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2011-09-16

うろ覚えで作ったプルコギ、微妙に失敗

韓国へは大学の時、ホームステイをしたのが初めだったのだが、この時はカルチャーショックで腹を壊して大変だった。

韓国はお隣りの国で、街などを歩いていると、日本にそっくりと思えるところもあるのだが、その一方で、すべてが違うという感じもする。その典型が料理で、韓国の料理はすべてが赤い。そして独特の風味がする。ニンニクの風味だ。

韓国へ行ったことがある人は、ご存知のことと思うが、日本で食べる韓国料理と、実際に韓国で食べる韓国料理とは、ニンニクの量が桁違いだ。韓国で料理を作るのを見ていると、目が点になるほど大量のニンニクを入れる。多くの日本人は、それだけ大量にニンニクが入った料理を受け入れられないから、日本の韓国料理では、ニンニクは相当減量されている。初めて韓国へ行った時には、すべての料理から、この極度に強いニンニクの風味と、それに唐辛子の辛味がするところに、まずはやられてしまったというわけだ。

さらに生活習慣も、韓国は日本と極度に違う。ステイ先の食事に、尾頭付きの大きな魚を真っ赤に煮付けたものが出てきた。この煮付けに大量のニンニクと唐辛子が入っている時点で、すでに拒否反応があったところに、その食べ方が、その時はまた耐えられなかった。家族の全員がその煮付けを直箸でつつき、そのまま口へ入れている。それは日本ならマナー違反だろう。

日本でのマナー違反が、韓国では何も問題ないという例はけっこう多くて、たとえば猫まんまをすること。味噌汁をご飯にぶっかけるのは、日本ではどちらかと言えば下品とされているが、韓国では正式な食べ方だ。しかも日本が味噌汁をご飯にぶっかけるのに対して、韓国ではそれはマナー違反になり、逆にご飯を汁のお椀の方にに入れなければならない。日本では茶碗やお椀は手に持って食べないといけないのに、韓国では反対に、手に持って食べるとダメ。女性が立て膝をしたりお膳に肘をついて食べたりするのは、日本では下品だが、韓国では正式な作法。日本で良いとされていることが、韓国ではダメで、韓国で良いとされていることが、日本ではダメ。このすべてが真逆になったようなところも、初めて韓国へ行ったときには、どうにも受け入れることができなかった。

しかし二度目に韓国へ行った時には、慣れもあったのかも知れないが、韓国の料理や習慣に、すんなり馴染むことができ、ホームステイ先の家族とも涙の別れをして日本へ帰ってきた。それ以来、韓国は大好きな国となり、今に至っている。


韓国と日本とは、ほんとに距離が近い、お隣りの国で、歴史的に交流も深かったのに、どうしてこれほどまでに、料理の仕方や習慣がちがうのか。やはりあまりにも近い国だったから、双子が一緒の家に暮らすと、お互い違おうとする気持ちが働くと言われるように、近親憎悪のようなものがあったのかとも思うのだが、「ニンニクと唐辛子」だけに着目すると、その背景となる考え方自体に、韓国と日本で根本的な違いがあったのかなと思うところがある。

韓国と日本とでは、調味料は全体としては、それほど変わらない。日本で使われる調味料は、基本的に韓国でも同じように使う。おそらくは韓国も日本も、まずは中国の食文化の影響を、等しく受けているということなのだろう。

ただ調味料の中で突出して違うのは、ニンニクと唐辛子で、これは元々中国で使われていたものだったのだろうが、それが韓国では、極度に増幅されて、ほとんど調味料の中心とも言える位置付けになっているのに対して、日本ではほとんど使われなくなっている。ニンニクは伝統的な日本料理には、まったく使われないものだろうし、唐辛子も七味のような形で、好みにより振りかけるという程度の使われ方しか、日本ではされないわけだ。

この、ニンニクと唐辛子をふんだんに使うか、ほとんど使わないかという違いが、なぜ生まれたかということなのだが、これは肉や魚の「臭み」に、どう対処するかということの、考え方の違いを表しているのじゃないかと思うのだよな。

日本の場合、肉や魚の臭みは、徹底的に取り除くわけだ。湯通しや下ゆでをしたり、あくをていねいに取ったりすることにより、臭みを排除していく。ショウガにより臭みを消したりもするが、それはどちらかと言えば次善の策で、日本ではまず臭みがまったくないことが、尊ばれると言えるんじゃないか。

それに対して、韓国でニンニクや唐辛子を大量に入れるというのは、臭みに対して、もっと強力に臭いものや、また唐辛子のように臭みを感じなくさせるものを入れ、臭みを中和しようとすることだと言えるんじゃないか。臭みを排除するのでなく、臭みと共存しながら、それを中和し、感じなくさせるような、積極的な策を採用している。

このことは、韓国と日本の、料理という観点だけから見たことだけれど、一般的に問題への対処法の、代表的な2つのスタンスとも言えるのじゃないか。ある問題があった時、その解決法として、日本が排除の論理を採用し、韓国が中和の論理を採用する。このことは、日本国内の状況を考えても、また韓国が北朝鮮と、どのように接しようとしているのかを見ても、うなずけるものがある気がするんだがな。実際韓国では街角で、日本人から見ると喧嘩しているのかと思うような激しい調子で、普通に会話しているのをよく見かける。これも上のような考え方の違いに基くものかと思えなくもない。



グルメシティの木曜特売日で、毎回オーストラリア産の牛コマ肉が安く出る。いつもそれを買い、肉じゃがにしていたのだが、毎週木曜は肉じゃがと言うんじゃあまりに芸がないから、昨日はプルコギにしてみた。


プルコギは韓国風の焼肉だが、日本の焼肉とはだいぶ趣きがちがう。肉だけじゃなく野菜も一緒に、調味料を手で揉み込んで、それを丸ごと焼くというやり方だ。汁が大量に出るから、韓国料理屋などではジンギスカン鍋のような、中央が丸く盛り上がった鉄板で焼き、汁が周りに落ちてくるようにするのだが、韓国人がこれを家庭で作るのを見ていたら、フライパンの中で肉と野菜、それに調味料を合わせ、それをそのまま火にかけるというやり方をしていた。

プルコギはここしばらく食べておらず、韓国人が作るのを見たのもはるか以前だから、野菜や調味料に何を入れるのか、うろ覚えだったのだが、とりあえずうろ覚えのままで、レシピなどは確認せずにやってみた。自分一人が食う飯を作るために、レシピなどをチマチマ見る気はまったくしないのだ。


というわけで完成したプルコギ、そこそこおいしく食べられるようには出来、プルコギの味もまあまあしたんだが、食っているうちにどうも違和感が。調味料が、喧嘩しているような感じがする。それでよくよく考えてみたら、すりおろしたショウガを入れてしまったのが失敗だったのだ。

調味料は、醤油と砂糖、みりんと酒、ゴマ油、それに大量のニンニクというのが正解だったのだな。ここにショウガを加えてしまったものだから、プルコギなのかショウガ焼きなのか、よく解らないものになってしまった。

これで昨日は、酒を2合半。