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2012-12-23

しょっつるの代わりにナンプラーを使う。
「ハタハタのナンプラー鍋」

イワシとならんで安くてうまい魚であるハタハタは、鍋に入れるのがいちばん簡単。
ハタハタの鍋といえば秋田のしょっつる鍋が有名だけど、これはハタハタが淡白で、だしがあまり出ないから、ハタハタから作る魚醤しょっつるのクセのある味で、うまみを補う意味があると思う。京都ではしょっつるはスーパーなどには売っていないから、かわりに同じ魚醤のナンプラーを使う。ナンプラーのクセは加熱するとほとんど消え、強いうまみだけが残る。





だしはコブ。
5センチ角ほどを水から入れて中火にかけ、沸騰したら弱火にし、3分ほど煮てとり出す。





だしが4カップなら、酒大さじ4、うすくちしょうゆ大さじ1、ナンプラー大さじ1.5、塩少々くらいで味つけする。
しょうゆを使わなくても問題はないけれど、ナンプラーは高いから半々にする。





ハタハタは、頭を落としてワタをかき出す。
野菜は豆腐に白菜、えのきと長ねぎ、それに春菊。秋田ではしょっつる鍋に、ゴボウとマイタケを入れるらしい。





まずハタハタと白菜、豆腐、少し煮てからえのきと長ねぎ、最後に春菊を入れ、弱い火で煮る。
白菜がやわらかくなれば、もう食べられる。





一味唐辛子をふる。
淡白で上品な味のハタハタに、ナンプラーの強いコクはよく合う。











「料理はレシピを見るのでなく、自分でやり方を考えるのが楽しい」とは、
これまで何度となく書いてきていることなのだけれど、
このことが、料理を楽しめるか楽しめないかの一番のポイントに
なるのではないかとぼくは思う。

レシピを見てその通りに作る料理にも、学ぶ楽しさや手作業の楽しさはあるけれど、
自分で料理を考え出す楽しさは、やはりそれとは格段にちがう。

「料理を自分で考え出すなど、ある程度料理がうまくなっているからできることだ」
と思う人もいるかもしれないけれど、本来はそうではないのではないかとぼくは思う。

料理の初心者は初心者なりに、自分で料理を考え出すことができるはずである。



極端なことを考えてみれば、たとえばある料理の初心者は、
調味料として「塩」しか知らなかったとする。

しかし実際のところ、塩だけふっておいしく食べられるものは多い。

肉でも魚でも野菜でも、とりあえず何でも煮たり焼いたりして、
塩だけふって食べてみるという実験が、ここで可能となる。

塩のふり方にしても、熱を加える前にふるのか、加えた後にふるのかで
味は変わってくるし、煮るときの水や、炒めるのなら油に塩をふるなどの、
様々なやり方だってある。

作った料理を自分で食べてみて、おいしければそれでよし、
イマイチだったらその理由を考えて、新たな挑戦を試みる。

そこに料理の醍醐味がある。



しかしその料理の醍醐味を味わうために、大きな障害となることに、
「他人の目を気にしてしまう」ことがある。

「こんなこと誰もしないのではないか」
「別に『本当のやり方』があるのではないか」
と思ってしまい、自分がやろうとしていることをあきらめてしまうと、
その先へは進めなくなる。

もちろん他人のやり方を学ぶことは大事だし、得るものも大きいけれど、
他人のレシピを見るのは自分が挑戦してみた後がいい。

挑戦する前にレシピを見ると、レシピのほうが正しいと思えてしまいがちだし、
実際に自分でやってからレシピを見たほうが、そのレシピの理解も深まる。



使い古された言葉でいえば、料理を楽しむには、まず
「自分を信じる」ことが必要になると思う。

なぜならば自分の体は、そのとき必要な味やら栄養やらを
すべて知っているからである。





「でもおっさんみたいに過信するのもどうかと思うよ。」
それはたしかにその通りだな。