人間の建設」は、小林秀雄が1958年から1963年まで取り組んだ、ベルグソンについての連載が中断し、それから2年弱、次の本居宣長についての連載が始まったあたりまでの文章が集められている。
小林秀雄62歳、そろそろ人生も、終わりへ向かって、下り坂に入る頃かと思うが、まだまだまったく、引退するとか、そういうつもりはないのだな。ベルグソンの連載で、未完に終わったとはいえ、はっきりと明確になったテーマがあって、それは一言でいうと、「精神と物質が、どう折り合いをつけられるのか」ということなのだが、未完になっただけに、心の炎がより強く、燃え上がったのだろう、なんとか自分なりの答えを見つけたいと、思い続けているのだ。
ちょっと前に雑誌で、立花隆が書いたものの中に、東大だかの脳科学者が、「脳の研究が発展すれば、そのうち心理学とか、言語学とか、そういう人間の精神に関することはすべて、脳という物質の振る舞いで言い表すことができるようになる、そういう学問は、遠くない将来になくなるだろう」なんてことを言ってるのを見たことがあるが、小林秀雄がいちばん強く批判するのは、そういう考え方だ。
現代科学の発展により、天体の運行とか、原子や電子の振る舞いとか、そしてその延長に、生物の身体の中における、タンパク質とか、核酸とか、そういう分子の振る舞いも、ずいぶん詳しくわかるようになり、それによってたしかに、生物や、そして人間の色々なことが、説明できるようになっている。しかし、そういう、物質が客観的にどんな振る舞いをするのか、ということ、それもたしかに、一つの実在に違いないが、もう一つ、それとはまったく別個に、人間の精神という、これは決して客観的に見ることはできず、自分自身が、主観的に、見るより他ないものなのだが、それももう一方で、はっきりとした実在、たしかに存在するものなのだ。そういう、人間の主観的な側面を忘れ去って、すべてが客観的に言い表されるという幻想を抱いてしまうことが、現代の文明における最大の間違いであると、小林秀雄はデビュー以来、強く主張してきたのだったが、さらにここに来て、ただ間違いであると指摘するだけにとどまらず、それではその、物質と精神という、相異なる、しかしたしかに存在する二つのものが、それではどうしたら、折り合いをつけて、一つの体系としてまとめることができるのか、現代科学という、物質のふるまいのみを扱ったものだけが、体系化されていて、もう一方の、欠かすことができない、精神というものが置き去りにされているから、現代の様々な問題が生まれているのであり、きちんと精神というものが含まれた、より大きな一つの体系、そういうものを、自分自身がすべてを見つけることはできないにしても、その方向くらいは指し示したい、そう思っているのだな、小林秀雄は。
この25巻の中でも、随所にそういうことを、小林秀雄は書いているのだが、中でも圧倒的に面白いのは、この25巻の表題にもなっている、「人間の建設」という、これはもう亡くなった数学者である岡潔という人との対談。
小林秀雄は、ずいぶん色々な人と対談してるのだが、ほとんどはあまり面白くなくて、ずいぶん前の、坂口安吾との対談、これまでは面白いのはこれくらいしかなく、物理学者湯川秀樹との対談も、話がぜんぜん噛み合わず、つまらなかったのだが、今回の岡潔との対談、これはすごい。
岡潔という人は、僕は今回初めて知ったが、かなりの人物なんだな、言うことがいちいち面白いし、さらに小林秀雄と、息がぴったりと合って、お互いに共鳴しあって、お互いの話が、次々と引き出されていくのだ。
小林秀雄は、そしていよいよ、上の問いをもって、本居宣長に挑んでいくわけだ。10年に及ぶ連載だから、すごいよな。小林秀雄の人生の、最終幕が、これから始まるってわけだ。
2010-01-19
小林秀雄全作品24
「考えるヒント」の下巻。考えるヒントは「文藝春秋」に連載されたもので、文藝春秋というのはわりかし、文学臭を好まず、あくまで一般の人が興味を持ちそうな題材を取り上げることを旨としているから、この連載に当たっても、たぶん小林秀雄に対して、そういう風に注文したのじゃないかと思う。小林秀雄も「ベルグソン」のしんどい連載をやりながら、こちらを息抜き的に捉えてたのだろう、「常識」「読者」「漫画」「良心」などなど、初めのうちこそ、読者の気を引きそうな題材を選び、軽いタッチで進んできていたのだが、途中から、むくむくと、虫が疼いてしまったのだな、この下巻になると、江戸時代の儒学者「徂徠」(すごいな、この徂徠という字、GoogleのIMEを使っているのだが、「そらい」と打ったら一発で出た)や、国学者「本居宣長」などの話題一色になってしまった。この後4年くらいして、小林秀雄は本居宣長の連載を始めるから、もうこの頃から、興味を持って調べ始めていたということなのだな。
小林秀雄はこの頃、ちょうど60歳になったあたりで、言わんとする内容について、デビュー当時から違ったことを言うのではないのだが、それがどんどん煮詰まって、純化され、明確になりつつある、という感じがする。それが何かを、ここで簡単に言うことはできないわけだが。本居宣長は12年に渡って連載され、無事完結したのだから、まさにこれが、小林秀雄の集大成ということになるのだな。
小林秀雄はこの頃、ちょうど60歳になったあたりで、言わんとする内容について、デビュー当時から違ったことを言うのではないのだが、それがどんどん煮詰まって、純化され、明確になりつつある、という感じがする。それが何かを、ここで簡単に言うことはできないわけだが。本居宣長は12年に渡って連載され、無事完結したのだから、まさにこれが、小林秀雄の集大成ということになるのだな。
2010-01-11
小林秀雄講演CD第二巻「信じることと考えること」
小林秀雄の講演CD、僕は本を読んでいるから、こんなものは聞かなくていいと、買っていなかったのだが、やはり小林秀雄の生の声が聞いてみたいと、ミーハーな僕としては、つい買ってしまった。2時間ほどの講演が収められた、CD2枚組が、4,200円。講演をした本人は、こんなものが売り物にされるとは思っていなかったわけだから、ちょっと高いのじゃないかと思うが、どうなのか。
昭和49年に、鹿児島県の高校で、高校生や大学生など、若者相手に話したもので、講演という限られた人を相手に話す場だからか、若者相手だからなのか、本で読むのと比べて、現代の知識人や科学に対する批判が、だいぶ歯切れが良い。その分わかりやすくなっていて、やはり本に書くときは、自分の書いたことに対する反論なども意識しながら書くだろうから、かなりオブラートに包まれていたんだな。
ユリ・ゲラーの超能力が、ちょうど流行った頃らしく、テレビの前で念じたら、自分の時計も動いたり、スプーンも曲がったのだそうで、そういう念力やなんかみたいなものは、自分も昔からよく知っているのだが、それに対する知識人の態度が、そんなものを頭から信じないか、ただ無責任に囃したてるか、そのどちらかで、現実の実際の経験に対する態度として、非常に良くない、というような話もしていて、あ、そこまで踏み込んで言うんだなと、ちょっと新鮮だった。普通なら念力を認めることなど、おかしなおやじだと思われるから、あまり言わないようにするようなことじゃないかと思うが、違うのだな、小林秀雄は。
CDに入っている解説に、「志ん生の話し方に似ている」と書いてあって、僕は志ん生の落語というものは聞いたことがないから、似ているのかどうかわからないが、たしかに鼻に抜けた、ちょっと甲高いような声で、ゆっくりと間を置きながら話していて、聴きやすい。学生の質問も入っていて、そういうものに小林秀雄が答える、その答え方も、面白い。
信ずることと考えること―講義・質疑応答 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻)
★★★★☆
昭和49年に、鹿児島県の高校で、高校生や大学生など、若者相手に話したもので、講演という限られた人を相手に話す場だからか、若者相手だからなのか、本で読むのと比べて、現代の知識人や科学に対する批判が、だいぶ歯切れが良い。その分わかりやすくなっていて、やはり本に書くときは、自分の書いたことに対する反論なども意識しながら書くだろうから、かなりオブラートに包まれていたんだな。
ユリ・ゲラーの超能力が、ちょうど流行った頃らしく、テレビの前で念じたら、自分の時計も動いたり、スプーンも曲がったのだそうで、そういう念力やなんかみたいなものは、自分も昔からよく知っているのだが、それに対する知識人の態度が、そんなものを頭から信じないか、ただ無責任に囃したてるか、そのどちらかで、現実の実際の経験に対する態度として、非常に良くない、というような話もしていて、あ、そこまで踏み込んで言うんだなと、ちょっと新鮮だった。普通なら念力を認めることなど、おかしなおやじだと思われるから、あまり言わないようにするようなことじゃないかと思うが、違うのだな、小林秀雄は。
CDに入っている解説に、「志ん生の話し方に似ている」と書いてあって、僕は志ん生の落語というものは聞いたことがないから、似ているのかどうかわからないが、たしかに鼻に抜けた、ちょっと甲高いような声で、ゆっくりと間を置きながら話していて、聴きやすい。学生の質問も入っていて、そういうものに小林秀雄が答える、その答え方も、面白い。
信ずることと考えること―講義・質疑応答 (新潮CD 講演 小林秀雄講演 第 2巻)
★★★★☆
小林秀雄全作品23「考えるヒント(上)」
小林秀雄は、ベルグソンについてのしんどい論文を「新潮」に連載しながら、この「考えるヒント」を「文藝春秋」に連載したのだけれど、ベルグソンの論文とは違ってこちらは、「常識」とか「歴史」とか、「言葉」とか、「忠臣蔵」とか、一般の人が興味を持てる題材を選び、文章もやわらかくてわかりやすいのだが、背景に、今小林秀雄が格闘しているベルグソンの哲学が、色濃く匂っていて、小林秀雄、円熟の境地、彼が到達した、一つの地点というところなんだな。実際小林秀雄をまず読むのなら、文庫本も出ているこの「考えるヒント」というのは、一般の評価だと思うし、僕もここから入って、深みにはまっていったのだ。
小林秀雄の何がいいのかというと、彼は「知識」とか「知識人」とかいうものを信用せず、人が生身の人間として、見たり聞いたりして感じること、経験すること、これを常に、全てのものの中心に据えるのだよな。客観的なものごとだけが、知識といえることであり、個人の経験などという主観的なものは、取るに足りない小さなことだと思われている現代において、そうではない、個人の経験というものが、全ての知識の出発点なのだということを、これはドン・キホーテみたいなものだよな、世界中を向こうにまわして言い続け、そして実際に、小林秀雄は、自分自身の経験から出発して、文芸の世界から、音楽から、絵画から、哲学から、その他ありとあらゆるものについて、素手で格闘し、自分のものとし、そしてその歩みが、日本における近代批評の歩みそのものとなっている。男らしい人生、すごい人だよな、ほんとに。
小林秀雄の文章は、小説などを読み慣れている頭からすると、ちょっと難しい感じがするのだが、それを味わうということそのものが、読者としての、一つの経験なのだ。小林秀雄は、専門的な用語や知識を極力使わず、日常に普通に使われる言葉と、誰もが身に備えているはずの常識だけで、全てを書き表そうとしているから、難しく思えるのは、前提となっている知識が足りないためではなく、小林秀雄が伝えようとしている考えそのものが、現代に生きる自分たちにとって、不慣れなものである、ということなのだよな。それを味わい、慣れて、親しんでいくということが、小林秀雄を経験するということなのだ。
小林秀雄全作品〈23〉考えるヒント〈上〉
考えるヒント (文春文庫)
考えるヒント〈2〉 (文春文庫)
小林秀雄の何がいいのかというと、彼は「知識」とか「知識人」とかいうものを信用せず、人が生身の人間として、見たり聞いたりして感じること、経験すること、これを常に、全てのものの中心に据えるのだよな。客観的なものごとだけが、知識といえることであり、個人の経験などという主観的なものは、取るに足りない小さなことだと思われている現代において、そうではない、個人の経験というものが、全ての知識の出発点なのだということを、これはドン・キホーテみたいなものだよな、世界中を向こうにまわして言い続け、そして実際に、小林秀雄は、自分自身の経験から出発して、文芸の世界から、音楽から、絵画から、哲学から、その他ありとあらゆるものについて、素手で格闘し、自分のものとし、そしてその歩みが、日本における近代批評の歩みそのものとなっている。男らしい人生、すごい人だよな、ほんとに。
小林秀雄の文章は、小説などを読み慣れている頭からすると、ちょっと難しい感じがするのだが、それを味わうということそのものが、読者としての、一つの経験なのだ。小林秀雄は、専門的な用語や知識を極力使わず、日常に普通に使われる言葉と、誰もが身に備えているはずの常識だけで、全てを書き表そうとしているから、難しく思えるのは、前提となっている知識が足りないためではなく、小林秀雄が伝えようとしている考えそのものが、現代に生きる自分たちにとって、不慣れなものである、ということなのだよな。それを味わい、慣れて、親しんでいくということが、小林秀雄を経験するということなのだ。
小林秀雄全作品〈23〉考えるヒント〈上〉
考えるヒント (文春文庫)
考えるヒント〈2〉 (文春文庫)
2010-01-02
小林秀雄全作品別巻2 「感想(下)」
小林秀雄の全集、年代を追ってずっと読んできているのだが、随筆みたいな軽い文章が多い巻は、サクサク読めるが、これは「ベルグソン」という哲学者についてのものだから、言葉は難しいし、さらに内容は、輪をかけて難しいしで、けっこう読むのが大変だった。でもこの小林秀雄を読みながら、こういう難しい本の読み方も、会得してきたところがあるのだよな。ただ字面を追うのではなく、味わって読む、という感じなのだが、自分なりに味わっていると、言葉の一つ一つは正確にわからなくても、自分なりの理解で、それなりに面白く読めたりもするのだよな。
小林秀雄は、このベルグソンに、56歳から61歳という、男子の一生で、もっとも脂の乗った時期に取り組んだわけなのだが、それは、若い頃から小林秀雄が、ベルグソンに、深く心酔していた、ということもあったろうが、それだけじゃなく、ベルグソンが持っていた問い、「精神と物質」というものを、どのように調和することができるか、ということが、小林秀雄自身が、たぶん究極の問いとして考えていたことと、またそれは小林秀雄だけの問いにとどまらず、実際、今でも、現代社会最大の問いである、と言えることだからなのだと思う。そこに、成算はなくとも、もっとも力が出せるときに、出来る限りの挑戦をしてみたいと、小林秀雄は思ったのじゃないかと思う。
科学の進歩により、人間の脳のことは、ずいぶん色々わかるようになったわけだ。でも色々な分析をしても、脳というものの中には、脳細胞があって、細胞の中には、タンパク質やら何やらの分子があって、それら細胞や分子が、お互いに複雑に、作用しあっている、ということが見えてくるだけで、そういうものが全体としてどうやって、人間の意識とか、記憶とか、そういうものを作り上げているのか、脳科学者や心理学者は、「今にわかる」と言うのだけれど、じつはちっともわかっていないし、わかる見込みもない、そういうことを、ベルグソン、そして小林秀雄は言うのだ。人間の精神というものは、外側から分析して、つつき回しても、見えてくるものではない。そうではなく、精神の働きというものは、じつはすべての人が、自分の内側に、感じることができるものであって、心を研ぎ澄まして、それを見ていけば、人間の精神がどのような構造をもち、どのような働きをするものなのかが、少しずつはっきりと、明らかになっていくし、それだけが、精神というものを明らかにする、唯一の道である、ということで、ベルグソンは、自分自身を実験台にして、探求していった人なのだな。
ベルグソンがすごいと思ったのは、脳科学者とは逆に、そうやって自分自身の内側を見ることで、物質というところまでを、一貫して説明してしまうのだ。物質は、人間の外にあって、精神は、人間の中にある、普通そう思われているが、それはじつは違って、人間は、そこら中にある色々なものを、自分が生きていく必要に応じて、自分なりに知覚しているのだから、その知覚が、自分にとってはもののすべてであって、知覚とものは、イコールだ、机の上に本があって、それを人間が知覚しているのなら、知覚は人間の中にではなく、机の上にあるのだ、というのだ。まあ深遠な内容を、簡単な言葉で片付けてしまったから、たぶん間違っていると思うが、知覚が机の上にあるというのは、すごいよな。僕は思わず、人間がアメーバみたいなもので、触手を机の上にのばして、本をまさぐっているような、そういう絵を想像してしまった。
ベルグソンはそういうやり方で、精神から物質までを、一貫して説明しきって、自分なりにそれで満足したのだと思うが、たぶん、小林秀雄は、まだわかったような気がしなかったのだな。それで、量子力学という、原子や電子など、ミクロの世界についての物理学、それは、1920年から30年くらいにかけて完成して、その頃にはベルグソンは、もう年だったので、量子力学については、何も言っていないのだが、これを持ち出してきたのだ。ミクロの世界では、例えば電子なら電子が、人間が観測するときには、粒の振る舞い、観測しないときには、波の振る舞いをするという、本来、人間の観測などには関係ない、客観的であるはずの自然が、その観測によって影響を受けてしまうという、革命的な発見があって、これが世の思想家や哲学者たちにも、大きな影響を与えたのだが、小林秀雄は、ベルグソンが知らなかった、この量子力学における発見を引き合いに出すことによって、ベルグソンの言っていることを、より明確にすることができるんじゃないかと思ったのだな。それで、この量子力学の説明に、ずいぶんたくさんのページを割いている。
じつはこの「感想」という、ベルグソンについての文章は、小林秀雄、間違ったと思って、本にすることも禁じ、全集にも入れず、それを自分が死んでからも守るように、遺言までしたのだ。なのだが、それをわきまえずに、当時連載された文章を引用することが後を絶たず、新潮社と小林秀雄の遺族が、相談の上、小林秀雄の遺志をきちんと表明した上で、全集に別巻として追加する、ということで、10年くらい前に、誰でも読めるようになったのだが、僕は小林秀雄が「間違った」というのが、文学者が、量子力学という物理学を理解するに当たって、間違った理解をしてしまったのかと思っていたのだが、そうではないな。見たかぎり、量子力学について、小林秀雄は、ほんとによく勉強したみたいで、きちんとした理解をしている。そうではなく、僕が思うに、哲学と物理学という、土俵自体が違うものを、融合させることはできなかった、ということなんだな。だから、量子力学を引き合いにだしたことそのものが、そもそも間違いだった、ということなのだ。いや、もしかしたらそれは、間違いではなかったのかもしれないが、問いがあまりにも大きすぎて、小林秀雄の手には余った、ということかもな。
しかし、この、小林秀雄が挑戦した問い、精神と物質とが、いかに調和しうるのか、ということは、いま最大の問いであることに、間違いはないのだ。僕も挑戦したいな。なんちゃって。
小林秀雄は、このベルグソンに、56歳から61歳という、男子の一生で、もっとも脂の乗った時期に取り組んだわけなのだが、それは、若い頃から小林秀雄が、ベルグソンに、深く心酔していた、ということもあったろうが、それだけじゃなく、ベルグソンが持っていた問い、「精神と物質」というものを、どのように調和することができるか、ということが、小林秀雄自身が、たぶん究極の問いとして考えていたことと、またそれは小林秀雄だけの問いにとどまらず、実際、今でも、現代社会最大の問いである、と言えることだからなのだと思う。そこに、成算はなくとも、もっとも力が出せるときに、出来る限りの挑戦をしてみたいと、小林秀雄は思ったのじゃないかと思う。
科学の進歩により、人間の脳のことは、ずいぶん色々わかるようになったわけだ。でも色々な分析をしても、脳というものの中には、脳細胞があって、細胞の中には、タンパク質やら何やらの分子があって、それら細胞や分子が、お互いに複雑に、作用しあっている、ということが見えてくるだけで、そういうものが全体としてどうやって、人間の意識とか、記憶とか、そういうものを作り上げているのか、脳科学者や心理学者は、「今にわかる」と言うのだけれど、じつはちっともわかっていないし、わかる見込みもない、そういうことを、ベルグソン、そして小林秀雄は言うのだ。人間の精神というものは、外側から分析して、つつき回しても、見えてくるものではない。そうではなく、精神の働きというものは、じつはすべての人が、自分の内側に、感じることができるものであって、心を研ぎ澄まして、それを見ていけば、人間の精神がどのような構造をもち、どのような働きをするものなのかが、少しずつはっきりと、明らかになっていくし、それだけが、精神というものを明らかにする、唯一の道である、ということで、ベルグソンは、自分自身を実験台にして、探求していった人なのだな。
ベルグソンがすごいと思ったのは、脳科学者とは逆に、そうやって自分自身の内側を見ることで、物質というところまでを、一貫して説明してしまうのだ。物質は、人間の外にあって、精神は、人間の中にある、普通そう思われているが、それはじつは違って、人間は、そこら中にある色々なものを、自分が生きていく必要に応じて、自分なりに知覚しているのだから、その知覚が、自分にとってはもののすべてであって、知覚とものは、イコールだ、机の上に本があって、それを人間が知覚しているのなら、知覚は人間の中にではなく、机の上にあるのだ、というのだ。まあ深遠な内容を、簡単な言葉で片付けてしまったから、たぶん間違っていると思うが、知覚が机の上にあるというのは、すごいよな。僕は思わず、人間がアメーバみたいなもので、触手を机の上にのばして、本をまさぐっているような、そういう絵を想像してしまった。
ベルグソンはそういうやり方で、精神から物質までを、一貫して説明しきって、自分なりにそれで満足したのだと思うが、たぶん、小林秀雄は、まだわかったような気がしなかったのだな。それで、量子力学という、原子や電子など、ミクロの世界についての物理学、それは、1920年から30年くらいにかけて完成して、その頃にはベルグソンは、もう年だったので、量子力学については、何も言っていないのだが、これを持ち出してきたのだ。ミクロの世界では、例えば電子なら電子が、人間が観測するときには、粒の振る舞い、観測しないときには、波の振る舞いをするという、本来、人間の観測などには関係ない、客観的であるはずの自然が、その観測によって影響を受けてしまうという、革命的な発見があって、これが世の思想家や哲学者たちにも、大きな影響を与えたのだが、小林秀雄は、ベルグソンが知らなかった、この量子力学における発見を引き合いに出すことによって、ベルグソンの言っていることを、より明確にすることができるんじゃないかと思ったのだな。それで、この量子力学の説明に、ずいぶんたくさんのページを割いている。
じつはこの「感想」という、ベルグソンについての文章は、小林秀雄、間違ったと思って、本にすることも禁じ、全集にも入れず、それを自分が死んでからも守るように、遺言までしたのだ。なのだが、それをわきまえずに、当時連載された文章を引用することが後を絶たず、新潮社と小林秀雄の遺族が、相談の上、小林秀雄の遺志をきちんと表明した上で、全集に別巻として追加する、ということで、10年くらい前に、誰でも読めるようになったのだが、僕は小林秀雄が「間違った」というのが、文学者が、量子力学という物理学を理解するに当たって、間違った理解をしてしまったのかと思っていたのだが、そうではないな。見たかぎり、量子力学について、小林秀雄は、ほんとによく勉強したみたいで、きちんとした理解をしている。そうではなく、僕が思うに、哲学と物理学という、土俵自体が違うものを、融合させることはできなかった、ということなんだな。だから、量子力学を引き合いにだしたことそのものが、そもそも間違いだった、ということなのだ。いや、もしかしたらそれは、間違いではなかったのかもしれないが、問いがあまりにも大きすぎて、小林秀雄の手には余った、ということかもな。
しかし、この、小林秀雄が挑戦した問い、精神と物質とが、いかに調和しうるのか、ということは、いま最大の問いであることに、間違いはないのだ。僕も挑戦したいな。なんちゃって。
2009-12-14
小林秀雄全作品別巻1 「感想(上)」
今日は、昨日からなんだが、腹のあたりが気持ち悪い感じが、ずっとあるんだな。それほど体調が悪いということもないのだが、胃が疲れているのか何か、するみたい。占いにも書いてあったし、今日は酒は飲まないでおこうと思っていたのだが、昼めしを遅く食べたせいか、腹も減らず、晩めしも抜くことにした。かといって、ここに何も書かないのもナンだから、今読んでいて、あと40ページほど残っているが、小林秀雄の「感想」のことを書くことにする。
「感想」は、昭和33年から38年の足掛け5年、小林秀雄が56歳から61歳まで、雑誌「新潮」に連載されたものだ。「ベルグソン」という哲学者について、書いているのだが、小林秀雄、50代後半という、男子の一生で、最も脂ののりきった時代に、とうとう、本丸を攻めることを決意したんだな。
ベルクソンは、小林秀雄が学生時代、深く傾倒した哲学者で、それからも繰り返し、読んではいたのだろう、著作にちょこちょこと、出てきたりはしていたのだが、これまでは、まともに正面から、取り上げられることはなかった。なぜかと言えば、あまりに大きすぎたのだ、ベルグソン。
小林秀雄がこれまで、繰り返し異議を唱えてきた、「近代」という思想の、中核は、「科学」なのだ。ベルグソンは哲学者だが、物理学から生物学、心理学、果ては脳科学に至るまでに精通し、それらを踏まえながらも、それらを超える、ただ物質の機械的な振る舞いとしてではない、「生命とは何か」ということについての理論を、作り上げた人だったらしいんだな。僕もこの「感想」を読んで、初めて知ったのだが。小林秀雄はここに来て、科学には素人、哲学にも素人、まったくの素手の無手勝流で、それに挑むことにしたわけだ。
小林秀雄は、書きながら勉強し、考える人で、これまではそれで、なんとか乗り切ってきているのだが、今回はさすがの秀雄も、ベルグソンの難解な理論に向かい、ゼイゼイと肩で息をしながら、力を振り絞って、一歩一歩、歩いているのが、まざまざと伝わってくる。今まで読んだ、前半部分では、それでもなんとか、前に進んでいるのだが、後半は、アインシュタインの相対性理論や、量子力学までが、引き合いに出されてくるらしい。このあたりで、力尽きてしまったんだな、秀雄。「感想」の連載は、完結しないままに中断され、それから再開されることはなく、小林秀雄は、生涯、そして遺言にも、これを本にしたり、全集に収録したりすることを禁じたのだ。しかし10年ほど前、色々な事情でこれが、全集に収録され、今僕たちが読めるようになっているのだ。
これから小林秀雄が、どういうところで挫折するのか、まあもちろん、たぶん、物理学についての、基本的な素養が足りなかった、ということだとは思うのだが、興味があるな。人の不幸を喜んじゃいけないわけだが。
「感想」は、昭和33年から38年の足掛け5年、小林秀雄が56歳から61歳まで、雑誌「新潮」に連載されたものだ。「ベルグソン」という哲学者について、書いているのだが、小林秀雄、50代後半という、男子の一生で、最も脂ののりきった時代に、とうとう、本丸を攻めることを決意したんだな。
ベルクソンは、小林秀雄が学生時代、深く傾倒した哲学者で、それからも繰り返し、読んではいたのだろう、著作にちょこちょこと、出てきたりはしていたのだが、これまでは、まともに正面から、取り上げられることはなかった。なぜかと言えば、あまりに大きすぎたのだ、ベルグソン。
小林秀雄がこれまで、繰り返し異議を唱えてきた、「近代」という思想の、中核は、「科学」なのだ。ベルグソンは哲学者だが、物理学から生物学、心理学、果ては脳科学に至るまでに精通し、それらを踏まえながらも、それらを超える、ただ物質の機械的な振る舞いとしてではない、「生命とは何か」ということについての理論を、作り上げた人だったらしいんだな。僕もこの「感想」を読んで、初めて知ったのだが。小林秀雄はここに来て、科学には素人、哲学にも素人、まったくの素手の無手勝流で、それに挑むことにしたわけだ。
小林秀雄は、書きながら勉強し、考える人で、これまではそれで、なんとか乗り切ってきているのだが、今回はさすがの秀雄も、ベルグソンの難解な理論に向かい、ゼイゼイと肩で息をしながら、力を振り絞って、一歩一歩、歩いているのが、まざまざと伝わってくる。今まで読んだ、前半部分では、それでもなんとか、前に進んでいるのだが、後半は、アインシュタインの相対性理論や、量子力学までが、引き合いに出されてくるらしい。このあたりで、力尽きてしまったんだな、秀雄。「感想」の連載は、完結しないままに中断され、それから再開されることはなく、小林秀雄は、生涯、そして遺言にも、これを本にしたり、全集に収録したりすることを禁じたのだ。しかし10年ほど前、色々な事情でこれが、全集に収録され、今僕たちが読めるようになっているのだ。
これから小林秀雄が、どういうところで挫折するのか、まあもちろん、たぶん、物理学についての、基本的な素養が足りなかった、ということだとは思うのだが、興味があるな。人の不幸を喜んじゃいけないわけだが。
2009-11-26
小林秀雄全作品22 近代絵画
小林秀雄、相変わらず読んでいるのだ。全集28巻、プラス別巻4巻のうち、今22巻。やっと3分の2を越えたな。初めのうちは、何を書いてあるのか、よくわからず、でも小林秀雄の語り口が心地よくて、とりあえずただ文字を眼で追っていたことも多かったが、この頃は、読みながら、こういう本の読み方を少しずつ、覚えてきたということもあり、わからないと思うことも、ほとんどなくなった。小林秀雄から僕は、47にして、人生を学んでいると思っていて、小林秀雄を読んでいる時が、いちばん充実して、幸せな時間だな。
前の21巻を読んだとき、小林秀雄の人生のストーリーを、それまでは追いながら読めていたのに、いきなりそれが見えなくなったと思ったのだが、それもそのはず、小林秀雄は昭和28年に、半年間、エジプト、ヨーロッパを旅行し、各国で絵をひたすら見てまわったのをきっかけに、昭和29年から33年までの足掛け5年にわたって、この「近代絵画」を毎月連載し、そこに精魂のすべてを注ぎ込んでいたのであって、21巻に掲載されている文章は、それ以外の、いわば雑文というのに近いようなものだったのだ。わからないはずだ。昭和29年から33年というと、小林秀雄が52歳から56歳、まさに男子の一生で、脂の乗り切った時期だよな。その5年間を、ほとんど一つの仕事に費やすというのはすごいことだよな。まあしかし、そういう時期だからこそ、そうやって腰を落ち着けて一つの仕事にかかりきりになることが、できるようになるものなのかもな。
「近代絵画」だから、まさに近代の絵画について書いてあって、って言うまでもないが、モネから始まり、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルノアール、ドガ、ピカソが取り上げられている。僕は絵のことはあまり詳しくないから、Googleの画像検索で、いちいち実際に絵を見ながら読んだ。ドストエフスキーについて書かれても、それを読んだことがない、というか、高校生の頃読んで、何が書いてあったか全部忘れてしまった僕のような人間にとっては、どうしてもよくわからないことがあるのだが、絵はすぐに見られるから、まあわかりやすいと言えば、わかりやすい。わかったような気になってるだけだとは思うが。
小林秀雄は、もともと文芸批評家だったわけで、デビューは毎月の文芸時評で、その時々の小説や評論を批評する、ということだったのだが、それがだんだん、現代の小説に嫌気がさして、「西行」やら「実朝」やら、古典文学を取り上げるようになり、さらに「モーツアルト」で音楽の世界に挑戦し、そして今度は絵画なわけだ。それはしかし、多才、ということではなく、そのたびに猛烈に勉強して、出来るかどうかわからないが、やってみる、という、まさに挑戦をしている。この近代絵画の次は、またこれも、何年にもわたって、フランスの哲学者、ベルグソンに挑戦するのだが、それは力およばず、未完のまま連載休止に至り、小林秀雄自身は、それを上梓することも、全集に収録することも禁じたということなのだが、まあすごいことだよな。
小林秀雄の批評は、常にすべてがそうなのだが、作品の技法やら主義やら、そういう表面的なことにはまったく捉われず、もちろんそういうことにも目配りはきちんとしながらも、その作者の人生がどんなものであったのか、それを明らかにしようとしていく。でもそれは、ただ伝記とか、作者の経験した出来事とかいうだけの意味ではなく、作者がどういう時代背景のなかで、どういう課題を持ち、それを創造ということによって、どのように実現したのか、ということを、小林秀雄自身の想像力によって、明らかにしようとしていくのだ。芸術家の内側で起こる創造活動そのものを見ようとしなければ、その作品を理解することはできないという、まさにもっともなことなのだが、現代という時代は、それを異端として排除しようとする枠組みになっている。客観的な事実だけが、真理を明らかにする唯一の道だからだ、と考えられているからだが、しかし本当にそうなのか、芸術家の内面を見ることなしに、芸術を論ずることはできないではないか、と小林秀雄は、この「近代絵画」で、後半、かなり激烈な現代文明批判をしている。
小林秀雄はもともと、それが考えの中心にある人だと思うのだが、それがあらわな形で出ていた初期の頃から、だんだん、それを抑えて、もっと穏やかになり、戦争に向けて時代がいよいよ難しくなっていくと、何とかそれを、理解してもらおうということに変わり、戦争中は、それに触れないことが、最大の批判であるとばかりに、日本の古典文学に没頭し、戦後は、また一常識人として、穏やかな感じでいたのだが、ここに来て、どうもまた、我慢ができなくなってきたみたいだな。世は高度経済成長で、科学技術一色、経済一色に、どんどん向かっていった頃だろう。何か言っておかなくてはいけない、と思っているということが、ひしひしと伝わってきた。
小林秀雄が次に挑戦したベルグソンという人は、小林秀雄はたぶん、そういう現代の文明と、折り合いを付けながらも、次の時代を見通せるような、そういう思想を見つけられるのじゃないかと思って、取り上げることにしたのじゃないかという感じがする。ベルグソンについての文章は、小林秀雄は全集に収録することを禁止したが、新しい全集には別巻として収録されていて、次の23巻を読む前に、本来はここに来るべきだった別巻を先に読むことにした。まあ、それがどういうことで、どう挫折したのか、これからまた楽しみだわ。
小林秀雄全作品〈22〉近代絵画
前の21巻を読んだとき、小林秀雄の人生のストーリーを、それまでは追いながら読めていたのに、いきなりそれが見えなくなったと思ったのだが、それもそのはず、小林秀雄は昭和28年に、半年間、エジプト、ヨーロッパを旅行し、各国で絵をひたすら見てまわったのをきっかけに、昭和29年から33年までの足掛け5年にわたって、この「近代絵画」を毎月連載し、そこに精魂のすべてを注ぎ込んでいたのであって、21巻に掲載されている文章は、それ以外の、いわば雑文というのに近いようなものだったのだ。わからないはずだ。昭和29年から33年というと、小林秀雄が52歳から56歳、まさに男子の一生で、脂の乗り切った時期だよな。その5年間を、ほとんど一つの仕事に費やすというのはすごいことだよな。まあしかし、そういう時期だからこそ、そうやって腰を落ち着けて一つの仕事にかかりきりになることが、できるようになるものなのかもな。
「近代絵画」だから、まさに近代の絵画について書いてあって、って言うまでもないが、モネから始まり、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルノアール、ドガ、ピカソが取り上げられている。僕は絵のことはあまり詳しくないから、Googleの画像検索で、いちいち実際に絵を見ながら読んだ。ドストエフスキーについて書かれても、それを読んだことがない、というか、高校生の頃読んで、何が書いてあったか全部忘れてしまった僕のような人間にとっては、どうしてもよくわからないことがあるのだが、絵はすぐに見られるから、まあわかりやすいと言えば、わかりやすい。わかったような気になってるだけだとは思うが。
小林秀雄は、もともと文芸批評家だったわけで、デビューは毎月の文芸時評で、その時々の小説や評論を批評する、ということだったのだが、それがだんだん、現代の小説に嫌気がさして、「西行」やら「実朝」やら、古典文学を取り上げるようになり、さらに「モーツアルト」で音楽の世界に挑戦し、そして今度は絵画なわけだ。それはしかし、多才、ということではなく、そのたびに猛烈に勉強して、出来るかどうかわからないが、やってみる、という、まさに挑戦をしている。この近代絵画の次は、またこれも、何年にもわたって、フランスの哲学者、ベルグソンに挑戦するのだが、それは力およばず、未完のまま連載休止に至り、小林秀雄自身は、それを上梓することも、全集に収録することも禁じたということなのだが、まあすごいことだよな。
小林秀雄の批評は、常にすべてがそうなのだが、作品の技法やら主義やら、そういう表面的なことにはまったく捉われず、もちろんそういうことにも目配りはきちんとしながらも、その作者の人生がどんなものであったのか、それを明らかにしようとしていく。でもそれは、ただ伝記とか、作者の経験した出来事とかいうだけの意味ではなく、作者がどういう時代背景のなかで、どういう課題を持ち、それを創造ということによって、どのように実現したのか、ということを、小林秀雄自身の想像力によって、明らかにしようとしていくのだ。芸術家の内側で起こる創造活動そのものを見ようとしなければ、その作品を理解することはできないという、まさにもっともなことなのだが、現代という時代は、それを異端として排除しようとする枠組みになっている。客観的な事実だけが、真理を明らかにする唯一の道だからだ、と考えられているからだが、しかし本当にそうなのか、芸術家の内面を見ることなしに、芸術を論ずることはできないではないか、と小林秀雄は、この「近代絵画」で、後半、かなり激烈な現代文明批判をしている。
小林秀雄はもともと、それが考えの中心にある人だと思うのだが、それがあらわな形で出ていた初期の頃から、だんだん、それを抑えて、もっと穏やかになり、戦争に向けて時代がいよいよ難しくなっていくと、何とかそれを、理解してもらおうということに変わり、戦争中は、それに触れないことが、最大の批判であるとばかりに、日本の古典文学に没頭し、戦後は、また一常識人として、穏やかな感じでいたのだが、ここに来て、どうもまた、我慢ができなくなってきたみたいだな。世は高度経済成長で、科学技術一色、経済一色に、どんどん向かっていった頃だろう。何か言っておかなくてはいけない、と思っているということが、ひしひしと伝わってきた。
小林秀雄が次に挑戦したベルグソンという人は、小林秀雄はたぶん、そういう現代の文明と、折り合いを付けながらも、次の時代を見通せるような、そういう思想を見つけられるのじゃないかと思って、取り上げることにしたのじゃないかという感じがする。ベルグソンについての文章は、小林秀雄は全集に収録することを禁止したが、新しい全集には別巻として収録されていて、次の23巻を読む前に、本来はここに来るべきだった別巻を先に読むことにした。まあ、それがどういうことで、どう挫折したのか、これからまた楽しみだわ。
小林秀雄全作品〈22〉近代絵画
2009-11-05
小林秀雄全作品21 美を求める心
この「全作品21」を読みながら気付いたのだが、これまで僕は、小林秀雄の作品を年代順に追いながら、その時々の小林秀雄の気持ちとか、人生のストーリーとか、そういうものを、無意識に読み取っていたのだな。それでそれを自分の人生に重ねてみたりして、ふむふむ、とか思っていたところがあったのだ。ところが、全集を読み進み、小林秀雄の年齢が自分の年齢を超えたあたりのところから、そういうものを読み取ることが、まったくできなくなってしまった。この全作品21は、小林秀雄が52歳から56歳までの間の作品が収められているのだが、それぞれ面白く読めはするのだが、そこから小林秀雄の人生を感じることは、なかなかできない。やっぱり年齢って、あるんだな。その年齢なりに、経験しているものっていうのが、やっぱりあって、その先はまだ、経験していない、ということなんだな。面白いな。
この全作品21の中で、何と言ってもいちばん面白いのは、やはり表題にもなっている、「美を求める心」。これは文庫本で読んだ時にも、大変印象に残っていたもので、今回読んでも、やはりいい。これは小林秀雄を読んだことがない人には、ぜひまず真っ先に読んでほしいな。高校生の教科書とかにも、採用してほしい。もう採用されてるかもな。文庫では、文春文庫の「考えるヒント 3」に入っている。
ちょっと冒頭の部分を、引用してみようか。
小林秀雄全作品〈21〉美を求める心
考えるヒント 3 (文春文庫 107-3)
この全作品21の中で、何と言ってもいちばん面白いのは、やはり表題にもなっている、「美を求める心」。これは文庫本で読んだ時にも、大変印象に残っていたもので、今回読んでも、やはりいい。これは小林秀雄を読んだことがない人には、ぜひまず真っ先に読んでほしいな。高校生の教科書とかにも、採用してほしい。もう採用されてるかもな。文庫では、文春文庫の「考えるヒント 3」に入っている。
ちょっと冒頭の部分を、引用してみようか。
近頃は、展覧会や音楽会が盛んに開かれて、絵を見たり、音楽を聴いたりする人々の数も急に殖(ふ)えてきた様子です。その為でしょうか、若い人達から、よく絵や音楽について意見を聞かれるようになりました。近頃の絵や音楽は難しくてよく判らぬ、ああいうものが解るようになるには、どういう勉強をしたらいいか、どういう本を読んだらいいか、という質問が、大変多いのです。私は、美術や音楽に関する本を読むことも結構だであろうが、それよりも、何も考えずに、沢山見たり聴いたりする事が第一だ、と何時(いつ)も答えています。と来るわけだ。で、このあと、それがどういうことかと言うと、という話が続くのだ。小林秀雄の文章は、癖のあるのが多いのだが、この文章は、例外的にきれいで、かつ、小林秀雄のエッセンスみたいなものが、丸ごと、詰まっている。
極端に言えば、絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。絵は、眼で見て楽しむものだ。音楽は、耳で聴いて感動するものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではありますまい。先ず、何を措(お)いても、見ることです。聴くことです。そういうと、そんな事は解り切った話だ、と諸君は言うでしょう。処(ところ)が、それはちっとも解り切った話ではない、諸君は、恐らく、その事を、よくよく考えて見たことはないだろうと言いたいのです。
小林秀雄全作品〈21〉美を求める心
考えるヒント 3 (文春文庫 107-3)
2009-10-26
小林秀雄全作品20 ゴッホの手紙
小林秀雄、50歳、戦争の痛手からは完全に立ち直り、気力も充実し、新境地を次々と開拓していくという体勢に入ったわけだが、その手始めに、「ゴッホの手紙」。これから小林秀雄は、近代絵画の世界に入っていくのだが、このゴッホの手紙は、ゴッホの絵画そのものについて、正面から論じたものというよりも、ゴッホは弟に宛てて、膨大な数の手紙を書いていて、それが弟の奥さんによってまとめられた全集があり、そのフランス語を日本語に翻訳する、ということによって、そこから読み取れる、ゴッホの生涯と思想を、日本に紹介する、ということが、中心的なテーマになっている。評論というより、伝記に近いんだな。だから、この本、前半は説明的な文章も多く添えられているのだが、後半はそれがほとんどなくなり、まるで小林秀雄にゴッホが乗り移ったかのように、翻訳者である小林秀雄の口から、ゴッホの言葉がつむぎだされていく。
こういう書き方、これまで小林秀雄の全集を読んできて、この前巻の、「白痴についてⅡ」というところで、僕は初めて目にしたのだが、年譜を見ると、実際に原稿が書かれたのは、この「ゴッホの手紙」の方が、「白痴についてⅡ」より前で、小林秀雄はこれを書きながら、自分が作者になりきってしまうというやり方を会得したんだな、たぶん。
これからベルグソンとか、本居宣長とか、小林秀雄は挑戦していくのだが、どういう風になっていくのか楽しみだな。
こういう書き方、これまで小林秀雄の全集を読んできて、この前巻の、「白痴についてⅡ」というところで、僕は初めて目にしたのだが、年譜を見ると、実際に原稿が書かれたのは、この「ゴッホの手紙」の方が、「白痴についてⅡ」より前で、小林秀雄はこれを書きながら、自分が作者になりきってしまうというやり方を会得したんだな、たぶん。
これからベルグソンとか、本居宣長とか、小林秀雄は挑戦していくのだが、どういう風になっていくのか楽しみだな。
2009-10-15
小林秀雄全作品19 真贋
小林秀雄、戦争が終わって2、3年は、敗戦のショックが大きかったのだろう、自分の世界に引きこもって、好きなことばかりやっている感じがしていたのだが、この2巻前の全作品17、昭和24年、47歳、今の僕と同い年、になって、二本の脚を地面につけて、すっくと立ち上がったような、そんな感じがしたのだ。モーツアルトとか、ドストエフスキーとか、ただ自分の目指す世界を、ひたすら追求するということではなく、自分の伝えたい内容を、専門家ではなく、一般の人に、どう伝えられるのか、ということを、考えるようになった感じがしたのだよな。そのことが、この全作品19を読んで、たしかにそうなのだ、小林秀雄は一歩踏み出したのだ、ということが、はっきりわかった。
なぜわかったかと言えば、この全作品19にも、ドストエフスキーについて書いたものがあって、それがこれまで小林秀雄が書いてきた、ドストエフスキーについての論文と、はっきりと違うからだ。
これまで小林秀雄は、ドストエフスキーについて書くとき、作品の中からかなり長文の引用をして、読者にそこから内容を読み取れと言っていることが多かった。中には論文の最後が引用で終わっているものもあったりして、まあたしかに、批評家にとって原典は、自分が批評をする「対象」になるわけだから、それはそれで間違ってはいないのだけれど、そうなるとどうしても、原典の引用文以外の部分が、原典の外側から、それを「説明する」、ということになってしまうというわけなのだよな。それだと、気持ちはわかるが、迫力に欠ける、ということになってしまっていると、僕は思っていた。僕はもっと後の小林秀雄の文章を、すでに文庫本で読んでいたりとかするから、小林秀雄は、ほんとはこんなものじゃないのだ、と思っていたりするわけだ。
ところが今回、全作品19の中にある「『白痴』について」という文章では、原典をそのまま、長文で引用している箇所は、ほとんどない。そのかわりに、小林秀雄自身の言葉で、原典の内容をそのままなぞるかのように、延々と語られるのだ。ある登場人物の膨大なセリフが、僕は実際に原典である「白痴」と見比べていないから、詳しいことはわからないのだが、たぶんそのままそっくりなんだろうと思うように、小林秀雄自身の言葉で繰り返されている。小林秀雄はドストエフスキーの作品を、もう何度も何度も、読んでしまったので、内容の細部までが、頭に入り、身体にしみわたっているのだ。
しかしどんなに内容が原典の通りでも、小林秀雄が自分の言葉で繰り返したものと、引用文そのものとでは、まったく違うことだ。原典はすでに、批評家の対象ではなく、小林秀雄の肉体によって咀嚼された、小林秀雄自身のものとなっているからだ。だからこの文章では、小林秀雄の文は、説明文にはなっていない。小林秀雄の朗々たる語り口を、心地よく聞いて入るような感じがする。そこから、原典の登場人物は生き生きと息づき、僕の目の前でドラマを演ずる。そして最後には、これから「白痴」を読む読者、それは僕なわけだが、のための、ちょっとしたアドバイスなぞがあったりして、小林秀雄ははっきりと、僕に対して、この文章を書いてくれたのだと思って、自分で意外だったのだが、思わず涙ぐんでしまった。
批評家が、あくまで原典を対象とみなして、それと距離を置こうとすることは、客観的であることが真実への唯一の道であると考える、「近代」という思想によるもので、それはもちろん、つまらぬことではなく、誰でもが好き勝手に、自分にとってのみの真実というものをまき散らすということに対する、防波堤の役割を果たしている。小林秀雄もそれは重々承知しているのだが、あえてその一線を踏み越えたのだ。上で書き忘れたが、小林秀雄はただ、原典の内容を自分の言葉で語るに留まらず、登場人物に、原典にはない、架空のセリフまでしゃべらせる。これは批評の常道からすればたぶん、禁じ手なのだろう。しかし小林秀雄は、そうしなければ、一般の人、僕、に伝えられない内容があったから、そうしたのだ。小林秀雄がドストエフスキーの作品を、何度も何度も読み返して、そこから汲み取った内容は、そうしなければ伝えられなかったのだ。
僕はやはり、批評の客観性がどうのこうのという御託より、それを踏み越えてまで、何かを僕に伝えようとしてくれた、小林秀雄の気持ちが嬉しい。そういうことなんだよな、やっぱり。
小林秀雄全作品〈19〉真贋
なぜわかったかと言えば、この全作品19にも、ドストエフスキーについて書いたものがあって、それがこれまで小林秀雄が書いてきた、ドストエフスキーについての論文と、はっきりと違うからだ。
これまで小林秀雄は、ドストエフスキーについて書くとき、作品の中からかなり長文の引用をして、読者にそこから内容を読み取れと言っていることが多かった。中には論文の最後が引用で終わっているものもあったりして、まあたしかに、批評家にとって原典は、自分が批評をする「対象」になるわけだから、それはそれで間違ってはいないのだけれど、そうなるとどうしても、原典の引用文以外の部分が、原典の外側から、それを「説明する」、ということになってしまうというわけなのだよな。それだと、気持ちはわかるが、迫力に欠ける、ということになってしまっていると、僕は思っていた。僕はもっと後の小林秀雄の文章を、すでに文庫本で読んでいたりとかするから、小林秀雄は、ほんとはこんなものじゃないのだ、と思っていたりするわけだ。
ところが今回、全作品19の中にある「『白痴』について」という文章では、原典をそのまま、長文で引用している箇所は、ほとんどない。そのかわりに、小林秀雄自身の言葉で、原典の内容をそのままなぞるかのように、延々と語られるのだ。ある登場人物の膨大なセリフが、僕は実際に原典である「白痴」と見比べていないから、詳しいことはわからないのだが、たぶんそのままそっくりなんだろうと思うように、小林秀雄自身の言葉で繰り返されている。小林秀雄はドストエフスキーの作品を、もう何度も何度も、読んでしまったので、内容の細部までが、頭に入り、身体にしみわたっているのだ。
しかしどんなに内容が原典の通りでも、小林秀雄が自分の言葉で繰り返したものと、引用文そのものとでは、まったく違うことだ。原典はすでに、批評家の対象ではなく、小林秀雄の肉体によって咀嚼された、小林秀雄自身のものとなっているからだ。だからこの文章では、小林秀雄の文は、説明文にはなっていない。小林秀雄の朗々たる語り口を、心地よく聞いて入るような感じがする。そこから、原典の登場人物は生き生きと息づき、僕の目の前でドラマを演ずる。そして最後には、これから「白痴」を読む読者、それは僕なわけだが、のための、ちょっとしたアドバイスなぞがあったりして、小林秀雄ははっきりと、僕に対して、この文章を書いてくれたのだと思って、自分で意外だったのだが、思わず涙ぐんでしまった。
批評家が、あくまで原典を対象とみなして、それと距離を置こうとすることは、客観的であることが真実への唯一の道であると考える、「近代」という思想によるもので、それはもちろん、つまらぬことではなく、誰でもが好き勝手に、自分にとってのみの真実というものをまき散らすということに対する、防波堤の役割を果たしている。小林秀雄もそれは重々承知しているのだが、あえてその一線を踏み越えたのだ。上で書き忘れたが、小林秀雄はただ、原典の内容を自分の言葉で語るに留まらず、登場人物に、原典にはない、架空のセリフまでしゃべらせる。これは批評の常道からすればたぶん、禁じ手なのだろう。しかし小林秀雄は、そうしなければ、一般の人、僕、に伝えられない内容があったから、そうしたのだ。小林秀雄がドストエフスキーの作品を、何度も何度も読み返して、そこから汲み取った内容は、そうしなければ伝えられなかったのだ。
僕はやはり、批評の客観性がどうのこうのという御託より、それを踏み越えてまで、何かを僕に伝えようとしてくれた、小林秀雄の気持ちが嬉しい。そういうことなんだよな、やっぱり。
小林秀雄全作品〈19〉真贋
2009-10-01
小林秀雄全作品18 「表現について」
小林秀雄という人の、何を面白いと思うかと言うと、人間はよく、自分が言ってることとやってることが食い違ってしまうということが、起こりがちなわけだけど、小林秀雄は「批評家は自分自身を最も厳しく批評することが、いちばん肝心だ」みたいなことを言って、ただ職業として批評家をやっているということに留まらず、生き方なのだな、批評というものが。人間は霞を食って生きていくわけにはいかないから、当然厳しい現実との格闘が、小林秀雄の場合にもあるのだが、それが書いたものと矛盾せず、美しく一貫しているということが、読みながらひしひしと感じられる。もっと言えば、小林秀雄は、表面的な知識ではなく、自分の生き方というところからのみ、物を言うのだ。だから読者も、人間の生き方、いやいやそれに留まらず、自分の生き方というものについて、深く考えざるを得ないということになる。これが最大の魅力なのだな。
でもそのことは、何も小林秀雄が、抽象的な、よくオヤジが飲みながらブツような、人生論を語るということでは全くなく、物を言う対象はあくまで、具体的な作品だったり、作家だったり、思想だったり、知識だったり、するわけだ。小林秀雄はほんとに勉強家だった、というか、新しい未知のものに出会い、それとガチンコで対峙しながら、自分のものにしていくということの楽しさを、ほんとによく知っている人だったのだな。そういう色んなものを、自分の生き方、生きるあり方に照らし合わせながら、自分のものにしていくなかで、色んなことを見つけていくのだと思うが、その観点が、小林秀雄が小さい頃から音楽に親しみ、音楽を愛していたということと関係があるかと思うのだが、ただその論理的な側面にのみ捉われるのではなく、物事や作品の、論理にならぬ側面、メロディーやリズムや、それは文で書かれたものなら文体や、演劇なら劇場全体の、舞台と観客が相互にやり取りしながら、全体としてかもし出される雰囲気や、といったようなことになるのだが、そういうものを決して見逃すことがなく、そういうものに喚起される感情や、また内容というものについて、深く感じ、そこから何らかの意味を見出していこうとすること、そういうところにあるのだな。これは形としてなかなか捉えられにくいものだし、また現代、それはあなたの主観でしょ、と言って、切り捨てられがちなところであるだけに、そこからこれまで自分ではあまり気づかなかった、新しく見えることが飛び出してきて、新鮮で、刺激的なのだ。
この全作品18は、これまでの沈黙を破って、とも言いたくなるような感じで、小林秀雄は再び、一般の人に向け、積極的に書き始めている。戦争によって受けた痛手も、少しは癒えたということもあるのだろうな。題名も、「年齢」「好色文学」「金閣焼亡」「偶像崇拝」などなど、金閣寺が放火されて燃えてしまった、というタイムリーな事件も取り入れたりして、一般の人に興味が持ちやすい仕立てにしていたりする。頑張ってほしい。
でもそのことは、何も小林秀雄が、抽象的な、よくオヤジが飲みながらブツような、人生論を語るということでは全くなく、物を言う対象はあくまで、具体的な作品だったり、作家だったり、思想だったり、知識だったり、するわけだ。小林秀雄はほんとに勉強家だった、というか、新しい未知のものに出会い、それとガチンコで対峙しながら、自分のものにしていくということの楽しさを、ほんとによく知っている人だったのだな。そういう色んなものを、自分の生き方、生きるあり方に照らし合わせながら、自分のものにしていくなかで、色んなことを見つけていくのだと思うが、その観点が、小林秀雄が小さい頃から音楽に親しみ、音楽を愛していたということと関係があるかと思うのだが、ただその論理的な側面にのみ捉われるのではなく、物事や作品の、論理にならぬ側面、メロディーやリズムや、それは文で書かれたものなら文体や、演劇なら劇場全体の、舞台と観客が相互にやり取りしながら、全体としてかもし出される雰囲気や、といったようなことになるのだが、そういうものを決して見逃すことがなく、そういうものに喚起される感情や、また内容というものについて、深く感じ、そこから何らかの意味を見出していこうとすること、そういうところにあるのだな。これは形としてなかなか捉えられにくいものだし、また現代、それはあなたの主観でしょ、と言って、切り捨てられがちなところであるだけに、そこからこれまで自分ではあまり気づかなかった、新しく見えることが飛び出してきて、新鮮で、刺激的なのだ。
この全作品18は、これまでの沈黙を破って、とも言いたくなるような感じで、小林秀雄は再び、一般の人に向け、積極的に書き始めている。戦争によって受けた痛手も、少しは癒えたということもあるのだろうな。題名も、「年齢」「好色文学」「金閣焼亡」「偶像崇拝」などなど、金閣寺が放火されて燃えてしまった、というタイムリーな事件も取り入れたりして、一般の人に興味が持ちやすい仕立てにしていたりする。頑張ってほしい。
2009-09-23
小林秀雄全作品17 私の人生観
小林秀雄全作品、今回は面白かった。昭和24年だから、戦後4年目、小林秀雄47歳、僕と同い年だな、の作品が収められているのだが、戦争が終わってこれまで3年は、小林秀雄、解説を見ると戦後すぐ、お母さんが亡くなったり、あと小林秀雄は戦時の翼賛体制に協力したと中傷を浴びたりもしたようで、そういうことも関係あるのかも知れない、なんとなく気が抜けたようなというか、山に籠ってモーツアルトとか、ドストエフスキーとか、自分の好きなことばかりしていた、という感じがしてたんだな。ところが今回やっと、里に下りてきて、僕たちの前に現れ、すっくと二本の足で立ち上がってくれた、という感じがしたのだ。
圧巻なのは、この巻の表題にもなっている、「私の人生観」。これは雑誌に発表したのではなく、単行本として出したらしい。文庫本で読んだ時も大変面白かった記憶があるのだが、今回読み始めたら釘付けになって、昼めしを食うのも忘れ、最後まで目を離すことができなかった。
講演を文字に起こしたという体裁になっていて、そういう形自体はこれ以前にもあるのだが、違いは、おそらく講演の内容の間あいだに、圧倒的な量の加筆がされているのだ。それで講演の部分の「です、ます」調と、加筆部分のものだろう、「だ、である」調が交互に現れるという、独特の変体な文体になっていて、これは「考えるヒント」の中の文章なんかでもお馴染みのものなのだが、それが緊張と弛緩を繰り返す、何とも言えぬ迫力のあるリズムを生み出すのだ。これはここから始まったということなんだな。
講演は専門家に対してでなく、一般の人に対して行われていて、「です、ます」調というのも、そのことを示しているわけだが、だから、この文章は文芸の専門家や、それに興味がある特別な人ではなく、一般の人、つまり僕、に向けられて書かれている。主題も「私の人生観」だから、モーツアルトとかドフトエフスキーとかいうより、全然一般的だよな。待ってたよ、秀雄、って感じだ。
内容だが、それはここでかいつまんで言うことはできない。読んでくれ、としか言えないな。ただ言えるとしたら、小林秀雄は自分のあらゆる背景、若いころ学んだフランスの文学や哲学から、ここ10数年で学び始めた日本の古典まで、そのすべてを動員して、現代の日本の持つ問題点、この「現代」は60年前だが、今と根本的には変わっていないと思うし、たぶん問題はより深刻になっているんじゃないかと思う、を鋭く指摘し、さらにそれだけでなく、それを乗り越えて未来に向かう方向までを、はっきりと示している、ということなのだ。それを単行本にまでして出しているのだから、これは単に批評家ではない、思想家としての小林秀雄誕生の、決意表明とも言えるものだな。
ちなみに、この「私の人生観」の前後に発表されている、いくつかの短編も興味深くて、まず「中原中也の思い出」。小林秀雄は二十歳頃、友達だった中原中也の恋人を奪い取ってしまって、その彼女と2年くらい、一緒に暮らしていたのだが、その事はこれまで、中原中也については何度か書いてはいるものの、一切触れてはいなかったのだが、ここで初めて、詳しく書かれている。何らかの大きな心境の変化があったのだろうと思うのだが、でもそれがただ告白ということに留まっておらず、小林秀雄が言う、「中原中也の心の底にいつもあった悲しみ」というものを、小林秀雄自身を媒介としながら、読者に切ないまでに伝えるという、小林秀雄の文章としてはこれまで、あまり見たことがない深みに進めることに成功している。小林秀雄はこれまで、なんだかんだ言っても、書こうとする対象の外側に、自分を置いていたと思うのだ。それが批評家の死守すべき位置だということなのだと思うのだが、思想家たらんとした時には、書こうとする対象が、モーツアルト、とか、ドストエフスキーとかいうように明確ではないわけだから、自分自身を対象の側にも、置かなくてはいけないことになるわけだよな。この「中原中也の思い出」は、文庫で読んだ時には、鮮烈な印象があったものの、なんとなく偽善的な感じもしたとこがあったのだが、今回全集という、小林秀雄の人生の文脈に置いて再読してみると、その意味がよくわかった。
それから「私の人生観」に続いて発表された、「秋」と「酔漢」という短編も、奈良東大寺での秋の風景や、泥酔した友人と汽車で旅をするという、日常の風景を描きながら、その中に、小林秀雄自身が、考えようとしていること、それはフランス文学のことだったり、モーツアルトのことだったりするのだが、そういうものが盛り込まれている。こういうスタイルの、日常の風景に自分の思想を盛り込んだり、しかもその思想が、自分なりに完結したものではなく、発展途上のものだったりすることは、これまであまりなかった。大きな変化なんだよな、やっぱり。
小林秀雄全作品〈17〉私の人生観
考えるヒント (文春文庫)
私の人生観 (角川文庫)
圧巻なのは、この巻の表題にもなっている、「私の人生観」。これは雑誌に発表したのではなく、単行本として出したらしい。文庫本で読んだ時も大変面白かった記憶があるのだが、今回読み始めたら釘付けになって、昼めしを食うのも忘れ、最後まで目を離すことができなかった。
講演を文字に起こしたという体裁になっていて、そういう形自体はこれ以前にもあるのだが、違いは、おそらく講演の内容の間あいだに、圧倒的な量の加筆がされているのだ。それで講演の部分の「です、ます」調と、加筆部分のものだろう、「だ、である」調が交互に現れるという、独特の変体な文体になっていて、これは「考えるヒント」の中の文章なんかでもお馴染みのものなのだが、それが緊張と弛緩を繰り返す、何とも言えぬ迫力のあるリズムを生み出すのだ。これはここから始まったということなんだな。
講演は専門家に対してでなく、一般の人に対して行われていて、「です、ます」調というのも、そのことを示しているわけだが、だから、この文章は文芸の専門家や、それに興味がある特別な人ではなく、一般の人、つまり僕、に向けられて書かれている。主題も「私の人生観」だから、モーツアルトとかドフトエフスキーとかいうより、全然一般的だよな。待ってたよ、秀雄、って感じだ。
内容だが、それはここでかいつまんで言うことはできない。読んでくれ、としか言えないな。ただ言えるとしたら、小林秀雄は自分のあらゆる背景、若いころ学んだフランスの文学や哲学から、ここ10数年で学び始めた日本の古典まで、そのすべてを動員して、現代の日本の持つ問題点、この「現代」は60年前だが、今と根本的には変わっていないと思うし、たぶん問題はより深刻になっているんじゃないかと思う、を鋭く指摘し、さらにそれだけでなく、それを乗り越えて未来に向かう方向までを、はっきりと示している、ということなのだ。それを単行本にまでして出しているのだから、これは単に批評家ではない、思想家としての小林秀雄誕生の、決意表明とも言えるものだな。
ちなみに、この「私の人生観」の前後に発表されている、いくつかの短編も興味深くて、まず「中原中也の思い出」。小林秀雄は二十歳頃、友達だった中原中也の恋人を奪い取ってしまって、その彼女と2年くらい、一緒に暮らしていたのだが、その事はこれまで、中原中也については何度か書いてはいるものの、一切触れてはいなかったのだが、ここで初めて、詳しく書かれている。何らかの大きな心境の変化があったのだろうと思うのだが、でもそれがただ告白ということに留まっておらず、小林秀雄が言う、「中原中也の心の底にいつもあった悲しみ」というものを、小林秀雄自身を媒介としながら、読者に切ないまでに伝えるという、小林秀雄の文章としてはこれまで、あまり見たことがない深みに進めることに成功している。小林秀雄はこれまで、なんだかんだ言っても、書こうとする対象の外側に、自分を置いていたと思うのだ。それが批評家の死守すべき位置だということなのだと思うのだが、思想家たらんとした時には、書こうとする対象が、モーツアルト、とか、ドストエフスキーとかいうように明確ではないわけだから、自分自身を対象の側にも、置かなくてはいけないことになるわけだよな。この「中原中也の思い出」は、文庫で読んだ時には、鮮烈な印象があったものの、なんとなく偽善的な感じもしたとこがあったのだが、今回全集という、小林秀雄の人生の文脈に置いて再読してみると、その意味がよくわかった。
それから「私の人生観」に続いて発表された、「秋」と「酔漢」という短編も、奈良東大寺での秋の風景や、泥酔した友人と汽車で旅をするという、日常の風景を描きながら、その中に、小林秀雄自身が、考えようとしていること、それはフランス文学のことだったり、モーツアルトのことだったりするのだが、そういうものが盛り込まれている。こういうスタイルの、日常の風景に自分の思想を盛り込んだり、しかもその思想が、自分なりに完結したものではなく、発展途上のものだったりすることは、これまであまりなかった。大きな変化なんだよな、やっぱり。
小林秀雄全作品〈17〉私の人生観
考えるヒント (文春文庫)
私の人生観 (角川文庫)
2009-09-20
小林秀雄全作品 15モオツァルト、16人間の進歩について
このところで小林秀雄、2冊を読んでしまっていて、忙しくて感想をアップする暇がなかったこともあるが、対談が多いから、あっという間に読み終わってしまうのだ。というのは小林秀雄、昭和21年に「モオツァルト」、23年に「罪と罰についてⅡ」、戦争が終わってから3年で、ほとんどこれしか書いていないんだな。小林秀雄は元々、文芸時評という、その時々の文芸作品を批評するということを、文芸春秋に連載したのが、批評家としてのスタートだったわけだが、時が経つにつれて、それがだんだん苦しそうになっていったのは見受けられたが、もうとうとう、文芸時評は完全に辞めてしまったらしい。その理由として、
実際このモーツアルトやドストエフスキーについての仕事が、小林秀雄が批評家として名声を勝ち得るために大きなことであり、また小林秀雄は一人で近代批評というものを日本に確立させた、と言われる所以なのだろうけど、文学のことはまったく知らず、モーツアルトもほとんど聞いたことがない、ド素人の僕なんかにとっては、これらは、小林秀雄の人生という意味では大変興味があるのだが、作品の内容としては、あまり面白いと思えないのだよな。小林秀雄としては、批評という形式の中で、モーツアルトやドストエフスキーという人間を、生き生きと浮き彫りにしたい、描きたい、ということなのだろうけれど、それらを読んでいて浮き彫りになっていくのは、圧倒的に小林秀雄であって、モーツアルトやドストエフスキーに出会えた、という感じは、僕にはあまりしない。素人から見て面白いのはやはり、最初期のケンカ批評と、あとこれからさらに15年くらい後なんだな、僕はすでに文庫で読んでいるのだが、「考えるヒント
」の中の、「言語」とか「歴史」とか、批評家としてというより、思想家としての小林秀雄なんだよな。そういう素人目から見ると、小林秀雄の言う「批評の形式による文学作品の確立」というのはちょっと無理筋で、果たしえぬ夢だった、というところなんじゃないかという気がする。異様に生意気だが。
ちなみに僕が昔唯一ハマった作家である太宰治について、小林秀雄はほんとに全然読んでいなかったみたいで、太宰が自殺して、それで初めて関心を持って読んでみたら、大変面白かった、惜しい才能をなくした、と書いている。笑えるな、なんか。
それから全作品16には、物理学者湯川秀樹との、けっこう長い対談が載っていて、ちょっと興味を引かれるところもなくはないのだが、基本的には、よくある理系人間と文系人間のチグハグな会話、というところに留まっている。
あと、いくつかある対談の中では、作家坂口安吾とのものがいちばん面白く、あんたは文学の人なんだから、モーツアルトなんかやらず、あくまで文学をやれ、と執拗にからむ坂口に対して、小林秀雄はけっこう本音で抗言していて、時々弱気になる自分の心中も吐露したりして、しかも酒を飲みながらなものだから、最後はハチャメチャで訳がわからなくなり、けっこう笑える。
僕が文芸時評を中止しているのは、批評の形式による文学作品の確立という考えに、ここ数年来取りつかれているが為である。出来るか出来ないかやるところまでやってみねばならぬ。二兎は追えぬ。と書いているが、一方その同じ時期に、恩師辰野隆との対談で、「秀雄君、君は近頃小説は読まんようだね。時評も書かないな、ちっとも」という問いかけに対して、
ハア、もうごめんです。文士が口をひらけば小説小説と言っている様な文壇は世界中にない。まるでフーテン病院だね。僕も長い間入院していたもんですよ。今に小説という病気は日本文士を食い殺すでしょうよ。小説のなかに人生の目的や理想を認め、これをはっきり信仰して小説を書いている文士が果たして何人いるだろう。今日の小説の大流行には、健全な精神的動機がかけている様に思われてなりません。彼らが抱いているものは、何かしら一種絶望的な力だ。まあそんな深刻な問題はともかくとして、芸術の世界も宏大なものだ。画でも音楽でも論じて、一つ健康でも取り戻してはどうかね。と言っていて、まあその両方が理由なのだろう、それでモーツアルトという音楽家についての批評、そして小林秀雄にとって汲んでも尽きぬ興味の対象である、ドストエフスキーについての批評に、それぞれ1年以上の時間をかけるという、ある意味贅沢な時間の使い方をして、取り組んでいるわけだ。その間、収入のほうはどうしていたのかと思うが、小林秀雄は創元社という出版社に役員として迎え入れられ、出版方針について助言したりするようになり、また小林秀雄の作品も、上の「モオツァルト」にしても「罪と罰についてⅡ」にしても、その会社が出す雑誌に掲載されたりしているから、ある意味パトロンが付いて、自分のやりたいことを自由にできる環境が整った、ということなのかも知れないな。
実際このモーツアルトやドストエフスキーについての仕事が、小林秀雄が批評家として名声を勝ち得るために大きなことであり、また小林秀雄は一人で近代批評というものを日本に確立させた、と言われる所以なのだろうけど、文学のことはまったく知らず、モーツアルトもほとんど聞いたことがない、ド素人の僕なんかにとっては、これらは、小林秀雄の人生という意味では大変興味があるのだが、作品の内容としては、あまり面白いと思えないのだよな。小林秀雄としては、批評という形式の中で、モーツアルトやドストエフスキーという人間を、生き生きと浮き彫りにしたい、描きたい、ということなのだろうけれど、それらを読んでいて浮き彫りになっていくのは、圧倒的に小林秀雄であって、モーツアルトやドストエフスキーに出会えた、という感じは、僕にはあまりしない。素人から見て面白いのはやはり、最初期のケンカ批評と、あとこれからさらに15年くらい後なんだな、僕はすでに文庫で読んでいるのだが、「考えるヒント
ちなみに僕が昔唯一ハマった作家である太宰治について、小林秀雄はほんとに全然読んでいなかったみたいで、太宰が自殺して、それで初めて関心を持って読んでみたら、大変面白かった、惜しい才能をなくした、と書いている。笑えるな、なんか。
それから全作品16には、物理学者湯川秀樹との、けっこう長い対談が載っていて、ちょっと興味を引かれるところもなくはないのだが、基本的には、よくある理系人間と文系人間のチグハグな会話、というところに留まっている。
あと、いくつかある対談の中では、作家坂口安吾とのものがいちばん面白く、あんたは文学の人なんだから、モーツアルトなんかやらず、あくまで文学をやれ、と執拗にからむ坂口に対して、小林秀雄はけっこう本音で抗言していて、時々弱気になる自分の心中も吐露したりして、しかも酒を飲みながらなものだから、最後はハチャメチャで訳がわからなくなり、けっこう笑える。
2009-09-03
小林秀雄全作品14 無常ということ
作家の全集を読むというのは、僕は初めての経験で、この小林秀雄の全集も、何もこれを初めから、全て読破しようなどと思ったのではまったくなく、文庫本に所蔵されていない文章を読んでみたいと思って、第一巻を読んでみたら、初期のケンカ評論があまりに面白くて、そのまま二巻、三巻と進んできてしまったということなのだ。しかし全集を読むというのは、ただ同じ著者の単発の本や文章を読むのとは全く違ったことで、作品が発表された順を追って、文章を読んでいくことになるから、著者の思想というものが、当時の時代背景の中で、どのように変化し、発展していったのかということが、手に取るようにわかるようになってくる。著者とともに、人生を歩んでいるような気持ちになっていくんだな。全集を読むというのがこんなにいいものだとは、まったく知らなかったな。
でやっぱり、この小林秀雄の全集を読み進みながら、先の戦争、日中戦争から太平洋戦争になだれこみ、日本が破滅していく、そういう時代に、小林秀雄がどのように対し、自分の人生をどのように処していったのか、ということは、とても気になることで、先を楽しみにしていたのだが、この全作品14は、いよいよ太平洋戦争が開戦になる、その前後の作品が収められている。開戦の年が、小林秀雄40歳、脂の乗り切った時期だよな。にもかかわらず、作品の数は激減、それまで、だいたい少なくとも1年に全集1巻分、30代半ばには、翻訳作品も含めて、1年で3巻を費やしていたものが、この14巻は、昭和16年から20年まで、5年分が収められてしまっている。開戦の翌年、昭和17年には、1ヶ月に1本弱のペース、18年にはたった4本、19年はゼロ、20年は1本、ということになってしまっている。どのように生計を立てていたのだろうと思ってしまうが、明治大学で教えていたのと、あとはこの時期骨董にハマり、それを売買していたらしい。かなり過酷な生活だよな。
小林秀雄はこの前の巻、13巻のあたりから、詳しいことは知らないのだが、当時のジャーナリズムが日本の歴史的役割とか、戦争の歴史的意義とか、そういうものについて喧伝していたのだろう、それに対する異議を、全身全霊をかけて唱える、ということをしてきていた。
今日、日本の危機に際して、諸君が注意して周囲を見渡されたならば、眼を覆わんとしても不可能な現実の姿がある一方、いかに様々なスローガンが横行し人々がこれに足をとられているかがおわかりの筈だと思う。わが国の言論界、思想界は嘗(かつ)て空疎なスローガンにおどらされ、充分に味噌をつけたのである。それが今日のジャーナリズムを見ていると、又同じスローガンの遊戯が始まっているのである。そういうものと僕らは戦わなければならぬ。それが詩人の道でもあるとともに、実践的な思想家の道であると信じます。小林秀雄は戦っているのだ。実践的な思想家として。そこで、歴史や伝統というものを考察し、それはただ事実や、または習慣の羅列としてあるものではなく、自分自身が愛着を持ち、そこに向かい、本当に見つけようとしない限り、歴史や伝統というものは生き生きと存在するということにはならないのだ、そしてそのことこそが、今というものを創造的につくりだしていくことなのだ、と論じてきたのだが、いよいよ太平洋戦争が始まり、事態の悪化に歯止めがかからないということになって、小林秀雄はさらに一歩、前へ進むのだな。歴史とは、伝統とは、ということをただ批評家として論ずるのではなく、自分自身がそのことを実践する、歴史や伝統に向きあい、それを本当に、自分自身のこととして見つける、ということを始めるのだ。「無常という事」はその決意表明のようなもので、それから「平家物語」「徒然草」「西行」「実朝」と、文庫本にも収録され、名作と言われる作品を、次々と発表していくことになるのだ。僕はこの小林秀雄が古典へ向かっていったことが、現代文学に嫌気がさし、ある意味古典というところへ逃げたのかと想像していたのだが、まったく違うのだな、そうではなく、これは、実践的な思想家たる小林秀雄、そう、小林秀雄は自分自身を、ただ批評家ではななく、実践的な思想家として、規定しなおしたということなのだ、が、当時のジャーナリズムと正面きって戦っている、凄絶な姿なのだ。
これらの作品はすべて、「文学界」という、元々小林自身も立ち上げに携わり、しばらくは編集委員も務め、たぶん自分の身内のような雑誌なのだろう、そこに発表されたのだが、 年譜によれば、その文学界も雑誌統合、とは何のことだかよく知らないのだが、により廃刊されてしまい、これはいかにも当局の命令で書いたのだろうという、「文学者の提携について」を書き、その延長なのだろう、「第三回大東亜文学者大会」というもののために、単身中国へ渡り、昭和19年には半年にわたって、中国に滞在したのだそうだ。中国での活動については「あまりに不明なことが多い」のだそうだが、おそらく小林秀雄は、実践的な思想家として、中国で戦っていたことは間違いがないだろう。うーん、何をしていたのかな、知りたいな、誰かに聞けばわかるのかな。
2009-08-17
小林秀雄全作品13 歴史と文学
いよいよ太平洋戦争開戦の前年、昭和15年と、昭和16年の3月までという、緊迫の時期に差し掛かった。僕はこの全集、小林秀雄が戦争をどう捉えたのか、そしてその時期をどのように過ごしたのか、ということが、一つの大きな興味なんだよな。まああまり歴史を知らない僕なのだが、小林秀雄の目を通して、あの戦争がどういうものだったのか、知りたいと思うのだ。小林秀雄なら、ただ事実の羅列ではなく、それがどういうことなのか、信頼できる内容を話してくれると思うから。こないだの戦争って、まだきちんと自分達にとっての位置付けが定まっていなくて、人によって見方が、ぜんぜん違ったりすると思うんだよな。
でこの本だが、もうほとんど全てが、時局に関する内容になっていて、小説のついての批評とか、ほとんどない。まあ小説についての批評がないのは、時局どうのこうのということでもなくて、もうこの頃には、日本で新しく発表される小説について、小林秀雄はほとんど興味がなくなっちゃったみたいなんだよな。太宰治とかこの年、有名な「走れメロス」ほか、何本か新作を発表しているのだが、一言もない。この頃の小説について、小林秀雄は次のように書いている。
衰弱して苛々(いらいら)した神経を鋭敏な神経だと思っている。分裂してばらばらになった感情を豊富な感情と誤る。徒(いたず)らに細かい概念の分析を見て、直覚力のある人だなどと言う。単なる思い付きが独創と見えたり、単なる聯想(れんそう)が想像力と見えたりする。或は、意気地のない不安が、強い懐疑精神に思われたり、機械的な分類が、明快な判断に思われたり、考える事を失って退屈しているのが、考え深い人と映ったり、読書家が思想家に映ったり、決断力を紛失したに過ぎぬ男が、複雑な興味ある性格の持ち主に思われたり、要するにこの種の驚くべき錯覚のうちにいればこそ、現代作家の大多数は心の風俗を描き、材料の粗悪さを嘆じないで済んでいるのだ。これが現代文学に於ける心理主義の横行というものの正体である。心理主義というのは、芥川龍之介を代表とする、人間の心理を分解、分析し、表現することが、人間を描くということなのだ、という考え方のことなのだが、それは間違いなのだということを、小林秀雄はこれまで繰り返し語っている。でももうこの時期、その心理主義が、極まってきてしまったということなんだな。小林秀雄はもう、嫌になってきてしまっているみたいだ。
それからもう一つ、ここしばらく哲学者や学者が、「大東亜共栄圏」とか、それを作ることが日本の「歴史的必然」なのだとか、かなりかしましく述べられてきているということがある。僕はそれについては本を一冊、読んだことがあって、そういう言説が、日本が戦争を行うことを正当化していったということがあるのだけれど、それについて小林秀雄が何と言っているのかということが、とても興味があった。 西田幾多郎という哲学者を中心とする、西田学派というものが、そういう言説の中心になっていたのだが、この西田学派については、小林秀雄はかなりはっきり、ばっさりとやっている。
西田幾多郎氏は、わが国の一流哲学者だと言われている。たしかにそうに違いあるまい。だがこの一流振りは、恐らく世界の哲学史に類例のないものだ。氏の孤独は極めて病的な孤独である。
(中略)
西田氏は、ただ自分の誠実というものだけに頼って自問自答せざるを得なかった。自問自答ばかりしている誠実というものが、どの位惑わしに充ちたものかは、神様だけが知っている。この他人というものの抵抗を全く感じない西田氏の孤独が、氏の奇怪なシステム、日本語では書かれて居らず、勿論(もちろん)外国語でも書かれていないという奇怪なシステムを創り上げて了った。氏に才能が欠けていた為でもなければ、創意が不足していた為でもない。
これは確かに本当の思想家の魂を持っていた人が演じた悲劇だった様に僕には思えるが、言う迄もなく亜流は魂を受け継がぬ。専(もっぱ)ら 健全な読者を拒絶する為に(他に理由はない)、何処の国の言葉でもない言葉を並べ、人間に就いては何一つ理解する能力のない、貧弱な頭脳を持った哲学ファンを集めた。そして、小林秀雄は、それなら本当の意味で、「歴史」とは何なのか、ということについて、渾身の力を振り絞って、とも感じられるような気迫で、書き綴っていくのだな。この辺りから、小林秀雄の文体が、だ・である調ではなく、です・ます調が見受けられるようになってくるのだが、僕はこれは、これまでは小林秀雄は、いっぱしの批評家として認められたいと、けんか腰の批評を改め、ドストエフスキーを研究し、自分の地保を固めるという歩みを辿ってきていると思うのだが、ここからは、この破滅的な時局に、何とかして抗するためにも、ただ文学者相手でなく、一般の人に向けて、書くようになってきたということなのではないかと思うのだな。
「歴史と文学」という題の文章の中で、小林秀雄独特の論法で、僕がとても好きだなと思う部分を、ちょっと引用してみる。
歴史は決して二度と繰り返しはしない。だからこそ僕等は過去を惜しむのである。歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている。歴史を貫く筋金は、僕等の愛惜の念というものであって、決して因果の鎖という様なものではないと思います。それは、例えば、子供に死なれた母親は、子供の死という歴史事実に対し、どういう風な態度をとるか、を考えてみれば、明らかな事でしょう。母親にとって、歴史事実とは、子供の死というそれだけのものではあるまい。かけ代えのない命が、取り返しがつかず失われて了ったという感情がこれに伴わなければ、歴史事実としての意味を生じますまい。若(も)しこの感情がなければ、子供の死という出来事の成り立ちが、どんなに精しく説明出来たところで、子供の面影が、今もなお眼の前にチラつくというわけには参るまい。歴史事実とは、嘗(かつ)て或る出来事が在ったというだけでは足りぬ、今もなおその出来事が在る事が感じられなければ仕方がない。母親は、それをよく知っている筈です。母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、寧(むし)ろ死んだ子供を意味すると言えましょう。死んだ子供については、母親は肝に銘じて知るところがある筈ですが、子供の死という実証的な事実を、肝に銘じて知るわけにはいかないからです。そういう考えを更に一歩進めて言うなら、母親の愛情が、何も彼(か)もの元なのだ。死んだ子供を、今もなお愛しているからこそ、子供が死んだという事実が在るのだ、と言えましょう。愛しているからこそ、死んだという事実が、退引(のっぴ)きならぬ確実なものとなるのであって、死んだ原因を、精しく数え上げたところで、動かし難い子供の面影が、心中に蘇(よみがえ)るわけではない。小林秀雄はこうして、日本が大きな考え違いの結果として、破滅の淵へ転げ落ちていくことを、何とか食い止めようと、自分なりのできる限りの努力をするのだが、しかしその努力やむなしく、いよいよ太平洋戦争が、開戦してしまうのだな。
2009-08-13
小林秀雄全作品12 我が毒
小林秀雄の全集第12巻、今回のタイトルは「我が毒」となっているが、これは小林秀雄の毒、ということじゃなくて、サント・ブウブという、フランスの、「近代批評の創始者」と言われる人がいて、その人の著書「我が毒」というものを、小林秀雄が翻訳したものが、この巻の半分くらいを占めている、ということなのだ。
小林秀雄がえらいのは、というか、ラッキーだったと言うべきかも知れないが、東大仏文科の学生時代、師事した先生に恵まれたということもあったみたいだが、フランス語をきちんと習得し、その先生が所蔵していたフランス語の文献を、片っ端から読みまくっていたのだな。「近代」という時代そのものの幕を開けたと言われるデカルトや、詩人ランボーや、その他、僕はあまり名前も知らないのだが、それをその後も何度も読み返し、それで時々こうやって、それらを翻訳したりするのは、別にそれを日本人に紹介しよう、というつもりでやってるのではなく、「自分の勉強のためだ」と書いている。フランスと言えば、近代という時代が成熟していくにあたって、イギリスやドイツと並んで、中心地の一つだったわけで、その重要な文献を精読しているということが、小林秀雄の大きな強みなのだよな。
それで「我が毒」なのだが、これが凄くて、当時の名だたる作家や哲学者、政治家たち、って名だたるって書いたが、僕が聞いたことがあるのは「ビクトル・ユーゴー」くらいなもので、あとは知らないのだけど、そういう人たちの悪口が、びっしり書いてある。この我が毒は、元々、著者サント・ブウブの個人用の手帳に書かれていて、ブウブがこれは、中に書かれている人が存命のうちは、出版してはならないと、書いていたものだから、その全員が亡くなった、ブウブの死後50年くらいして、出版されたものなのだ。悪口といっても、もちろん感情的な部分は一切なく、その人のダメなところを冷静に分析しているのだが、例えばこんな調子。
ヴィクトル・ユウゴオは、異常な平均の取れない能力を持った男である。彼の「ミゼラブル」という小説には、善でも悪でも愚劣でも、お望みのものは何でもある。だが、十一年来追放されて不在のユウゴオは、現存と力と青春を見せてくれた。彼の実現の才というものは最高度のものである。彼は虚偽からでも、愚劣からでも発明する、発明したものは万人の眼前に存在させる、出現させる。
豊かな創造や発明の年頃が過ぎると、人間に危機を孕(はら)んだ時期がやって来る。或る者は鋭くなり、確実になる、或る者は気が抜けた様になり、甘くなる、又或る者は俗悪になる。H(高野注:ヴィクトル・ユウゴオのこと)の場合はそうだ。彼は一つ目入道になった。初めのうちは彼の裡にあったもの或(あるい)は あるに違いないと思われたもの、即ち執拗(しつよう)な確実さや少々磨きの足りぬ野生的なエネルギイ、そういうものは、磨きがかかり、研ぎ澄まされて、精巧なものとなる代りに、いよいよ鈍重に俗悪に、要するに動物化して了った。Hは一つ目入道になったのである。この手帳についてブウブは、「この手帖には、濃い、屡々(高野注:しばしば)毒薬の状態にある僕の顔料がある。少し許り薄めさえすれば、物を生動させる色彩が手に入るわけだ」と書いていて、実際この手帳はブウブ自身のための覚え書きであって、ブウブはそれを薄めて、自分の批評作品を制作していたそうだが、それでも同時代の作家たちからは、かなりの批判を受けたようで、ニイチェなどからは、「何一つ男らしいところはない。あらゆる男性精神に対するくだらない憎悪でいっぱいなのだ。女みたいに物欲しげにだらだら悪口を言って廻っている。女の復讐心と女の感覚をもった、心の底から女性的人格だ」と酷評されていたりするようだ。
「懐疑と独断は、批評の味噌だ」というようなことを、小林秀雄がどこかで書いていたが、その批評が穿ったものであればあるほど、批評された相手は、それを嫌うだろう。そのため小林秀雄は一時、自殺の危機にまで追いやられ、それ以来軌道修正して、「僕は悪口にかけては天賦の才があるので、常に抑制これ努めているが」と書いてもいるのだが、初期の批評のように痛快な、ケンカ腰の文芸批評は、影を潜めるようになっている。小林秀雄の場合、だから同時代の作家を批評するというところから、「古典」というところへ、逃げた、とも言えるのではないかと思うのだが、批評家というものが、真に批評しようとすると、自らの生命の危機すら孕むくらい、過酷な稼業であり、それは近代批評の創始者のところから、すでにそうだったということなのだよな。
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