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2012-08-19

ナスチャンプルーⅡ

昨日の晩酌は・・・。
おとといナスチャンプルーをやってみて、イマイチ感動がなかったのは、豚肉を入れたせいではなかったかと考えた。
ナスチャンプルーを作ったのは、その前の日に豆腐とナスの取り合わせがやわらかいもの同士ですごくいいと思ったからなのだけれど、豚肉を入れてしまうと豚肉が主役になってしまい、どうしても豆腐が脇役になってしまう。
そこで昨日は豚肉を入れずに、高菜とちりめんじゃこで味出しをしてみたというわけ。
あとは鷹の爪を入れ、ピリ辛味もつけることにした。






まずはサラダ油で、水抜きをして手でちぎった豆腐を、ちょっと焦げ目がつく程度まで炒める。







次にナスを、縦半分に切って3~5ミリ程度の幅に切り、塩ほんのひとつまみをふってゴマ油でしんなりするまで炒める。
火加減はぜんぶ強火。






ゴマ油でちりめんじゃこと鷹の爪、高菜を炒めたら、豆腐とナスをもどし入れ、しょうゆをまわし入れて全体にからめ付け、すりごまをふる。





ナスチャンプルーⅡ。







これはうまい。
やはり肉が入っていないほうが、豆腐とナスの味が引き立つ。






チェブラーシカ、うまいだろう。
「そんな聞き方されたらまずいって言えないじゃないか」






ソフトニシンのかば焼きも作った。
ソフトニシンをフライパンでこんがり焼き、酒と砂糖大さじ1、みりんとしょうゆ大さじ2のタレをまわし入れて煮詰めてからめ付ける。






みょうがは八百屋のおじいさんに食べ方を聞いたら、タテにうすく切って二杯酢に鷹の爪をちょっと入れたらうまいとのことだった。
ただ鷹の爪はナスチャンプルーに使ったから、こちらは削り節。
タテに切ると、液体をかけてもみょうがのシャキシャキ感が最後まで残ることを、昨日はじめて発見。






日本の政治についての話は、偉い人たちが自分の利益のことしか考えず、身勝手なことばかりをしているということしかもう聞かなくなっているけれど、国民が実効的に権力を行使できるのは選挙しかないのだから、まずはきちんと投票するのが、国民として最低限しなくちゃいけないことなのだとは思う。
原子力発電所の即時停止に同意しない国会議員を落選させるための市民運動も、始まっていると聞く。
ただもちろん、それは悪くないことだと思うけれど、国会議員を落選させて、それでは誰を当選させたらいいのかということについて、良さそうな人が見当たらないというのが、今の日本の最大の問題なのではないかと僕は思う。
色々な思惑がうごめいているようだけれども、その人たちもまた自分の利益しか考えず、これまでの人たちとそう大してちがわないように僕には見える。






今の人たちに良さそうな人が見当たらないのならどうしたらいいのかといえば、次の世代に期待するしかない。
日本はだから、これからますます悪くなっていくと僕は思うけれども、今僕たちが、次の世代に何を伝えていけるかで、将来の日本がどうなるかが決まるのだと思う。






それでは自分なら、次の世代に何を伝えたいのかといえば、これはちょっと、手前味噌な話になりはするのだけれど、「男性も料理をしよう」ということなのだな。
僕は今の日本の根本的な問題は、男性が料理に興味を持たないということに象徴的に現れているのだと思える。






僕の前の世代は完全にそうだったし、僕の世代でも多くの人が、男性は外で仕事をし、女性は家で仕事をするのが当たり前な役割分担だと思っていると思う。
女性が続々と社会進出を果たし、女性もかならずしも家で仕事していなければいけないというものではなくなりつつあるけれど、それでは対する男性が、家の仕事に目を向けているかといえば、まだ全体として見れば、そうとは言えないのだと思う。
男性が、自分の役割分担が外で仕事することだと認識すると、仕事が生活のすべてだと思うことにつながっていく。
そこに今の日本のまちがいの根源があるように思える。






生活とは、やはり誰にとっても、自分が心地よく過ごすことが目的になると思う。
あまり堅いことを言わず、お互いケンカせず仲良くやることが、心地よく生活していくためには大切だ。
しかし本来、仕事はそうであってはいけない。
仕事は「やらなければいけないこと」を果たす場であり、それが曖昧になってしまうと仕事は成り立たない。
他人とケンカしてでも、守らなければいけないことが、仕事にはあると思う。






今の政治家や官僚、財界の人たちが、自分の利益を守るために、本来そうであるべきことを片っ端からねじ曲げて、曖昧にしてしまっている姿を見ると、僕は「あの人たちは仕事が生活のすべてになってしまっている」と思える。
仕事が役割を果たすことでなく、自分が心地よく過ごすことが目的になってしまっているから、あのようなことになってしまっているのだと思う。
もし日本を変えるのなら、そこが変わらなければいけないと、僕は思う。
「仕事があくまで生活の一部だ」と、男性が思えるようにならなければ、僕は日本はこれから先も永久に、仕事に居心地のよさを求める人に支配され続けることになるのだと思う。






生活の中心は、食べることだ。
だから生活に関心をもつことは、食べることに関心を持つことだ。
そして食べることの中心に、料理がある。
だから男性が料理に関心をもつことは、日本を変えていくことになると僕は思っている。






といってもちろん、「そうでなければならない」と言われて、人間は何かにそうそう関心を持てるものではないと思う。
何かに関心を持つのは、それが「おもしろい」と思えるからだ。
しかし食べることは、人間の欲望の中心にあることだから、料理は人類が100万年にわたり、数えきれないほどたくさんの人の手によって、膨大な知識が蓄積され、そして現在も、その知識は新たに積み重ねられていっている。
料理こそが、人類にとって最大の文化であるといってもいいのではないかと僕は思う。






だから僕がこうして自分の作ったヘボい料理を公開しながら、自分がおもしろいと思ったことを書きつづっていくことは、もしそれによって次の世代の男性が少しでも、文化としての料理の幅広さや奥深さに気付いてくれることがあったとすれば、微力ながらも日本を変えていくことにつながるのかなと思う。
まあもちろん、僕は日本を変えるためにこのブログをやっているわけではないけれど。