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2010-10-13

依存症

僕はもともと、ものごとにハマりやすい性格で、何かがいいと思うと、その善悪を問わず、ひたすらやり続けてしまうという癖があるのだ。
典型的なのがテレビで、一度点けたら、もう消せない。
しかもニュースとか、ドキュメントとか、多少は有意義そうな番組を見るのではなく、むしろそういうものはできるだけ見ないようにして、お笑い番組とか、バラエティーとか、そういうくだらないものばかり見てしまう。
10時間くらい延々とテレビの前で、ほとんど廃人のように動かず、見続けてしまうということも多かったので、さすがにこれでは生活に支障をきたすと考え、数年前、引越しを機に、テレビは捨ててしまい、今は自宅にテレビを置いていない。
まあテレビなんかなくても、生活の上では全く問題なく、言うまでもなくテレビ以外のことに時間を使えるようになるのだから、そのほうがいいわけなのだが。

京都へ来て、またいろいろハマっているものがあって、ラーメン屋である新福菜館三条店には、週に一度は行かないと、もうどうにも我慢ができないことになっているし、近所の喫茶店にも、週に何遍も行くし、この頃はサウナ、さすがに毎日行くのはやめようとは思っているが、このところ一日置きに行ってしまっている。
買い物も、今はスーパーマツモト以外の店では、買う気にならない。
僕はとくにハマりやすいということであるにしても、人間というものが根本的には、かくも何かに依存しやすい存在であるということは、あるのだと思う。

しかし最近では、これに「依存症」という名前をつけ、病気として取り扱うということにしてしまっているわけだ。
もちろんこれは程度の問題ではあって、生活に支障をきたすくらい、それをやり続けてしまうということになって、初めて依存症ということにはなるのであって、だから僕がテレビにハマっていたのは、たしかに依存症だが、新福菜館やサウナにハマっているのは、べつに依存症ではないと、そういうことになるのだろう。
であるにしても、僕がテレビを見るのも、新福菜館へ行くのも、同じ心の動きの表れであって、それが行き過ぎると病気であるとすることは、人をして、「依存」ということそのものを、悪であるとみなす風潮を、つくり上げるということがあるのじゃないかという気がする。

そもそも人間は、何かに依存しなければ生きていけないのに、その心の動きが、病気になる第一歩であるということになれば、それならそれは、しないでおこう、と思うことにもなるだろう。
そうやって、人間の自然な性向を、自ら封じてしまうということが、より多くの、何か別の不都合を、生み出しているということがあるのじゃないかと思うのだがな。

現在の、タバコを悪とし、これを撲滅しようとする風潮、元凶は、WHO、世界保健機関であることが解った。
タバコの規制に関する世界保健機関枠組条約」というものが、2003年にWHOの総会で採択され、日本をはじめ各国がそれを承認し、タバコに有害の表示が書かれるようになったなどということもそのひとつだが、着々とタバコの撲滅に向けて、物事は進行しているわけだ。
タバコに関しては、前にもう何回か書いたから、もうここでは書かないが、考え方としてほんとに良くないと、僕は思う。

そしてなんと、WHOが次の撲滅へ向けて動きつつあるのが、アルコールであるというのだ。
なんだそれは。
まったく考えられないな。
酒というのはひとつの文化であって、日本では神様の前で、酒を飲んだりするものであって、これを十羽一絡げに規制しようとするなどということは、まったくあり得ないことだ。
これはどう考えても、きちんと抵抗することを考えないといけないな。
どうやったらいいんだか、よくは解らないけど。