原爆ドームを見に行った。ビルが立ち並び、車が往来する、活気溢れる街。そこに、やおら廃墟が現れる。
昭和20年8月6日、上空600メートルで閃光が走り、20万人が死亡、周囲2キロメートルが一瞬にして廃墟と化した。この建物だけは、爆風が真上から吹きつけたため、いくつかの壁が倒れずに残った。昭和42年、広島市は、悲劇を忘れないために、保存を決める。記念公園が作られ、追悼施設が作られ、今でも千羽鶴が、新たに供えられつづけている。
広島市民球場の真向かい、県庁や広島城からもほど近い、東京でいえば赤坂くらいだろうか、そこに今でも広島市民は、悲劇の記憶を抱えつづけているのである。それはどのような気持ちなのであろうか。
少なくとも間違いないと思えるのは、そんな街で、軟派にちゃらちゃらとしては、暮らせないということだ。20万の魂に、今でも手を合わせつづける人たちなのである。