今日の晩酌は・・・。
レタスがまだまるまる1玉残っていたので、どうしようかと思ったけれど、豚肉と炒めることにした。レタスを炒めたことはまだないのだけれど、おいしいという話は聞いている。味付けをずいぶん迷ったけれど、豚肉に合うピリ辛のみそ味でいくことにした。
レタスは山盛り。
これが一人で食べきれるのか。
サラダ油で豚肉を炒める。
小さく切った鷹の爪をさっと炒めて、みそダレを入れる。
みそダレの分量は、みそ大さじ2、砂糖とみりん、酒を大さじ1。
しめじをくわえてさっと炒めたら、レタスを投入。
炒めているうちに、レタスのカサはグイグイ減っていく。
塩で味をととのえ、水溶き片栗粉でトロミをつける。
最後にゴマ油を一たらししたら出来あがり。
量的には1人前レタス1玉でまったく問題なかった。
しんなりとして味がしみながらも、シャキシャキ感が残ったレタス。
あとはアサリの酒蒸し。
砂出ししたアサリを水と酒大さじ2、うすくちしょうゆ小さじ1くらいの汁で殻がひらくまで煮る。
厚揚げの焼いたの。
中火にかけたフライパンで厚揚げをかるく焦げ目がつくまで焼き、ショウガに青ねぎ、しょうゆで食べる。
カブの浅漬け。
ショウガにポン酢。
「恋はつらいから楽しい」ということ、コメントをくれた人の真意は詳しくはわからないけれど、聞いた瞬間にいいことばだと思った。
ふつうならば、
「恋はつらいこともあるけれど、思いが遂げられれば楽しい」
となるところだと思う。
ところがこのことばは、つらさそのものに楽しさを見つけるものになっている。
つらさを伴うものは、世の中にはたくさんある。
運動や学業、楽器などの芸事、それにたぶん料理も・・・。
どれも練習や勉強、作業などの前段階があり、それは特にやり始めのまだ慣れない時期にはつらいことが多い。
そのつらさはふつう、耐えてがんばれば、試合や人生、演奏会、食卓などでいいことがあると捉えられていると思う。
でもたとえば運動選手なら、試合の時間はほんのわずかで、自分の選手生活のほとんどの時間を練習にあてているのではないか。
であったとすると、もし練習がただつらいものであったとしたら、それを延々とつづけることに耐えきれないだろう。
つらさの中に楽しさがある。
それを見つけているからこそ、つらい練習を黙々とつづけていけるものなのではないかと思う。
それでは恋のつらさの中にある楽しさとはどんなものなのか、僕にはまだよくわからないという話をしていたら、知人が郷ひろみの歌をひいた。
「『逢えない時間が愛育てる』というじゃないですか・・・」
恋のつらさの中に見えてくる楽しさが、愛なのだという。
恋のつらさに耐えるうち、その恋は愛に変わると知人は言う・・・。
「いろいろ考えながらつらさに耐えているんだね」
まそういうことだ。