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2009-08-17

小林秀雄全作品13 歴史と文学


いよいよ太平洋戦争開戦の前年、昭和15年と、昭和16年の3月までという、緊迫の時期に差し掛かった。僕はこの全集、小林秀雄が戦争をどう捉えたのか、そしてその時期をどのように過ごしたのか、ということが、一つの大きな興味なんだよな。まああまり歴史を知らない僕なのだが、小林秀雄の目を通して、あの戦争がどういうものだったのか、知りたいと思うのだ。小林秀雄なら、ただ事実の羅列ではなく、それがどういうことなのか、信頼できる内容を話してくれると思うから。こないだの戦争って、まだきちんと自分達にとっての位置付けが定まっていなくて、人によって見方が、ぜんぜん違ったりすると思うんだよな。

でこの本だが、もうほとんど全てが、時局に関する内容になっていて、小説のついての批評とか、ほとんどない。まあ小説についての批評がないのは、時局どうのこうのということでもなくて、もうこの頃には、日本で新しく発表される小説について、小林秀雄はほとんど興味がなくなっちゃったみたいなんだよな。太宰治とかこの年、有名な「走れメロス」ほか、何本か新作を発表しているのだが、一言もない。この頃の小説について、小林秀雄は次のように書いている。

衰弱して苛々(いらいら)した神経を鋭敏な神経だと思っている。分裂してばらばらになった感情を豊富な感情と誤る。徒(いたず)らに細かい概念の分析を見て、直覚力のある人だなどと言う。単なる思い付きが独創と見えたり、単なる聯想(れんそう)が想像力と見えたりする。或は、意気地のない不安が、強い懐疑精神に思われたり、機械的な分類が、明快な判断に思われたり、考える事を失って退屈しているのが、考え深い人と映ったり、読書家が思想家に映ったり、決断力を紛失したに過ぎぬ男が、複雑な興味ある性格の持ち主に思われたり、要するにこの種の驚くべき錯覚のうちにいればこそ、現代作家の大多数は心の風俗を描き、材料の粗悪さを嘆じないで済んでいるのだ。これが現代文学に於ける心理主義の横行というものの正体である。
心理主義というのは、芥川龍之介を代表とする、人間の心理を分解、分析し、表現することが、人間を描くということなのだ、という考え方のことなのだが、それは間違いなのだということを、小林秀雄はこれまで繰り返し語っている。でももうこの時期、その心理主義が、極まってきてしまったということなんだな。小林秀雄はもう、嫌になってきてしまっているみたいだ。

それからもう一つ、ここしばらく哲学者や学者が、「大東亜共栄圏」とか、それを作ることが日本の「歴史的必然」なのだとか、かなりかしましく述べられてきているということがある。僕はそれについては本を一冊、読んだことがあって、そういう言説が、日本が戦争を行うことを正当化していったということがあるのだけれど、それについて小林秀雄が何と言っているのかということが、とても興味があった。 西田幾多郎という哲学者を中心とする、西田学派というものが、そういう言説の中心になっていたのだが、この西田学派については、小林秀雄はかなりはっきり、ばっさりとやっている。

西田幾多郎氏は、わが国の一流哲学者だと言われている。たしかにそうに違いあるまい。だがこの一流振りは、恐らく世界の哲学史に類例のないものだ。氏の孤独は極めて病的な孤独である。
(中略)
西田氏は、ただ自分の誠実というものだけに頼って自問自答せざるを得なかった。自問自答ばかりしている誠実というものが、どの位惑わしに充ちたものかは、神様だけが知っている。この他人というものの抵抗を全く感じない西田氏の孤独が、氏の奇怪なシステム、日本語では書かれて居らず、勿論(もちろん)外国語でも書かれていないという奇怪なシステムを創り上げて了った。氏に才能が欠けていた為でもなければ、創意が不足していた為でもない。
これは確かに本当の思想家の魂を持っていた人が演じた悲劇だった様に僕には思えるが、言う迄もなく亜流は魂を受け継がぬ。専(もっぱ)ら 健全な読者を拒絶する為に(他に理由はない)、何処の国の言葉でもない言葉を並べ、人間に就いては何一つ理解する能力のない、貧弱な頭脳を持った哲学ファンを集めた。
そして、小林秀雄は、それなら本当の意味で、「歴史」とは何なのか、ということについて、渾身の力を振り絞って、とも感じられるような気迫で、書き綴っていくのだな。この辺りから、小林秀雄の文体が、だ・である調ではなく、です・ます調が見受けられるようになってくるのだが、僕はこれは、これまでは小林秀雄は、いっぱしの批評家として認められたいと、けんか腰の批評を改め、ドストエフスキーを研究し、自分の地保を固めるという歩みを辿ってきていると思うのだが、ここからは、この破滅的な時局に、何とかして抗するためにも、ただ文学者相手でなく、一般の人に向けて、書くようになってきたということなのではないかと思うのだな。

「歴史と文学」という題の文章の中で、小林秀雄独特の論法で、僕がとても好きだなと思う部分を、ちょっと引用してみる。

歴史は決して二度と繰り返しはしない。だからこそ僕等は過去を惜しむのである。歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている。歴史を貫く筋金は、僕等の愛惜の念というものであって、決して因果の鎖という様なものではないと思います。それは、例えば、子供に死なれた母親は、子供の死という歴史事実に対し、どういう風な態度をとるか、を考えてみれば、明らかな事でしょう。母親にとって、歴史事実とは、子供の死というそれだけのものではあるまい。かけ代えのない命が、取り返しがつかず失われて了ったという感情がこれに伴わなければ、歴史事実としての意味を生じますまい。若(も)しこの感情がなければ、子供の死という出来事の成り立ちが、どんなに精しく説明出来たところで、子供の面影が、今もなお眼の前にチラつくというわけには参るまい。歴史事実とは、嘗(かつ)て或る出来事が在ったというだけでは足りぬ、今もなおその出来事が在る事が感じられなければ仕方がない。母親は、それをよく知っている筈です。母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、寧(むし)ろ死んだ子供を意味すると言えましょう。死んだ子供については、母親は肝に銘じて知るところがある筈ですが、子供の死という実証的な事実を、肝に銘じて知るわけにはいかないからです。そういう考えを更に一歩進めて言うなら、母親の愛情が、何も彼(か)もの元なのだ。死んだ子供を、今もなお愛しているからこそ、子供が死んだという事実が在るのだ、と言えましょう。愛しているからこそ、死んだという事実が、退引(のっぴ)きならぬ確実なものとなるのであって、死んだ原因を、精しく数え上げたところで、動かし難い子供の面影が、心中に蘇(よみがえ)るわけではない。
小林秀雄はこうして、日本が大きな考え違いの結果として、破滅の淵へ転げ落ちていくことを、何とか食い止めようと、自分なりのできる限りの努力をするのだが、しかしその努力やむなしく、いよいよ太平洋戦争が、開戦してしまうのだな。