中国といえば聞こえてくるのは、毒入りギョウザやら、野菜の農薬やら、うなぎも危ないらしいとか、四川の地震は本当の被害の様子が海外に伝わらないようにしているとか、環境汚染がひどいらしいとか、政治的に自由がなく、Webの検索エンジンでも都合の悪いことは検索されないようにしているとか、拝金主義が蔓延して、官僚の腐敗もすごいらしいとか、耳を疑うようなことばかりである。経済は急速に成長し、今年はオリンピックも開催されるが、実態はひどいらしい。共産主義と社会主義の違いもよく分からないぼくなのだが、中国が実際どうなっているのか、勉強してみたいと思い、週刊文春で立花隆も推薦していたこの本を買ってみた。
著者は元共同通信北京支局長、長く中国にいて、論説委員長などを歴任、産経新聞にうつり、現在は中国総局長兼論説委員。中国についてのエキスパートだろう。
この本は2007年の2月から7月まで、産経新聞に連載された記事をまとめたもの。単行本だけで800冊と書いてあったが、膨大な資料、しかもほとんどはもちろん中国語、を読み込みまとめた労作だ。
中国というと好きと嫌いにはっきり分かれるところがあるような気がするが、この本はわりと中立的な立場で書かれているのではないかと思う。
下巻の最後に、これはアメリカに住む中国人の何清漣という人が中国の今を書いているのだが、これがほんとにすごい。中国政府はすでに徹底した「盗賊型政権」になってしまっているという。
儲けの大きな業種、たとえば鉱産物の採掘などの許可証は、たちまち役人が私利をはかる手段となる。そのために鉱山の事故によって死傷する労働者の数は世界最悪、たとえば中国は石炭の生産量は世界の35%だが、炭鉱事故の死亡者数は世界の80%、毎日15人が死に、これは南アフリカの30倍、アメリカの100倍。
土地の取引においての不正もはげしく、政府は権力を盾に低価格で庶民から土地を譲渡させ、高価格で不動産デベロッパーに売り、暴利を得ている。この10年で6千万人の農民が土地を失い、400万人の都市住民が自宅を追われた。
住民を立ち退きさせるため、地方政府がマフィアを雇い、立ち退きに反対する者にたいして暴力を加えている。
国有企業の私有化においても、改革の機を借りて国有資産を横領、着服、私物化しており、1万407名が処罰された。90年代以降、国有資産は一日平均1億3000万元以上、じつに20億円が流出している。
このように特権階級が私腹を肥やすことに熱中したことで、貧富の格差ははげしく広がり、中国では総世帯数の0.4%が総資産の70%を保有している。先進国では5%が50~60%を保有するのが標準。
2億人の農民は、仕事も農地もなく、行くあてもない。
医療保険に加入しているのは、都市では人口の20%未満、農村だと10%未満。医療費総額にたいする政府の支出は、17.5%。これは先進国では普通、73%くらい、発展途上国でも57~59.5%。
高等教育にかかるお金は、国際的な基準では一人あたり平均GDPの20%のところ、中国では70~100%。
大気と水の汚染による損失額は、GDPの8%、環境汚染と生態系破壊による損失額は、GDPの15%に達し、1億8000万人が環境破壊難民となっている。
長江保護5千キロ調査活動で、長江水系はかなりの危機に陥っており、早急に対策を講じなければ、10年位以内に生態系は崩壊の危機に瀕するだろうと指摘。
いやいやいや、なんともすごい。完全にめちゃくちゃである。これが、鄧小平が経済改革を行ったこの20年のあいだに起こっていることなのである。
鄧小平は三回失脚して、三回とも復活した。中国には選挙がない。共産主義とはそういうことなのだろう。もともとは毛沢東が革命を主導し、農民や労働者を蜂起させ、政権をにぎった。中国共産党は独裁政治をおこない、毛沢東の権威は絶対となった。
プロレタリア独裁というそうだが、労働者階級の代表である共産党が独裁政治を行うのだから、形式的に選挙はあるが、けっきょくは資本家によって支配される民主主義より、よほど民主的だ、ということだそうだ。
選挙がないから、すべての人事は、毛沢東の意向にそって決められる。周りの人間は、毛の意向を左右しようと、壮絶な権力闘争を展開する。この本にはその様子が詳しく書いてある。読んでいて正直気持ち悪くなる。
鄧小平が三度目に復活したとき、毛沢東は亡くなっていた。当時の火急の課題は、経済の建て直しだった。三度目に失脚して鄧が飛ばされた先の村には、家にラジオすらなかったそうだ。
共産主義は、資本家が悪の根源だと考えるわけなので、資本の個人所有を認めない。しかし働いてもそれが自分の稼ぎにならないとなると、労働者や農民はやる気が出ない。そこで初めは経済特区という場所を決め、そこでは資本の個人所有を認め、自由に経済活動をさせるというようにした。そしてそれを徐々に広げて、今は中国全体でそうなっているのだと思う。
また海外からの資本を積極的に受け入れ、技術を導入し、経済成長を加速させるようにした。
鄧はそうしてまず一部の人たちが豊かになり、そのあと、その人たちの主導によって全体が豊かになっていく、そういう道筋を思い描いた。しかし実際はそうはならなかった。経済格差はほとんど極限にまで達してしまっている。
その理由ははっきりしている。鄧は経済改革はおこなったが、政治を改革し、中国を民主化することは頑として拒み、共産党の独裁政治を堅持したからだ。
民主化の契機はあった。それが天安門事件だった。学生を中心として労働者や知識階級まで加わって、中国の民主化を求めた。当時の総書記であった趙紫陽もその動きに理解をしめした。しかし鄧小平はそれを、戦車によって弾圧した。趙紫陽は失脚した。数百人が死亡した。
歴史にもしはない、というが、もしあのとき、鄧小平が民主化にむけ一歩を踏み出すことができたら、事態は違ったのだろう。実際台湾では、もともと蒋介石の国民党が一党独裁をしていたが、李登輝が政党の結成を自由化し、民進党ができ、総裁も選挙で選ぶように改革した。おかげで台湾は経済成長が進むとともに、国民の生活も豊かになってきている。
天安門事件の当時、ちょうどソ連の崩壊があった。東欧の自由化もあった。共産党はなくなり、独裁者が死刑になったりもした。失脚のつらさを骨身にしみて知っている鄧小平は、恐ろしくて、どうしても一歩を踏み出せなかったのだろう。
独裁政治とは何かといえば、自分はソファにどっかりと腰をおろし、その自分が常に安定した状態になるように、まわりを動かすことなのだと思う。自分自身の内側にのみ世界が存在すると仮定し、その内側の世界がつねに心地よい状態に保たれるよう、調整する。
鄧小平が最後までその心地よさを手放さなかったため、中国の役人はみな、同じように、国のためではなく、自分のために行動するようになってしまったのだろう。
中国はこれからどうなるのだろう。国民の不満は、頂点に達しようとしているのだろう。オリンピックはそれを少しでも収めることができるのだろうか。
万一中国が破綻するようなことがあれば、日本や世界にたいする影響は計り知れない。恐ろしい時代になったものだ。