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2012-08-24

とり塩焼きのナスグリルのせ

きょうの晩酌。







このところ僕はナスがラブになっていて、連日ナスが食べたくなってしまう。
昨日もブログにはニシンのことを色々書いたけれど、ニシンとナスの炊合せを作ろうとおもったのはナスが食べたいからだった。
体が自然に欲するものは体が必要としているものだと僕はおもっていて、自分がこれほどナスにラブなのはナスに何か栄養があるからだろうとネットを検索してみたけれど、ナスには取り立ててこれといった栄養はないそうだ。
ナスの青い皮に抗がん作用があるナスニンという成分があるそうだけれど、僕はナスを皮をむいて食べるのも好きだ。






ナスといえば「秋ナスは嫁に食わすな」という諺があるけれど、あれも不思議だ。
「旬のナスを嫁に食わすのはもったいない」という嫁いびりの意味だという説と、「ナスは体を冷やすから女性によくない」という説があるそうだけれど、べつにうまいものは他にいくらでもあるのだから、それがなぜナスでなくてはいけないのかわからないし、女性一般によくないのならなぜわざわざ嫁が登場するのかもわからない。
ただこの諺から、ナスは放っておくと嫁がラブになってしまうものだという意味合いは感じられる。
また姑は、それを苦々しくおもうものだということもわかる。






自分がなぜこれほどナスを食べたいとおもうのか考えてみるに、ナスはその時の自分の「食べたい」気持ちに合わせて如何様にも姿を変えてくることがあるとおもえる。
さっぱりとしたものが食べたいとおもえば塩もみがうまいし、こってりとしたものがいいとおもえば油を使うとトロトロになる。
しっとりしたものが食べたいとおもえば蒸したり焼いたりすればいいし、さっくりとしたものがよければグリル焼きもいい。
おなじものが別物かとおもうくらい姿を変えて自分に合わせてくるものだから、ついかわいくなり、「明日もまた食べたい」とおもうことになる。






ところがナスは、協調性があるのかといえばそうではない。
強いアクがあるから他の野菜と炊き合わせるのにはまず向かないし、炒め合わせるのも合うのはピーマンとトマトくらいだ。
肉に合うのはいいとして、魚はニシンくらいしか合うのがない。
ネギのようにどんな材料にもうまく合わせ、アシストしてくるのとはえらいちがいだ。






ところでこの、相手の気持にピタリと合わせ、それでいてアクがあり、さらに栄養がなくて役に立たないというナスの特徴は、女たらしの男とおなじではないか。
女たらしの男が自分を捨て、女性の気持ちにピタリと合わせるのに長けているのは当然だ。
しかしそれを誰にでもしているように見えると、ただお調子者とおもわれるだけで、アクが強くて孤高をたもっているように見えるほうが、「自分だけに」とおもってもらえる。
さらに役に立たないのは、「打算がない」と映ることもある。





そう考えると姑が嫁がナスを好むのを苦々しくおもうのは、ナスを好む嫁の気持ちによくないものを感じるからではないのか。
嫁がナスを好んでいると、その気持が、そのうち悪い男に引っかかる元となってしまうかもしれない。
だから嫁には、ナスを好むような気持ちを持たせないことが大切だ。
そう深読みすれば、「秋ナスは嫁に食わすな」も納得できるような気がする今日この頃。






というわけで、きょうのナスはとり肉と合わせることにした。
とり肉とは、ナスを炒めても、蒸してもうまいけれど、きょうはさっくりとグリル焼き。
皮をパリッと焼き上げたとりもも肉に、グリル焼きにしたナスをのせ、削りぶしとポン酢をかける。






両面に軽く塩をふったとりもも肉を、皮目から、フタをせず中火でこんがりと焼き上げる。







ナスは5ミリくらいの厚さに切って、焼き網で焼く。






とり肉の上にナスをのせ、削りぶしとポン酢をかける・・・。
つもりだったけど、酒を飲みながら料理してしまったために、削りぶしをかけるの忘れた。






「さっくりとしたもの同士もまたいいね」
削りぶしがあったらもっとうまかったよ。






八百屋へ行ったらジャンボキュウリを発見。
これで100円。






八百屋のご主人に聞いた通り、皮をむいて厚めに切り、吸物の出しで炊いてトロミをつける。
ショウガをのせると、癒される味。






みょうがの冷奴。
みょうがはタテに切ると、液体をかけてもシャッキリとしたままになる。






焼酎水割り、作る時から飲みはじめたら、ちょっと飲み過ぎ。