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2011-06-16

脱原発

このところ「脱原発」が、大きな盛り上がりを見せているわけだ。

先週土曜日には全国各地でデモがあって、それなりの人数が集まった。
それからイタリアの国民投票があって、94パーセントの支持で、原発が凍結されることになった。
菅首相も、先週の日曜日に、自然エネルギーについての懇談会で、孫正義氏らと語りあい、自然エネルギーの普及に意欲を見せるとともに、昨日は、自然エネルギー普及に必要な、電力の固定価格買い取り制度を義務付ける法案の成立に意欲を見せ、これを自身の退陣の条件とすると語った。
村上春樹氏も、スペインでのスピーチで、原発反対を表明し、またノーベル賞作家である大江健三郎氏や、瀬戸内寂聴氏らも立ち上がり、9月に東京で大規模な脱原発の集会と、1000万人を目標とした署名活動をはじめると発表した。

福島原発であれだけの事故があり、東京電力や経産省のなんとも情けない無責任体質を、国民は目の当たりにしてしまったのだから、これは当然の流れだ。
だいたいこれまで、原発推進に反対する者は、権力によって排除され、一切の意見が封じ込められてきたというのが、あまりに異常なことで、そうではなく、反対意見がきちんと俎上にのせられ、検討されなければいけないということは、言うまでもなく大切なことだ。

ということを踏まえた上で、それじゃあ僕自身の意見がどうなのかということを言うと、正直言うと、まだよくわからない、というところなのだよな。

国がこれまで、反対意見を封殺しながら原発を推進してきたことは間違っている。
これは僕もそう思う。
それから、そうやって、ひたすら原発推進ありきでやってきたために、原発の安全基準の審査などが、ほとんどお手盛りという状態になっていて、今浜岡原発以外の原発は、それほど危険はないと国は言っているけれど、それには大きな疑問がある、ほんとうに安全なのかをきちんと見直ししなければならない。
それもその通りだと思う。

ただ僕が疑問であり、自分自身がまだ、そのことについて結論を見いだせていないことが何かと言えば、原発を減らしていくということは、電気代が上がるということになるのじゃないのかということだ。

原発を止めると、その不足分を火力発電などで補わなければならなくなる。
そうすると当然、そのための燃料代が、何兆円と余分にかかってくるわけだ。
自然エネルギーと言ったって、すぐには稼動しないわけだから、その間何かでつながないといけないことは間違いない。
それに自然エネルギーの固定買取制度というのは、自然エネルギーに対して国が補助金を出すという意味だから、それだって当然電気代に転嫁されることになる。
実際原発をもっていないイタリアは、ヨーロッパでいちばん電気代が高く、また原発の利用率が低いドイツも、ほとんどの電気を原発によって発電しているフランスに比べたら、電気代は2倍なのだそうだ。

たとえば家庭の電気代が1,000円上がる。
これはまあ、それで安心が買えるのならと、許せる範囲にあるかもしれない。
孫正義氏などは、電気代は一時的に上がったとしても、その後は技術革新によって、自然エネルギーの発電単価も安くなると期待されるから、ちょっとのあいだ我慢すれば、そのあとはまた電気代も安くなるという。
それもその通りなのだろう。

でもたとえば、企業はどうなのだろう。
トヨタ自動車などの日本の企業は、今円高でただでさえも苦しんでいるというのに、さらに日本の電気代が上がるということになったら、日本国内での生産体制を維持できるのか。
国外に生産拠点を移すということになってしまうのじゃないのか。
一時的であるにせよ電気代が上がってしまって、それで企業が国外に出ていってしまったら、そのあと電気代が下がったって、企業は戻ってきはしない。
そうすると、日本の伝統的なモノづくりの文化は崩壊し、産業は空洞化し、大量の失業者が街にあふれるということになるのじゃないのか。
派遣切りとか言って、あれだけ問題になったけれども、企業が外へ出ていってしまったら、それどころの騒ぎじゃない。

ヨーロッパも、イタリアやドイツの脱原発の話ばかりが聞こえてくるが、ヨーロッパがみんながみんな、脱原発ではない。
フランスやイギリスは原発推進を堅持しているし、スウェーデンもいちどは脱原発を決めながら、改めて、原発を維持する政策に転換しようとしている。
アメリカ、ロシア、中国なども、もちろん原発は維持する考えだ。
そういう国は、基本的な考え方として、原発を利用した安い電気代で工業をガンガン回し、それによって高い経済水準を維持するということを考えているということなのだろう。
日本もこれまでは、そういう方向を進んできたわけだが、それではこれから、脱原発に舵を切るのだとしたら、そういう経済成長推進組からは、日本は脱落するということを意味するのじゃないのか。
経済は成長せず、失業者が街にあふれ、みんな貧乏して暮らす。
脱原発が待ち受けているのは、そういう未来なのじゃないのか。

僕が言いたいのは、べつにそれが悪いと言っているのじゃない。
そうでなくて、脱原発を口にする人たちが、そこまで考えてものを言っているのか、ということなのだ。
脱原発ということになる場合、日本はどうなるのか。
個人の生活はどうなるのか。
そして、それを日本国民は、本当に受け入れる覚悟があるのか。
それが全く問われずに、ただ脱原発と言うことは、これまで何も考えずに原発推進と言ってきたことと、それほど変わりがあることでもないのじゃないか。

脱原発を選ぶということは、これまでの言い方からすれば、日本は二流国になるということなのかもしれない。
しかしその時、いや、二流なんかじゃない、日本は一流なんだと、胸を張って言える何かを、日本人は持っているのか。
これまでの経済成長絶対主義にかわる、新しい価値観を日本人は持っているのか。
僕はそこのところが、まずちゃんと問われないといけないように思うのだがな。