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2011-07-18

豚と長ネギの焼きそば、新福菜館三条店

このところ晩飯に焼きそばやらソーミンチャンプルーやらを食べることに凝っているのだが、こういう炒めた麺を肴に酒を飲むというのは、何ともいいものなんだよな。

何がそんなにいいのか、自分でもよく分からないところがあるのだけれど、やはりただ肉類とか、野菜とか、そういうおかず類だけを酒の肴にすることよりも、そこに炭水化物を加えるということが、
「からだにいい…」
ということがあるのだろうな、たぶん。

酒の肴の定番といえば、日本では居酒屋なんかで出てくるような一品物ということになるわけで、そういうものを肴にするのはたしかにいい。
炭水化物を摂らずに酒を飲むというのは、美味しく酒をのむためには必要なことで、炭水化物を摂ってお腹が一杯になってしまうと、酒はまずくなってしまう。

ところがそうやって酒を飲み終わると、無性にうどんやらラーメンやらが食べたくなってしまうというのも、これまた確かなことなわけだ。
飲んだあとのラーメンの食べたくなりようというのは半端なものではないわけで、まさに
「体中がラーメンを欲している…」
という状態になることは、酒飲みなら誰でも知っているだろう。
これはやはり、どういうメカニズムなのかは知らないが、酒を飲むためには本来、「麺が必要」であり、それを不自然に我慢してしまうものだから、後でその反動が来る、ということなのじゃないだろうか。
実際にしん蕎麦や鴨南蛮を肴に日本酒を飲んだり、ラーメンを肴にビールを飲んだりするのもまたいいものだ。

しかしこのことは必ずしも麺に限らない。

例えばギョウザを考えてみたときに、これが冷えたビールを死ぬほど相性がいいということは、誰でも知っているわけだ。
でもこれが、ギョウザの中身を焼いただけの、肉団子とかハンバーグのようなものだったとしたらどうだろう。
酒の肴として悪くはないだろうと思うけれども、それほどいいとも言えないわけだ。

あとは寿司。
刺身に酒も、もちろんいいけれども、それが米と一緒になり寿司という形になると、酒の肴としてよりパワーアップすると言えるだろう。

だからやはり、炭水化物が肉や野菜と一緒になることで、酒の肴としてより完璧なものになると言うことができるのだろうな。

ところがそうだとすると疑問なのは白めし。
「白めしにおかず」というセットがあったとして、これは酒の肴になるといえるのか。
僕は白めしを食べる時でも酒を飲むけれど、飲み方としてはやはりどうしても、
「同じおかずを白めしとは別系統で利用する」
ということになりがちで、おかず→白めし→酒、というサイクルにはならないのだよな。

白めしには味が付いていないから、酒の肴にならないのかと考えるとすると、チャーハンはどうだろう。チャーハンは酒の肴になるのか。
ならないような感じがするのだよな。

しかし米が酒の肴にならないわけじゃないということは、寿司の存在によってすでに証明されている。
この辺のことが、まだどうも疑問が残るところだ。


とまあどうでも良いことを考えてみたのだが、昨日も焼きそば。

豚コマ肉に長ネギだけのシンプルなやつなんだが、これは焼きそばの中では最強なものの一つと言えるのじゃないか。
味付けは酒と淡口醤油、それにチューブの生姜とニンニク。
豚肉を炒め、長ネギを炒め、そしたらそこにこの調味料を混ぜ合わせたものをジャーと注ぎ、軽く混ぜあわせて、焼きそば用の麺を投入。
汁気が飛んで麺がフライパンにくっつきそうになるくらいまでよく炒める。

僕はソース焼きそばはどうも好きになれないのだけれど、この醤油味の焼きそばは死ぬかと思うくらい美味い。
しかも昨日は調味料の加減などが大変うまくいってしまって、僕が過去に食べたすべての焼きそばの中で、これが一番うまかったのじゃないかと思うくらいの出来だった。

「炒め物には日本酒は合わない」というはっきりとした結論に、先日達したので、酒はビール。
やっぱりこういう、ちょっと刺激的な味がする酒じゃないと、油に合わないということなのだろうな、たぶん。

ビールのあとはさらに焼酎。
これは氷入れたほうが良かったな。


今日の昼は、毎週恒例、新福菜館三条店で昼ビール。

僕は土曜か日曜に、必ずここでビールを飲み、ラーメンを食べている。

しかしこれは、何も好きこのんで毎週食べているというわけではないのだ。
僕も本当なら、同じものを何度も食べるよりも、その分他のものを色々食べてみたいという気持ちはある。
しかし何度も書いている通り、このラーメンは、浮気をして違うものを食べてしまうととんでもないことになるのだ。

前に食べてから一週間が過ぎ、10日になろうとしてくると、もうこのラーメンが食べたくて食べたくて、仕方がなくなってしまう。
日曜日に食べた場合、10日後は水曜日で、新福菜館三条店は定休日になる。
下手をするとこのラーメンが食べたくて仕方ないのに、必死の思いで一日我慢しなければならないことになってしまうのだ。

というのは大袈裟だけれども、とにかくここのラーメンというものは、
「食べたい」
というよりも、
「食べなければいけない」
ということに近いのだ、僕の場合。

ビールには言うまでもなくギョウザ。
このギョウザがまた、とくに特徴のようなものはなく、一見平凡なギョウザのように思えるのだけれど、その実
「これは日本で一番ビールに合うギョウザなのじゃないか」
というくらいの味なのだ。

そしてラーメン。
本日も死亡。

このラーメンは、スープがちょっと甘辛い味で、いわゆる普通のラーメンとはすこし違う、変わった味なのだ。
新福菜館は戦前の創業だ。
それに対して多くのラーメン屋は戦後の創業で、戦争を挟んだその前後の時代背景の大きな変化が、味の違いに表れていると僕は見ている。

しかし現代はまた、この甘辛い味が復権していると言えるのかもな。
よく「角煮ラーメン」とかあったりするが、要はあの味なのだ。
「甘辛い味」というのは、以前はラーメンとしてはご法度だったけれども、最近はそんなこともないのだよな。

新福菜館三条店は、京都駅から遠いということもあり、僕は自分がこんなにもこのラーメンの中毒になっているにも関わらず、他県の友達にこれをまだ紹介したことがない。
遠いというのもあるのだが、普通のラーメンとちょっと違うから、
「もしかしたら理解できないかも…」
という怖れも、ちょっとあったりするのだ、じつは。
それで戦後のラーメンとして標準的な、「第一旭たかばし本店」を案内したりする。
でももしかしたら、意外に大丈夫なのかもな。