「壬生寺」が家の近くにあって、新選組の屯所が近くにあった関係で、隊士が広い境内で稽古をしたり、また隊士の墓もあるというので有名で、僕も散歩の途中で立ち寄り、境内で体操したりしていたのだが、じつは平安時代の創建という、かなり歴史のある寺で、鎌倉時代からは「壬生狂言」が始まり、700年にわたって伝承されている。
壬生狂言の春の公開のとき、見に行こうと思ったがけっきょく行かず、そのままになっていたところに、このブログを通じて知り合いになった人から誘ってもらい、昨日、節分の公開を見に行った。
平日夜の8時ごろだが、境内と付近の道は、屋台と人でいっぱい。
観光客がどのくらいいたのかはよくわからなかったが、この節分のときに「ほうらく」という素焼きの皿に名前を書いて奉納すると、厄除けになるということで、地元の人は年中行事にしているらしい。
壬生狂言は境内にある、専用の狂言舞台で行われる。
鎌倉時代、壬生寺中興の祖である「円覚上人」が、一般大衆に仏教の教えを、わかりやすく伝えようとして始めた無言劇がその起源で、勧善懲悪、因果応報を旨としているが、江戸時代に入って、能や物語からも内容をとりいれ、大衆芸能としても発展してきた。
「壬生大念佛講」という、小学生から80歳の老人まで、40人の男性が、会社員や自営業など自分の本業のあいまに、稽古をし、舞台をつとめている。
狂言舞台は屋外にあり、寒風吹きすさぶなか、凍えながら見ないといけないということで、初めの10分か20分だけ見て、途中で退席しようと思っていたのだが、意外におもしろくて、けっきょく45分、最後まで見てしまった。
いちおうパンフレットは買ったが、僕はその場で読むわけでもなく、何の予備知識もなしに見たのだったが、まずは役者の格好がおもしろい。
登場人物はおかめとひょっとこ、それに鬼で、それぞれ面をかぶっていて、その面が、人間の特徴を極度に誇張した、異様なものであるうえに、とくにこのおかめが、着物を後ろ前に着て、黒い笠をかぶり、笠のうえには白い花が飾られているという、どこのちんどん屋かと思うような格好をしている。
着物を後ろ前に着ていることは、あまり着物を見慣れない僕は、しばらくしてやっと気付いたが、昔の人ならぱっと見て、すぐおかしいとわかり、ゲラゲラ笑ったことだろう。
これは言うまでもなく、劇を一般の人に、飽きずに見させるテクニックであったはずで、こういうセンスは、いまのマンガや、お笑い芸人の格好などと、共通するものを感じ、日本人の感覚というものは、数百年という期間のなかで、あまり変わっていないのだということを実感する。
じっさい京都の寺の、天井に描かれた狩野一派の龍の絵などは、ドラゴンボールを思わせるようなもので、これはもしかしたら、ドラゴンボールが昔の日本画を参考にしたのかもしれないが、そのドラゴンボールが、現代の日本人、いやそれだけでなく、世界中の人たちを、魅了しているのはまちがいないことなわけで、そういう現代日本の文化が、なにも今に始まったことではなく、じつはかなりの伝統を背景としているのかもしれないということは、なかなかおもしろいことだと思った。
話の筋立ては単純で、おかめは後家で、そこに鬼があらわれ、変装して素性をかくして、おかめを誘惑しようとするが、それに気付いたおかめが、最後は豆をまき、鬼を追っ払う。
鬼にむかって豆をまくおかめの姿は、スペシウム光線を発射するウルトラマンにそっくりで、これにて一件落着、観客は手をたたいて、狂言は終了となった。
凍えたからだを暖めるため、そこから近くにある、居酒屋「おくのと」へ。
この店は能登出身で、東京で修行したご主人が、このあたりで安く食べられる店としては、圧倒的にうまい魚を出す。
中央市場も近いから、近くには魚を出す店も多いのだが、ここのご主人は京都の市場では魚は買わず、能登から直送されるネタを使っていて、それがこのご主人のこだわりなのだ。
まずは当然熱燗。
それからおでん。
ちくわは入れたばかりみたいだったが、あとの玉子、大根、海老芋は、かつおのきいただしに、2日や3日、入れられたもので、芯まで味がしみている。
知人にのどぐろを奢ってもらった。
ふわふわで脂がのって、これはさすがにうまい。
あとは寿司。
手前のものは、脂がのって、大トロかと思うくらいの、ぶり。
それにまぐろのトロに、かじきまぐろ。
熱燗は2合ほど飲んで、満足して家に帰った。