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2011-07-07

昨日も飲みに行って、楽しかったとさ、の巻

四条大宮をちょっと上がって、大宮通錦小路の東南あたりに広がる飲み屋街を、「寛遊園」と言う。狭い路地の両側に平屋の飲み屋が軒をならべ、いかにも昭和、今時ああいう場所は、全国的にも珍しくなりつつあるのじゃないか。

新宿にはJRのガード下に「ションベン横丁」というのがある。渋谷にも以前はあったが、バブルの時代にすっかり地上げされて、全部ビルが建ってしまった。
蒲田にはついこないだまで、工学院の近くにそういう場所があったのが、今はすべて工学院に買い占められ、真新しい校舎になってしまっている。

平屋のボロい店舗など家賃も高くは取れないから、土地の活用効率としてはあまり良くはないだろう。大家としても大金を積まれると、手放してしまおうということになるのだな。
そう考えると寛遊園の大家はえらい。いい場所にあるから引き合いは色々あるだろうに、敢えてそれを残しているということだ。

しかしああいう飲み屋街はそれ自体がひとつの文化だから、できるだけ残してもらいたいところだよな。なぜならそこで長年にわたって飲み続けている人たちというのがいるからだ。

寛遊園のお客さんというのも、普段はあまりお目にかかることがないような、物凄い人たちが勢揃いしている。

女性に食べさせてもらっている、いわゆるヒモの人。自称革命家。生活保護を受けていながら子どもを連れて飲みに来るおばちゃん。
またそういう人たちが、お金を払わずに出入り禁止を食らったり、おっちゃんを舎弟にして小突き回したり、スナックのママと出来てしまったくせに、優しくしないものだからママは店をやめてしまったり、地べたに座り込んでゲロを吐いたりしながら、日常が回っている。
あの場所がなくなったら、そういう人たちは根こそぎいなくなってしまうというわけだ。

飲み屋街だからそういう人たちは何軒かの店を行き来していて、僕がよく行くスナックはその末端にぶら下がっている。
開店したての頃、目の前で殴り合いの喧嘩がはじまって、大変なことになっていたが、僕はかまわずカラオケを歌ってた。そういう危ない状況は、深入りさえしなければそれなりに楽しいものだ。

でもママも最近は、だいぶ慣れてきたらしく、店はめっきり平和になっている。
昨日も年配のお客さんといっしょにカラオケを歌って盛り上がった。

Kajuはそういうアクの強い飲み屋街にありながら、危ないお客さんは一切入れず、落ち着いた雰囲気を保っている。
昨日も日本酒を飲み、マスター特製のインスタントラーメンを食べ、散々マスターと喋って帰ってきた。

ちなみにKajuでも、東北支援の一環として、僕の好きな福島の酒「大七からくち生もと」を入れている。