小林秀雄の全集第12巻、今回のタイトルは「我が毒」となっているが、これは小林秀雄の毒、ということじゃなくて、サント・ブウブという、フランスの、「近代批評の創始者」と言われる人がいて、その人の著書「我が毒」というものを、小林秀雄が翻訳したものが、この巻の半分くらいを占めている、ということなのだ。
小林秀雄がえらいのは、というか、ラッキーだったと言うべきかも知れないが、東大仏文科の学生時代、師事した先生に恵まれたということもあったみたいだが、フランス語をきちんと習得し、その先生が所蔵していたフランス語の文献を、片っ端から読みまくっていたのだな。「近代」という時代そのものの幕を開けたと言われるデカルトや、詩人ランボーや、その他、僕はあまり名前も知らないのだが、それをその後も何度も読み返し、それで時々こうやって、それらを翻訳したりするのは、別にそれを日本人に紹介しよう、というつもりでやってるのではなく、「自分の勉強のためだ」と書いている。フランスと言えば、近代という時代が成熟していくにあたって、イギリスやドイツと並んで、中心地の一つだったわけで、その重要な文献を精読しているということが、小林秀雄の大きな強みなのだよな。
それで「我が毒」なのだが、これが凄くて、当時の名だたる作家や哲学者、政治家たち、って名だたるって書いたが、僕が聞いたことがあるのは「ビクトル・ユーゴー」くらいなもので、あとは知らないのだけど、そういう人たちの悪口が、びっしり書いてある。この我が毒は、元々、著者サント・ブウブの個人用の手帳に書かれていて、ブウブがこれは、中に書かれている人が存命のうちは、出版してはならないと、書いていたものだから、その全員が亡くなった、ブウブの死後50年くらいして、出版されたものなのだ。悪口といっても、もちろん感情的な部分は一切なく、その人のダメなところを冷静に分析しているのだが、例えばこんな調子。
ヴィクトル・ユウゴオは、異常な平均の取れない能力を持った男である。彼の「ミゼラブル」という小説には、善でも悪でも愚劣でも、お望みのものは何でもある。だが、十一年来追放されて不在のユウゴオは、現存と力と青春を見せてくれた。彼の実現の才というものは最高度のものである。彼は虚偽からでも、愚劣からでも発明する、発明したものは万人の眼前に存在させる、出現させる。
豊かな創造や発明の年頃が過ぎると、人間に危機を孕(はら)んだ時期がやって来る。或る者は鋭くなり、確実になる、或る者は気が抜けた様になり、甘くなる、又或る者は俗悪になる。H(高野注:ヴィクトル・ユウゴオのこと)の場合はそうだ。彼は一つ目入道になった。初めのうちは彼の裡にあったもの或(あるい)は あるに違いないと思われたもの、即ち執拗(しつよう)な確実さや少々磨きの足りぬ野生的なエネルギイ、そういうものは、磨きがかかり、研ぎ澄まされて、精巧なものとなる代りに、いよいよ鈍重に俗悪に、要するに動物化して了った。Hは一つ目入道になったのである。この手帳についてブウブは、「この手帖には、濃い、屡々(高野注:しばしば)毒薬の状態にある僕の顔料がある。少し許り薄めさえすれば、物を生動させる色彩が手に入るわけだ」と書いていて、実際この手帳はブウブ自身のための覚え書きであって、ブウブはそれを薄めて、自分の批評作品を制作していたそうだが、それでも同時代の作家たちからは、かなりの批判を受けたようで、ニイチェなどからは、「何一つ男らしいところはない。あらゆる男性精神に対するくだらない憎悪でいっぱいなのだ。女みたいに物欲しげにだらだら悪口を言って廻っている。女の復讐心と女の感覚をもった、心の底から女性的人格だ」と酷評されていたりするようだ。
「懐疑と独断は、批評の味噌だ」というようなことを、小林秀雄がどこかで書いていたが、その批評が穿ったものであればあるほど、批評された相手は、それを嫌うだろう。そのため小林秀雄は一時、自殺の危機にまで追いやられ、それ以来軌道修正して、「僕は悪口にかけては天賦の才があるので、常に抑制これ努めているが」と書いてもいるのだが、初期の批評のように痛快な、ケンカ腰の文芸批評は、影を潜めるようになっている。小林秀雄の場合、だから同時代の作家を批評するというところから、「古典」というところへ、逃げた、とも言えるのではないかと思うのだが、批評家というものが、真に批評しようとすると、自らの生命の危機すら孕むくらい、過酷な稼業であり、それは近代批評の創始者のところから、すでにそうだったということなのだよな。