まあしかし、僕も会社に24年勤めて、会社というものがどういう場所か、つくづくわかったのであって、僕はこれからは、会社というものに自分の人生を賭けるつもりはサラサラない。自分が人生においてやりたいことは、会社とは別にあるのであって、いずれは自分がやりたいことをやり、それが自分の生活をまかなうための元手にもなったらいいとは思っているが、なかなかそういうわけにもいかないから、会社にたいして、自分の能力を切り売りするということになるわけだ。だからべつに就職を断られたからといって、自分の人間性そのものが否定されているというわけではないのだから、まあもちろん、気持ちをいれて臨んだのにもかかわらず、断られるということは、多分にがっかりするところではあるけれど、落ち込む必要もないのである。
それにだいたい、すべからく商品というものは、「まさに今、それを必要としている」人が買うものであって、どんなにすぐれた商品であっても、タイミングや必要性が合わなければ、それが買われることはない。自分の商品価値をどれだけ高めるかということも、もちろん大事なことなのだけれど、それと同じくらいか、もしかしたらそれ以上に重要なことは、「断られても落ち込まない」ことなのだと思う。
「いま自分を必要としている人」は、その可能性の高低はあるにせよ、かならず一定の割合で存在するのであって、そういう人に出会うためには、どうしたってある一定の人数の人に会わなければいけない。世の中には悪い人もいるから、傷つくようなことを言われたりすることもあるわけだけれど、ダメだったばあいにはあくまで「縁がなかった」と思ってあきらめ、気持ちを切り替えつぎに臨むというのが大切なのだと思う。
中年のご主人が再就職をしようとがんばっているばあい、僕はおなじ立場にある者として、奥さんにたいして、「ご主人にこう接してあげてほしい」とおもうところがあるとすると、とにかく断られても、それにたいして同情したり、いっしょに落ち込んだりせず、むしろ「100社と面接する」くらいの大きな目標をかかげ、それを応援し、励ましてあげることなのではないかという気がする。だいたい自分と気が合う人の割合などというものは、それほど多いわけがないのであって、100人くらいの面接官と会おうとしていれば、その前に決まるのじゃないかとおもったりする。
あともう一つは、あまり失敗の原因を分析しないこと。原因などなく、単に「いま必要ではない」という理由で断られていることが多いのだ。失敗の原因など分析すると、かえって萎縮してしまって、うまくいくものもいかなくなる。
「ありのままの自分を、100人に向かって出す」つもりで面接を重ねるうちに、面接のコツも徐々に飲み込めてきて、うまくできるようにもなっていったりするものではないかとおもう。
最近グルメシティには「アジ」が安く出ていて、特売だとでっかいのが1匹100円くらいで売っていたりするわけなのだが、アジといえばどうしたって「塩焼き」なわけで、ところが僕は非力なIHレンジでフライパンを使って焼かないといけないので、大きなアジがうまく焼けるような気がせず、これまで敬遠していたのだ。でもさすがに旬のものを、ぜんぜん食べないというのも口惜しいので、昨日は数時間前に塩をふったり、フライパンのフタをせずにやったり、いろいろ工夫してやってみたのだったけれど、結果は失敗。水っぽくなるのを避けようと思ったのだが、逆にパサパサになってしまった。
というかだいたい、IHレンジの火力が小さすぎるのだ。最強にしても、ガスレンジでいうと中火くらいで、しかもそれがしばらくすると、何か高温防止の装置でもついているのか、知らないうちに止まってしまう。カセットコンロを使うという手もあるのだが、そこまでするのもバカバカしいので、もう家でおいしいアジの塩焼きを食べることは、あきらめることにした。
あとはネギ入りの湯豆腐。
酒は「奥の松」の本醸造。
昼めしは、「アサリのぶっかけめし」。
今まで汁をこってりめにして、それを牛丼の「つゆだく」ぐらいの加減でかけていたのだけれど、今日はもっとだしをきかせてうす味で味付けし、「クッパ」的にドバッとぶっかけてみた。このほうがいいな。