先日、日頃からお世話になっている人のところへ行って、原発・エネルギー問題について取り組んでみたいということを相談したのだ。
僕の気持ちは、先週金曜にソフトバンクの孫さんが、記者会見で話していたこと
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とほぼ同じで、もしかしたらこれは、日本人の多くがやはり同じように感じていることなのかもしれないと思ったりするのだけれど、今回の震災と福島原発の事故を経て、これからの日本を考えていこうとするとき、最大の問題は、日本にはいま、全国で50基をこえる原子力発電所があって、その多くが活断層の真上だとか、また津波の被害をいとも簡単にうける沿岸地域にあり、しかも、日本で大地震が発生する可能性は、かなり高まっているのであって、それをなんとかしないと、今回の福島原発の事故が、これからもふたたび起こるかもしれない、ということ。これまで僕は、原発の問題にはまったく関心をもたずに、ずっと過ごしてきてしまったわけなのだが、たぶん多くの日本人もそうであって、そのことが、政府やお役所、電力会社が好き放題にすることを許し、地震列島である日本に原発を林立させ、しかもそれらの安全対策や、万が一の危機のときのための対策が、十分ではないままに放置されてきたということを生み出してきてしまっている。であるとするならば、これからいちばん大切なことは、原発やエネルギーのことに、国民がきちんと「関心をもつ」ことであり、自分はそのために、何か役に立つことがしたい。
孫さんは、それではそこで、具体的にどうするのかということについて、解は「自然エネルギーの導入と拡大である」と思い定めて、「自然エネルギー財団」を設立し、そこで専門家に自然エネルギーの研究をさせて、国民の議論のきっかけにしたいという道を選んだ。僕は、それとはすこし違うが、やはり団体を立ち上げて、ひとりでも多くの人が、それはもちろん、何よりも「自分もふくめて」なのだけれど、この問題に関心を持ちつづけるということの、足しになることがしたいと思っている。
そういう話を、僕は先日したのだけれど、そうしたらその人は、「いま原発やエネルギー問題についての団体が、どのくらいあるのか知っているのか」と。いや僕は、だいたいこの問題について関心をもったのがつい最近だから、それは全然知らないのだけれど、そしたら推進派のものも、また反対派のものも、ものすごい数なのだそうだ。あなたがやろうとしていることが、ほかに誰もやったことがないことなら、ともかくとしても、これだけの数の人たちがやっているところへ、あなたがひとりで何かをやろうとしたって、大したことは何もできるわけがない。だから、まずは今やっている人たちが何を言っているのかをきちんと勉強して、さらにそのどこかの団体のなかに入って、その人たちと一緒にやるということを考えなさい、という助言をもらった。
それで、「この人はいい」という人を教えてもらって、その人は、すでに亡くなってしまったのだけれど、その人の書いた本を注文し、またその人の設立した団体のホームページを見て、勉強するということを始めているわけだ。
それはいわゆる「反原発」の団体で、「日本で最大」なのだそうだけれども、テレビや新聞などで報道されることは全くないし、最近僕はツイッターなどをマメにフォローしているのだけれど、そこでも引っかかってこない。こないだ渋谷でデモが行われて、僕は事前にまったく情報をキャッチしていなかったので、どこが主催したのだろうと思っていたら、その団体だったということらしい。坂本龍一ほかの著名人も多数参加したのだそうだから、もうその団体の存在は、当たり前のようになっているということなのだろうな。その団体は、震災があってから、ツイッターやユーチューブのアカウントも取得して、情報発信を活発に始めたみたいで、今回の震災についての見解や、原発についての基本的な事柄についての動画も置いてあったりして、とても参考になる。連休中はそういうものや、その創始者の本を読んで、勉強したいと思っている。
僕はもちろん、まだ勉強を始めたばかりだから、その内容について、どうこう言えるだけのものを持っているわけではないのだけれど、でもやはり、そういうものを見ながら、「自分のやりたいこと」がはっきりしてくるということはある。
「推進派」というものが、国民にたいして情報を隠して、都合のいいことだけを言って、とにかく物事を推し進めようとするわけだから、それにたいして「反対派」は当然、それを糾弾し、隠された情報を公けにするということに、力を注ぐことになるわけだ。それについて、否定するものではもちろんないし、実際そこで得られる情報は、これまで「まさに知りたかった」というものだったりして、役に立つものが多い。
でも僕が、原発にたいする「反対運動」をしたいのかと言えば、それはまだ、よくわからないのだな。
もう一方で孫さんは、反対運動ではなく、具体的な解決策としての「自然エネルギー」というところに注目し、それを推し進めるというところに、自分の力を注ぐ決断をしたわけだけれども、それでは僕がやりたいことがそこなのかということも、今はまだ、どうも違うような気がする。
それは単に、僕の知識が足りなくて、世の中の切迫した状況をわかっていないだけだ、といえば、たしかにその通りであり、推進派が権力をフルに活用して、物事をゴリ押ししてくるのだから、それにたいしてきちんと反対しなければいけない、ということについて、僕は異を唱えるものではないし、それが実際に必要なものであるということについて、十分認めるのだけれど、それをカジりはじめた今の段階の感覚でいえば、僕自身はまだ、そこに力を注ぐということについてはためらいがある。
「知識」というものは、それを推進する側のものであっても、反対する側のものであっても、明確になっていけばいくほど、同時に何かを「切り落として」いかざるを得ない性質をもつものだと思うのだよな。
典型的な例が、今回の震災における「死者数」とか「行方不明者数」だ。
朝日新聞によれば、昨日の時点で、震災の死者は1万4508人、不明は1万1452人ということになっている。これにもちろん嘘はないのだけれど、この数字はあくまで、「確認されたもの」なのであって、死者は遺体として確認された人の数、不明は家族などから警察に、行方不明であるとして届け出があった人の数、ということであり、実はその背後に、遺体として確認されてもおらず、家族からも届け出がない、「本当の不明者」という人が、どのくらいいるのかわからない、というのが実態だ。集落ごと流され、そのまま海へ持っていかれてしまったという人たちも、膨大な数に上るはずで、それはこの数字には入っていない。なぜならば、数字というものはあくまで、その性質上、確認されたもの以外のものを示すことができないからだ。
しかし今回の震災の被害の実態というものを、正確につかむためには、この、勘定に入れられていない、死者・不明者の数というものを考え合わせることが絶対に必要で、そのために必要なものは、すくなくとも報道機関の人間などではない、一般の市民にとっては、情報ではなく、「想像力」だ。
この想像力というものは、勉強によるものというよりも、「生活実感」のなかで生み出されるものではないだろうか。今おそらく、放射能についていちばん不安に思っているのは、小さな子どもをもったお母さんだったりするだろう。そういう人たちが、子供を2人も3人もかかえて、渋谷のデモに参加できるのかといえば、おそらくそれは、なかなか難しい。でもそういう人たちというのは、「自然」そのものである小さな子供を目の前にして、もっとも生活実感にあふれた人たちであると言うこともできるかもしれない。そういう人たちだからこそ、逆に見えてくるというものがあるはずなのであり、僕がやりたいのは、そういう人たちとのあいだに、連帯をつくることなのじゃないかと、今の段階では思ったりする。
まあ、もう少し勉強して、色々考えますが。
昨日の昼は、「ikoi cafe」で週刊文春。ランチは「フーチャンプルー」というもので、沖縄のお麩を、肉や野菜といっしょに炒めたもの。けっこううまかった。
晩酌は、豚コマ肉と水菜の常夜鍋。豚コマ肉は、グルメシティで買ったのだが、やはりこれは、西友のものよりだいぶうまい。グルメシティの豚コマ肉は「京都産」となっているのだけれど、これは京都の豚肉がうまいということなのかな。
酒は「浦霞」。昨日でこれは飲み切ったが、一見してすっきりとした飲み口なのにもかかわらず、その背後に、コクとか、酸味とか、いろんな複雑なものの味わいを感じさせる酒で、ほんとにうまい。