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2010-10-28

民主主義

「民主主義」とかいう、また大上段に振りかぶった題名を付けて、結論が決まっているわけでもなく、色々思っていることもあるから、何か書くことがあるだろうと思っているのだが、大したことが書けるわけがない。でもこの日記は、自分の頭を整理するためのものでもあるのだから、それでもいいのだ。

菅直人が民主党代表選に勝利して、ひと月ほどがたった。まあ、やはりダメだったな、というのが大方の評価だろうし、僕ももうほとんどそう思っている。日本の総理大臣の座というものは、それはもちろん重いものであるわけだが、総理大臣のまわりで起こることは、中小企業の社長の場合と、根本的にはそれほど変わらないだろう。重役やブレーン、利害関係人の話は聞くが、それではどうしたら良いのかまったく決断できず、けっきょく周りの人間に丸投げするという、典型的なダメ社長の姿と、菅総理の今の姿勢は、よく重なるように僕には思える。

だいたい菅総理の顔が、まったく見えてこない。仙石官房長官やら、岡田幹事長、蓮舫大臣などの話題ばかりが聞こえてくる。菅総理はたぶん、自分はあくまで監督であり、プレーするのは選手のほうだ、自分は彼らがプレーしやすいような環境を整えることが役割だ、などと思って、部下の話を聞き、その意見を追認し、たまにちょっとした指示を与える、みたいなことで、自分は十分仕事をしていると自負しているのだろう。また部下の方でも、そうやって何でも追認してくれる上司は、自分が思ってもみなかったような指示をされ、仕事が全部やり直しになってしまうような上司に比べたら、自分らにとって好都合だから、上司がそうやって、積極的に指示をしないということを推し進めるはずだ。上司の方はまた、そういう下心があって部下が自分を褒めたりすることを、自分は良い上司だなどと勘違いしたりする。いま菅総理のまわりでは、そういう負のループが、猛烈な音をさせながら回り始めているという感じがする。

そういう「社長気取り」の状態に陥ってしまうというのは、一にも二にも、自分が本来何をしなければいけないかということについて、自覚的ではないからだ。周りの人間にちやほやされるという居心地の良さに負けてしまう。総理大臣の周りの人間が、総理をちやほやする有り様といったら、すごいものがあるのだろう。僕なんか中国マッサージのネエちゃんに、ちょっとちやほやされただけで、すぐ延長したくなってしまうのだから、想像に余りある世界だ。すごいものが色々出てくるのだろうな。女でも金でも、やりたい放題だ。菅総理はこれまで、公私共に貧乏暮らしが長かったから、そういうものに免疫がなかったぶん、骨抜きにされてしまうのも早かったということだ。

「自分が何をしなければいけないかということについて自覚的ではない」と書いたが、菅総理は間違いなく、自分ではそうとは思っていない。なぜなら菅総理に対して、周りの人間は、「ああしてくれ、こうしてくれ、総理たるものこうあるべきだ、総理がこうしてくれなければ困る」などと言い続けているはずだからだ。たぶん中国やアメリカなどからも、そうした注文が来ているだろう。それに対して菅総理は、言われた通りにやっているというわけだから、自分はやらなければいけないことを全てやっていると思うことこそあれ、何かが不足であるなどとは、露ほども思っているわけがない。もし菅総理を批判したとしたら、「これ以上自分に何をしろと言うんだよ」と言うだろう。

しかし、自分がやらなければいけないことというのは、本来、自分の胸に手を当てて、自分で悟ることなのだ。人は決して、自分が本当にやらなければいけないことを教えてはくれない。菅総理は戦後に生まれ、日本の高度経済成長の、一番いいところを謳歌した世代だ。やるべきことは決まっていて、あとはそこで何位になるかだけが問題になる。日本がそうやって、何も考えずに過ごしてしまった数十年というもののツケを、今まさに払っているということなのじゃないかと思う。

というわけで、民主主義の話には全くならずに、なんだか終わってしまったのですが、それはそれということで。