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2010-04-20

マイケル・ポランニー 「暗黙知の次元」(7)


マイケル・ポランニーは、元々かなりできる化学者だったそうで、そのまま続けていたらノーベル賞を取ってもおかしくなかっただろうと、どこかに書いてあったが、1935年にソ連共産党最高幹部の一人であったブハーリンと話をして、状況のむずかしさを痛感し、「こうした状況を作りだしている原因を探求してやろうと決心した」のである。



まあ僕は思想史みたいなことは全く詳しくないので、よく分からないのだが、ポランニーは当時の思想的な状況に不満を感じ、ポランニー自身の言葉を引用すると、
「私たちの文明全体は極端な批判的明晰性と強烈な道義心の奏でる不協和音に満たされており、この両者の組み合わせが、まなじりを決した近代の諸改革を生み、同時に、革命運動の外部では、近代人の苦悩に満ちた自己懐疑をも生み出したのだ」
となるのだが、まあ僕もこの文章の意味は、きちんとは分からないのだが、とにかくポランニーは、共産党の硬直した教義にふれて、「社会や自然というものは、ほんとはもっと違うはずだ」と、直感的に思ったということなのだと思うのだよな。それでたぶん、それではそれがどう違うのか、自分が今、明らかにしなければ、世の中はダメになると、思ったのかどうか、いやたぶん思ったのだろう、実績の上がっていた科学研究の道をなげうち、哲学の道へと入っていったということなのだ。

ポランニーは1891年生まれだから、ブハーリンと話しをしたという1935年といえば、44歳、今の僕と同じような年代だな。その年で進路を変えるということは、けっこうな決心だったのだろうけど、なぜそれができたのかと言うと、ポランニーには確信があったのだ。根拠はなかったと思うが。自分の科学研究の体験をとおして、科学的な「発見」というものが、どのように生み出されるものであるかについて、ポランニーは知っていたんだな。というか、見つけていたものがあった。そして、その発見の過程というものは、ただ科学の研究ということについてだけ、当てはまるというものではなく、人間のあらゆる認識や創造活動、さらには、生きものが生み出されていくプロセス、原始的な生きものが高等生物へと進化していくプロセス、そういうものと、まったく同じ原理に基づくものであると、ポランニーは確信していたのだ。その原理を自分は、見つけてやろうじゃないか。そうすれば、人間とは何か、自然とは何かと世の中の人が考えている、その考えは、180度変わる。今の社会のあり方や、科学のあり方についても、根本から変わるのだ。

この「暗黙知の次元」は、1966年に書かれ、ポランニーは10年後の76年に亡くなっているから、たぶんポランニーの思想の中核が、もっともコンパクトに、書かれたものになっているのじゃないかと思う。ポランニーの探し求めた「原理」は、いまだ見つかっておらず、この本の中でもそれを見つけようとする途中経過が書かれているのだが、とにかくすごいのだ。今の常識に反する発言が、ずばずばと出てくるのだが、それはただ常識はずれな意見であるとは、僕には見えない。まさしくその通りであると、僕には思えるのである。

(つづく)