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2011-08-18

ラーメンになりきれなかったラーメンと、焼きそばになりきれなかった焼きそば

僕は一時毎日ラーメンを食っていた時期があって、有機野菜農家の嫁をしている妹に、「お兄ちゃんのブログは体に悪すぎてうちのホームページからはリンクできない」と言われたこともある。なぜそれだけラーメンにハマったかといえば、ラーメンほど多様性に満ちた食い物は、他にないからだ。

いやもちろんそもそも食い物自体が多様性に満ちたものであり、世界中に料理の数がどれほどあるのか、数えきれないほどだろう。日夜新たな料理が生み出され、作る人によったって、味はまったく違う。それはそうなのだ。

しかし「ラーメン」という同じ名前で括られるものが、これほどの種類があるというような食い物が他にあるのか。ラーメンは北海道から九州まで、ものすごく大雑把に系統を分けたとしても、まあ僕は数えたことはないんだが、100は超えるんじゃないか。京都にもはっきりと系統の違う、完全に独自と思われるラーメンが6種類はある。

他のどんな食い物を考えても、同じ一つの名前で呼ばれるものがそれだけの種類があることはないだろう。カレーでもハンバーグでも、どんなに多めに考えたって、10種類もあったらいいんじゃないか。あとの店による違いは、だいたい「うまいかまずいか」ということになってくるのであって、普通は「うまいもの」は、少数の味に収斂していくものだ。

ところがラーメンは、味がどこかに収斂してしまうことなく、発散しまくっている。京都には、「最高にうまいラーメン」が6種類あるということなのだ。6種類のラーメンに順位は付けられない。どれもうまいのだ。

だからラーメンを食べ歩きすると、おもしろくて仕方ない。地方地方で独自の考え方に基いたラーメンがあり、「なるほどこんな考え方があったのか」と膝を打つことも一度や二度じゃない。場末の小汚い店でおばちゃんが作るラーメンが、信じられないほどおいしかったりする。新しいラーメンは日夜開発され、おそらくまた今日も、どこかで新しいラーメンが誕生しようとしているかもしれない。こんなに可能性に満ちた食い物は、他にないと思うのだよな。

そうなってくると考えたくなるのは、なぜラーメンだけが、それほど可能性に満ちているのかということだ。ラーメンは他の食い物とどこが違うのか。それを何としても知りたい。そういう気持ちになってしまっても、無理はないというものだろう。

僕が今考えているのは、ラーメンがこれだけ新たな可能性を秘めているのは、
「ラーメンには正解がないからだ」
というものだ。ラーメンがその定義上、「正解が存在しない」ように規定されてしまっているため、いくらでも新しいものを生み出す力を得てしまったのじゃないかということだ。

何をもってラーメンと呼ぶかということは、すべてのラーメンに共通する性質を考えればわかってくると言えるだろう。まず中華麺が使われていること。これは原料は小麦で、それにかん水を使うということだよな。それから肉のだしであること。それからたぶんニンニクを使うこと。

そしてもう一つ、これが決定的だと僕は思うんだが、「甘くない」というのがあるんじゃないかということだ。

ラーメンの成立を歴史的に考えると、元々は戦前、「夜鳴きそば」のような形で屋台でほそぼそと営業していたラーメン屋が、戦後になり大きく発展していくことになる。それには中国から引き揚げてきた人たちがたくさんいたとか、日本人の嗜好の変化とか、色んな要因があるとは思うが、間違いのないことは、「日本そば・うどんとの熾烈な戦いに勝利した」ということだろう。

「汁に麺を入れて食う」というのは、元々日本そば・うどんが中心であったところ、ラーメンがそこに割り込み、強力な攻勢をかけていったということだ。今では主役の座はラーメンであり、日本そば・うどんは脇によった形になっている。

ラーメンが日本そば・うどんに打ち勝つためには、間違いなく、「日本そば・うどんと同じであってはいけない」ということが、絶対条件だっただろう。ラーメンが日本そば・うどんと同じだったら勝ち目がない。決定的に違わなければいけなかったはずだ。

それが「甘くない」ということだと思うのだよな。

日本のだしの特徴というのは、甘みを入れることだ。特に肉のだしが強く出てくる場合には、鴨南蛮を思い出せばわかるが、甘みを強くしてこってりさせる。これが日本人の味覚にとっての「正解」なのだと思うのだ。

ところがラーメンは、ある時点でこれを捨てたということだ。日本人にとっての大正解を捨てることにより、捨て身の勝負に出た。これがラーメンの今の地位を築くことになったのじゃないか。

そして同時に、大正解を捨てることにより、ラーメンは大きな可能性を得ることとなった。

正解があれば、皆いずれはその正解に収束していくことになるだろう。しかしラーメンは正解を捨ててしまったのだから、一点に収束しようがない。あらゆる味が、「おいしければアリ」ということになった。


とここまで異常に長い前置きをだらだらと書いてきたのだったが、昨日はまた家でラーメンを作ってみたということなのだ。


前日の鶏のうどんすきの残り汁があったから、要はそれにニンニクとショウガを足して、中華麺を入れてみた。

しかしこれが、やはり微妙にラーメンにはならなかったのだ。

うどんすきのだしには、当然みりんをけっこうたっぷり入れるわけで、甘いのだよな。それにいくらニンニクとショウガを入れても、やはりラーメンにはならないということがわかり、僕の「ラーメン甘み理論」は証明されたというわけだったのでした。ちゃんちゃん。


昨日は晩めしも、変なものを作ってしまった。

スーパーを歩いていたら、トマトを入れた焼きそばを作ってみたくなってしまったのだ。それで「ナスと豚のトマトソース焼きそば」を作ることにした。


オリーブオイルで豚コマ肉と細切りの玉ねぎ、そしてナスを鷹の爪といっしょに炒め、そこに焼きそば麺を入れてちょっと炒めて、缶詰のカットトマトを投入。チューブニンニクと塩コショウで味付けし、ちょっと炒めて出来上がり。

粉チーズと青ネギをふって食べてみたが、これは大変うまかったのだが、焼きそばでは全くなく、普通にパスタ。オリーブオイルを使った時点で、焼きそばとしては敗北してしまったということだ。

ちなみに焼きそば麺は2玉。やっぱ1玉じゃ足りんわ。