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2009-08-24

つまみ あさり酒蒸し


今日はマダムジョイ、広島産大野あさり、というのが出ていて、まあ今までも出ていたのかも知れないが気付かなかったのだが、ブログによると、取れる量が少ないので広島でもあまりお目にかからないとのこと。でも鮮魚コーナーのおいちゃんに聞いてみたら、そんなことないですよ、と言っていたが。でそれを買って、酒蒸し。

酒蒸しは前から、もしかしたらこれは酒だけじゃなく、水を加えたらいいんじゃないだろうかと薄々思っていたのだが、上のブログを見るとやはり酒と水と半々でやるとのこと、そうだよな、やっぱその方が味が穏やかでいい。

あさりを酒蒸しする時いつも思うことで、そのたびに書いてることを今日も書くのだが、あさりは買うときまだ生きてるわけで、家に持ち帰って塩水につけると、首を伸ばしてぷはーと気持ち良さそうに、砂を吐いたりするのだよな。ちょっと物音を立てたりすると一斉にまた首を縮めたりして、可愛いわけだ。でこれを酒蒸しにすると、まああさりの奴らがどう思っているかは知らないが、こちらとしては、残酷、とかいう気持ちはまったく湧かず、沸騰した煮汁の中であさりがパカ、パカ、と開いていくのを眺めていたりすると、もう、うまそう、としか思えないのだよな。

で実際食べるとそれはほんとにうまいわけで、この、あさりを食べる。ということは、生きていた時のあさりに対して僕が感じた愛着の、きわめて正当な表現なのだと思うのだよな。ということは、この、あさりを食べる、ということは、僕とあさりの間の、一つのコミュニケーションと言えるのではないか。僕は食べるということで、あさりを感じるわけだよな。

動物は別の生き物を食べることによって生きているわけで、でもこれって弱肉強食とか言って、競争と捉えられがちなわけだが、でも僕はあさりと競争しているのではなく、あさりを愛しているのだよな。あさりのうまさに、あさりが生き生きと生きているんだな、ということを感じたりもしているわけだ。それは別に身勝手な強者の想いではなく、旬の秋刀魚を待ち望むことは、自然の理に反したことではなく、生き物としての僕が当たり前に感じてしかるべきことなのだよな。

とまあ、色々想ってみたりして。

つまみはあとは、なすの塩もみ、これはみょうがと大葉と、白ゴマと生姜醤油で和えて食べる。それに生姜とおかかと青ねぎをたっぷり乗せた冷奴、シーチキンを乗せゆずぽんをかけて食べる、塩ゆでブロッコリー。

こういうつまみで酒を飲むと、僕はほんとに幸せ感じるんだよな。