2011-08-02
鍋ほどおいしく手軽で、バラエティに富み、新たな発見に満ちた食い物はないな
これまで何回かにわたって、「一人暮らし料理入門」と称して、一人暮らしの人間がどうしたらうまいもんを無理なく手軽に作れるのかを考察してきたわけだが、考えてみたら、その王座に君臨すべきものは「鍋」だった。
鍋は僕は、誠に多投していて、冬場はほとんど毎日鍋を食ってた。夏は暑くて、扇風機をかけるから、卓上で火をたく鍋は無理だと一度は結論したのだったが、最近になって、鍋は夏でも食べられることがわかった。
台所で全部作ってしまって、それをテーブルに持ってきて食べればいいのだ。
このやり方だと、鍋はだんだん冷えるわけだが、いや夏だから、むしろそのほうがいい。うまいものは冷えてもうまい。
それでまた鍋をやりだしたのだが、昨日作った「鶏のうどんすき」、また新たな発見と感動があり、あらためて鍋を見直したのでした。
◎ 鍋はやはりすべての料理の元祖なのじゃないか
料理の歴史を考えてみるとするじゃないか。
いやもちろん僕は、料理の考古学についてまったく知らないし、そもそも文字のなかった時代の料理について、実際に知ることができる方法があるのかどかも知らないが、自分が色々料理をしながら、
「今こうやって作っている料理は、昔はどうだったのか」
とあれこれ考えてみるのは楽しいことだ。
料理法というものは、最もシンプルには「焼く」ということがあったのは、たしかにそうなのじゃないかと思う。焼くことによって、硬かったり生臭かったりする食材が、やわらかく、うまいものになる。
でも今の料理を考えてみると、「焼く」ということだけの延長線上にあるとは思えないわけだ。やはり「煮る」というのをやるようになって初めて、今の料理の原型ができたと思うのだよな。
ちなみにもう一つ、料理の源流には「発酵」があると思うけれども、それは今回は脇に置いておく。いや次回も脇に置いておくかもしれないが…。
肉やら野菜やらを、とにかく片っ端から鍋に入れ、グツグツ煮て、塩かなにかで味を付けて食う。料理の元祖はやはりこれだったのじゃないかと思えるんだよな、僕は。
それでそのうち、材料の相性とか、そこにどんな調味料を使うのかとか、そういうことが研究され、様々な料理が生み出されていく…。
「煮る」ということにより発見されたのは、やはり何と言っても、「だし」だっただろう。
肉や野菜から、うまみの成分が水に溶け出していく。それが渾然一体となって、一つのうまみをつくり出す。そのうまみが、また肉や野菜に還り、しみ込んでいく。こうして味が循環することにより、料理がうまくなっていく。
それが洗練されることにより、様々なソースやら、昆布やらかつお節やら、そういうものが生まれていったわけだけど、そのルーツには常に、鍋という「ごった煮」があるのじゃないか。ごった煮の状態によっていろいろな可能性が試されて、うまくいったものが、「料理」として独立していく。そういうことなのじゃないかと僕は思うのだよな。
だから鍋は、常に「鍋」としか呼ばれない。まあいろんな呼び名もあるけれど、少なくとも家でやる時には「鍋」としか呼ばないだろう。これは鍋というものが、料理になる以前のもの、「料理の原型」だということを、今に示すことなのじゃないかと思うのだな。
鍋というのは、世界が常に開かれていて、「どんなものを入れてもいい」し、またそこから「新たな発見を生み出す可能性」をはらんでいる。名前がない、一つに定められることがない存在だからこそ、いかようにも姿を変えることができるわけだ。
こんなに楽しいものはないじゃないか。
◎ スーパーへは、メニューをあまり決めすぎずに行くと楽しい
というわけで、昨日は冷蔵庫にこないだ買った鶏のもも肉が入っていたから、これを使って何か鍋を作ろうということだけ決めて、スーパーへ行ったのだ。
スーパーというのは、僕は間違いなく言えると思うことは、
「何の料理をつくるかを決めないで行くのが楽しい…」
あらかじめ何を作るかを、レシピを見たりして計画し、そのメモを見ながら食材を買い揃えるという考え方もあると思うけれども、それだと「新たな発見」というものはない。計画以上のことが起きることは、あんまりないわけだ。
でも何を作るかを、あまりちゃんと決めずにスーパーへ行くと、おいしそうな食材とか、食べてみたいと思う食材とかが、「おいでおいで」と手招きをするということがある。その声にしたがって食材を買い、料理を作ると、思ってもみなかったようなものが出来上がるということが、多々あるのだよな。
やはりそういうことが、「楽しさ」というものなんじゃないかと僕は思うがな。
まあそれで、鶏肉に、何の野菜を合わせようかを考えた。
家に玉ねぎとゴボウとニンジンと豆腐があるから、それは使う。タケノコの水煮が安く売っていたから、それも使うことにした。あとはシイタケ。それにうどん。
◎ 鍋はどんなやり方だって、自分の好きなように作ったらいいのだ
鍋の作り方など、どうやったってうまいのだ。だから怖れることなく、好きなようにやってみたらいいのだが、いちおう僕流のやり方。
フライパンに水を入れ、昆布をひたしておく。
僕は鍋も、ほとんどフライパンで作るのだけれど、男性の一食分には、まさにこれがちょうどいいと思う。女性にはちょっと大きすぎるかもしれないけれど。
土鍋を買ってもいいのだが、あれは意外に小さくて、一人用とかだとぜんぜん足りない。足りるだけの大きさにしようと思うと、ものすごく巨大になるから、置く場所に困ることになる。だったらフライパンとか、普通の片手鍋とか、そういうものを使った方がいいと僕は思う。
これを火にかけ、沸騰したら、まず肉を入れる。昆布はそのまま煮て、いっしょに食ってしまう。
ここで調味料を入れる。まず酒。これはかなりたっぷり入れる。酒をたっぷり入れれば入れるほど、鍋はおいしくなる。ただしもちろん、入れた分だけコストもかかる。
ちなみに酒は、「ミツカンの料理酒」とかの安いのじゃなく、「タカラの本料理清酒」か、いちばん安い日本酒を買って、それを使ってください。
みりん。ドボドボドボ…、というくらい。たくさん入れればこってりするし、ちょっとだけならあっさりする。これは完全に好み次第なのだ。
うす口しょうゆ。この量は重要。かならず味を見ながら、まずは「ちょっと甘めかな」くらいにしておく。煮上げる前にもう一度味を見て、そこで最終的に味をととのえる。
あとは煮えにくそうなものから順番に野菜を入れていく。
アクはまったく取らなくていい。肉のアクは、「汁がにごる」という、完全に見た目だけの問題で、味的には問題ない。アクを取ってしまうと、かえってコクが落ちることになる。
◎ いやこれは死にました
というわけで、これはあえて名前をつければ、「鶏のうどんすき」。
七味唐辛子と青ネギをふって食べる。
これがですねえ、死ぬほどうまかったんですねえ。
「シイタケ」を入れたのが大きかった。鶏肉と、玉ねぎとシイタケ。これは「黄金のトライアングル」ですな。だしがうまいのなんの。
シイタケはこれまで、あまり使ったことがなくて、キノコといえばシメジとかエノキとかばかり使っていたのだけれど、鶏肉にこんなに合うものだとは思わなかった。
酒は賀茂鶴、本醸造爽快辛口。いやこれも最高。