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2009-05-06

小林秀雄全作品4 Xへの手紙

連休は、秀雄三昧。
呼び捨てかよ。
朝飯食ったら、布団の中で秀雄、そのまま昼寝。
昼飯食ったら、また秀雄、そしてまた昼寝。
晩飯食って、酒を飲んだら、再び秀雄、そのまま就寝。
だから呼び捨てするなって。

全集というものは初めて読んでるのだけど、その人の作品が時系列上にずっと並べられていて、時代背景の進展と共に、その人の思考の変遷が辿れるようになっているから、その人と一緒になって、その時代を歩んでいるような、これは全く錯覚なわけだが、そういう感じがして面白いんだな。
この小林秀雄全作品4には、昭和7年の後半と、8年、小林秀雄30歳と31歳の時の作品が収められている。

小林秀雄がデビューしたのが昭和5年だから、デビューして2年たって、3年目、初めの頃は感じたままに書き、つまらない作品については痛烈に批判したりしていたのだけれど、たぶんそれから揺り返しというか、批判した相手やその周辺から、表立って反論されるだけでなく、多分裏から、個人的に、色々言われたりしたことがけっこうあったみたいなんだな。
そりゃそうだ、秀雄としては純粋な、文学的な良心に基づいてやったことかも知れないが、文壇という、まあこれがどんな場所だか僕は知らないが、たぶん蛸つぼの様な狭い社会で、けなされた方としては面白くない。
またその批判が正当であればあるほど、それに対してなかなか反論できないだけに、憤懣やる方ない、ということになっていくよな。
そういう人たちからの圧力にさらされて、どうやら秀雄は、ノイローゼみたいになってしまったようなのだ。
その様子が、これは小説ということになっているのだが、「Xへの手紙」という文章に書いてある。

「何故約束を守らない、何故出鱈目(でたらめ)をいう、俺は他人から詰(なじ)られるごとに、いったいこの俺を何処(どこ)まで追い込んだら止めて呉れるのだろうと訝(いぶか)った。俺としては、自分の言語上の、行為上の単なる或る種の正確の欠如を、不誠実という言葉で呼ばれるのが心外だった。だがこの心持ちを誰に語ろう。たった一人でいる時に、この何故という言葉の物蔭で、どれ程骨身を削る想いをして来た事か。今更他人からお前は何故、と訊ねられる筋はなさそうなものだ。自分をつつき廻した揚句が、自分を痛めつけているのかそれとも労わっているのかけじめもつかなくなっているこの俺に、探るような眼を向けた処でなんの益がある。俺が探り当てた残骸(ざんがい)を探り当てて一体なんの益がある。
(中略)
言うまでもなく俺は自殺のまわりをうろついていた。この様な世紀に生れ、夢見る事の速(すみや)かな若年期に、一っぺんも自殺をはかった事のない様な人は、余程幸福な月日の下にうまれた人じゃないかと俺は思う。俺は今までに自殺をはかった経験が二度ある、一度は退屈の為に、一度は女の為に。俺はこの話を誰にも語った事はない、自殺失敗談くらい馬鹿々々しい話はないからだ、夢物語が馬鹿々々しい様に。力んでいるのは当人だけだ。大体話が他人に伝えるにはあんまりこみ入りすぎているというより寧ろ現に生きているじゃないか、現に夢から覚めているじゃないかというその事が既に飛んでもない不器用なのだ。俺は聞手の退屈の方に理屈があると信じている」

この後さらに、関係ないのに、昔付き合った女のことを延々と語っていたりして、まあとにかく、赤裸々な告白。
こうやって、小林秀雄は、何もかもぶちまけることで、何とか精神の健康を取り戻し、先に進んでいけるようになったということなのだろうな。

僕はこの小林秀雄の危機を見ながら、実はナンシー関のことを思い出していたのだよな。
ナンシー関というのは消しゴム版画家、テレビ評論家で、もう亡くなってしまったが、週刊朝日とか週刊文春とかの連載で、芸能人の似顔絵の版画、これがまた描かれた本人が見たら、どう考えても嬉しくないだろうな、というものなのだが、それと一緒に、その芸能人を痛烈におちょくったり、批判したり、という文章を10年以上に渡って書き続けた人だ。
http://www.bonken.co.jp/index2.html
僕はナンシー関が大好きで、週刊文春の連載も毎週楽しみにして読み、最近また改めて、文庫本を全部制覇したのだが、ナンシー、また呼び捨てか、の場合も、書かれた芸能人の方は当然面白くないわけだから、事情は小林秀雄と似たようなものがあったのじゃないかと思うのだ。

でもナンシーの場合ははっきり線を引いて、自分はこちら側であくまでテレビを見る人、そしてテレビという自分に対して商行為を行う物に出ている芸能人に対して、感想を述べたり批判したりすることは自由、という立場を、まるで結界でも作るかのように、テレビには基本的に出演しない、ということによって死守した。
小林秀雄のように、同じ蛸つぼの中にいる人たちを批判するのとは、ちょっと違ったんだよな。
しかしそれでも、テレビの向こう側に月日が経つにつれて積もり重なっていく遺恨や怨念は、かなりのプレッシャーがあっただろう。
ナンシー関が39歳という早すぎる年齢で急逝してしまったのは、そのプレッシャーを解消することができずに、それに押し潰されてしまったということも、あったのかも知れないなと思ったりした。

小林秀雄はこの「Xへの手紙」の後は、痛烈な批判は影を潜め、わりと大人の対応をするようになっているのだが、本人としては言いたいことを真っ直ぐ言えず、物足りない想いがあっただろう。
それでこのあと、古典という所に向かって行くというわけなのだな。
僕は小林秀雄を文庫本で読んで、ナンシー関と比べて、古典のことばかりを書いて、同時代の文学のことはちっとも書かずに、なんだか逃げているような感じがして、それがちょっと不満だったのだが、こういう事情があったのだな。