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2010-07-13

なすニシン

今日のおばんざいシリーズ。なすニシン。身欠きニシンというのは京都の名物で、魚屋にもかならず置いてあるのだが、それとは別に「ソフトニシン」というものもあり、身欠きニシンより値段が安いし、また身欠きニシンは一度もどさないといけないのに対して、こちらはそのまま使えるというので、魚屋のおばちゃんはこちらをすすめてくる。半身で150円だから、まさに庶民の味方だな。

これをなすと炊き合わせようと思っていると、魚のおばちゃんに言ったら、やり方を教えてくれるのだが、これがまずニシンを炊いて、その汁を半分使い、ちょっと薄めて、それからなすを炊くという、いつものやつなのだ。僕は煮魚をするときに、大根やごぼうをいっしょに炊き合わせるというのは聞いたことあるが、わざわざあとから別に炊くというのは、京都に来て初めて聞くのだよな。じっさい魚屋のおばちゃんに限らず、最近行きつけのカフェのママも、角煮をするのに、例えば大根をいっしょに炊き合わせるのではなく、角煮を炊いたその汁を使って、あとからおからを炊いていた。

魚屋のおばちゃんに理由を聞くと、「いっしょに炊くと、なすが粉々になる」ということなのだが、今日僕は、我が家は鍋の個数に限りがあることもあり、こってりめの汁でニシンとなすとをいっしょに炊き合わせてみたが、べつに粉々にはならない。これは理由は、たぶん実際的なことではなく、心理的なことなのだと思うのだよな。

このことと似ていると僕が思うのが、日本では猫まんまをするのに、ご飯に味噌汁を入れるわけだが、それに対して韓国でクッパをするのに、汁物のほうにご飯を入れる。なぜこういうことが起きるかと僕なりに考えると、日本では食べ物のなかでご飯が主役なわけだが、韓国では汁物が主役だ、ということだと思うのだ。これは誰かに確かめたわけではないが、多分そうなのじゃないかと思う。あくまで主役の側に、添え物を入れるということになるのじゃないか。

京都では、やはり魚より、野菜が主役なのだと思うのだよな。主役である野菜を、魚の添え物のように扱って、いっしょに炊き合わせてしまうというのが、京都の人にとっては耐えられず、やはり野菜は野菜で、きちんとていねいに扱って料理したいと、そういうことなのじゃないかという気がする。だからこの場合、魚はだしとしての扱いをされていると、そういうことになるわけだ。

ソフトにしんは京都以外では売ってないかもしれないが、まずゆでこぼしてから使う。