2011-09-27
やはり日本人には日本の食い物
三条会商店街の魚屋で、スルメイカを売っていたから、どうやって食べたらいいか聞いたら、さっと焼くか湯がくかして、生姜醤油で食べたら良いとのこと。
以前は家のIHレンジでは、魚はうまく焼けなかったんだが、この頃はカセットコンロに焼き網を使うことにしたから、焼き魚も自由自在だ。
刺身にもできるスルメイカ。
さっと焼いてぷっくりと膨らめば、それでもう食べられるとのことだったのだが、いやほんと、やわらかくて、甘みがあって、それがさっぱりした生姜醤油となんともよく合い、これはたまらん。
それから八百屋で、万願寺とうがらし。
農家の人が八百屋に直接持ち込むとのことで、スーパーの3分の1ほどの値段で買える。
ナスやトマトも、京都産のものは、スーパーよりはるかに安いんだよな。
他の野菜も、全体としてスーパーより安く、八百屋がスーパーより高いと思っていたのは、完全に間違いだったな。
万願寺とうがらしは、じゃこと炊くのが一般的だが、かつお節で炊いてもいい。
農家のおばちゃんは、じゃこよりかつお節のほうが、とうがらしの身にピタリとへばりつき、食べやすいからいいと言っていた。
それに実際、じゃこよりかつお節のほうが、値段が安い。
鍋にかつお節、それに洗っただけのとうがらしを丸ごと入れ、1カップほどの水を入れ火にかける。
沸騰したら、みりんと醤油でコッテリめに味を付け、フタをして中火で20分ほど炊く。
万願寺は意外にかたくて、けっこう時間をかけないとやわらかくならない。
十分やわらかくなったら、フタを開け汁を煮詰めて出来上がり。
このくたくたになり、たっぷり味がしみたのが、たまらんのだよな。
これは中の種ごと食ってしまうんだが、種がまたちょっと酸味があるのが、ほろ苦い万願寺のよいアクセントになる。
それからナスの塩もみ。
ただ塩をふって絞っただけの簡単なものだが、これがまたやわらかくて甘くて、ほんとに死ねる。
前も書いたが、ただ塩もみしただけのナスがこれほどうまいのは、いつもじゃないんだよな。
今が旬だから、これだけうまいということなのだ。
三条商店街の豆腐屋で買った、自家製豆腐。
今まで何度も、大してどうと思うことなく食っていたんだが、昨日初めて、「ほんとにうまい」と思った。
豆腐の味って、僕のような馬鹿舌だと、あまりに淡くてよく区別が付かないんだよな。
でも何度も食ってるうちに、僕の舌もようやくうまいと悟ったようだ。
ひとことで言うと、透き通った、一点の曇りもないという味。
濃すぎず、堅すぎず、しかし存在感は十分。
今度からもう、豆腐はここのだけにするわ。
値段もべつに高くない。
あとは白菜の浅漬。
こないだ塩を振りすぎたからと思い、今回塩を少なめにしたら、今度はちょっと足りなかった。
しかし酒の肴には、辛すぎるよりちょっと足りないくらいのほうがいい。
昨日はこれだけのもので、冷や酒を2合半飲んだのだが、あんまり幸せで死ぬかと思った。
この「死ぬほどの幸せ感」なのだが、僕はべつに、晩酌の時、いつもそれを感じているというわけでもないんだよな。
昨日どんな時自分がこれだけ幸せを感じるか、よくよく振り返ってみたんだが、「甘くてやわらかい」ものを食ってる時であることに気が付いた。
昨日も甘くてやわらかいイカ。甘くくたくたに炊いたとうがらし。ナスも豆腐も、やはり甘くてやわらかい。
新福菜館三条店のラーメンも、僕は非常な幸せを感じるんだが、あれもやはり、ラーメンとしては珍しく甘い味がし、全体としてやわらかい印象がある。
こういうものをひと言でまとめると、「昔の日本」ということになるのかな。
最近の日本は、アメリカの影響なのじゃないかと思うのだが、「甘さをおさえ、歯ごたえがあるもの」を好むようになっているんじゃないか。
サラダとか、典型だよな。
ラーメンも、戦前の創業である新福菜館のラーメンは甘みがあるが、戦後のラーメンは基本的にすべて、甘みはカットされている。
僕は歯ごたえのあるサラダも、甘みのないラーメンも、べつに嫌いでも何でもなく、そういうものを食って育ってきているんだが、それほどの幸せ感は、感じなかったということだ。
戦後生まれの僕の体内にも、日本人の血が脈々と流れているということなのだな。
不思議な感じがするな。
昼飯は、素ソーミンチャンプルー。
ソーミンチャンプルーはほんとならニラとか、キャベツとか長ネギとか、野菜を一緒に炒めるんだが、昨日は野菜を買い忘れていたから、ツナ缶だけで炒め、青ネギをふりかけた。
これもけっこうイケたですよ。